別にぼくは恨むなと言ってるわけではない。幸福になろうとするならば、恨むルートは大変に険しい道だが、それを選び取る人は応援する、と言っている。でも、恨む道を選んだ人にとっては「恨むな」と聞こえるのは仕方がないことだとは思う。
2017-08-01 16:10:57(/・ω・)/今まで一緒に暮らしてきたペットを失う事が辛い様に、丹精込めて育て上げて来た「怨み」を失う「怨みロス」に耐えられるのか? twitter.com/mentane/status…
2017-08-01 16:45:48そういう変化が起きた時、最初は「なにか毎日が物足りない」「刺激が少なくて不安になる」等の訴えをする人が結構いる。感情のジェットコースターに乗っているのが日常的だと穏やかな毎日がやってきたときに慣れるまでそう感じるらしい。
2017-08-01 17:40:39恨みも怒りも抱えているのは本当に苦しいんだけど、それを手放すと自分を傷付けた相手を正当化してしまったような気がするというのはある。「私の受けた苦しみはこんなもんじゃない。この程度で許せるものじゃない」と自分に言い聞かせているのかもしれないな。 twitter.com/mentane/status…
2017-08-01 17:44:02恨みを手放すというのは自分に降りかかってきた不運や悲劇を正面から受け止めて感じ取り、その取り返しの付かなさを実感し、心の底から十分に嘆き悲しみ喪に服する先に起こることなのだと思う。なんらかの形で取り戻せるのではないか?とチラッとでも思っているときには恨みを手放すのは難しい。
2017-08-01 18:02:12私の場合、やはり降り掛かった出来事に対して「私がもう少し違う対応をしていたら」と思うところがあるのです。原因を自身に求めてしまっている。それはそれで傲慢かもしれませんが、自分に原因があるなら、自分次第で状況が変わると思っているのかもしれません。 twitter.com/mentane/status…
2017-08-01 19:17:46これも本当は過去の自分の行動は今の自分にとっては変えられないものだから、取り返しのつかない不幸として捉えていいんですよね。今後の行動についてだけ考えればよい。問題解決だけを考えるなら特に自責の念もいらない。そうするのは難しいけど。 twitter.com/yuikko6001/sta…
2017-08-01 19:38:59キューブラー・ロスは死の宣告をされた人間がその事実を受容するに至るまでのプロセスを大まかに5段階に分けた。このプロセスを自分に降りかかった理不尽かつ不幸な出来事全般の受容に当てはめてみることができる。
2017-08-01 19:42:061.否認。自分に降りかかってきた理不尽で不幸な出来事(以下「悲劇」と呼んでおく)の存在を意識の上で認めない。「私はまだ死なない」「うちの親は立派だった」
2017-08-01 19:45:352.怒り 悲劇に対して怒りを向ける 「なんで俺が死ななきゃならいんだ!おかしい!」「毒親死ね!お前らのせいでこんなに苦しんでるんだ!」
2017-08-01 19:48:183.取引 (主に神仏などと)取引してなんとか悲劇を避けたり減らしたり、他の利益を得たりしようとする。 「神様、人生を大切にするので、どうかあと5年だけ時間をください」「メンヘラに生まれ育ってしまった人間しか、天才特有の過剰さや狂気を持てない。だからメンヘラは天才に開かれている」
2017-08-01 19:54:395.受容 悲劇の存在を受け入れつつ、絶望よりもフラットに事実として受け入れる。抑うつ段階に比べると心に平穏が訪れる。 「死ぬのだな。自分は。死は誰にでも訪れる」「あの親の元に生まれ育ったので自分は対人不安を強く持つようになった。不運だが仕方がない。今後はどう生きていこうか?」
2017-08-01 20:08:17ロスの5段階については「必ず死を受容しなければならないのか?」という批判が出ていて、恨みについても全く同じ意見が出ているなと感じる。ぼくは必ず受容しなければならない、とは思わない。
2017-08-01 20:11:52「過去の悲劇について恨みをしっかり持て!怒れ!」という意見がある。それはぼくも必要なことなのだろうと思っている。否認の段階から怒りの段階への移行を勧めている、と考えられる。
2017-08-01 20:17:27悲劇を受容をするには抑うつの段階を経由するのがほとんどだ。これが先ほど述べた喪に服する作業にあたる。心の底から事実を見つめて受け止め悲しむ。絶望する。時にはここで辛すぎて命を絶つ人間も出てくる。この苦しみを乗り越える心理的な余裕がない場合、怒りや取引の段階で留まり続ける。
2017-08-01 20:23:23恨みを持ち続けるというのは怒りの段階に留まり続けるということ。恨みを手放すというのは抑うつの段階を経由して受容の段階へ移行すること。どちらがよくてどちらが悪いというものではない。
2017-08-01 20:27:17悲劇を受容すること、恨みを手放すこと、恨みの対象を許すこと、それぞれ違うことだけど関係はあります。悲劇を受容することが出発点になることは間違いない気がします。その先のことはまだ考えなくてもいいのかもしれません。 twitter.com/goldcastle50/s…
2017-08-01 20:47:10