遊女・からゆきが背負ったもの

江戸の遊郭によって高度に発達してしまった日本の売春、人身売買制度の歴史を振り返る読書実況。 ※人身売買のシステムは既にあり、売春にもその手法が使われただけという説もあります。次回はそういう本の予定です。
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波島想太 @ele_cat_namy

梅毒の知識がなかったため、梅毒検査も侮辱行為だと抵抗する女性が多かった。そのため蔓延は相変わらずであり、業を煮やした長崎のロシア艦長から、「金は出すからロシア人専用の遊郭を作れ、そこでは梅毒検査をやる、娼婦にもその分高給を出す」とマダロス遊興所が設立された。

2017-08-10 14:02:13
波島想太 @ele_cat_namy

これを見てそれまで検査をやれとうるさいロシア人を拒んでいた遊郭は態度を急変し、高級軍人相手に梅毒検査済の遊女を送り込んだ。こんな経緯からロシアと長崎の縁が生まれ、ロシア人とともにウラジオストクなどに渡った娼婦も数多くいたらしい。

2017-08-10 14:05:06

李氏朝鮮と武力放棄

波島想太 @ele_cat_namy

李氏朝鮮の武力放棄が招いた日本からの恐喝外交(それは日本が諸外国からされたものと相似形である)を、朝鮮生まれの著者が「因果応報」と評しているのは興味深い。武力を恐れ武力を排除したがために失われたものがある。

2017-08-10 14:21:45
波島想太 @ele_cat_namy

戦わずして日本の軍門にくだった朝鮮には当然のように女郎屋が進出し、相変わらずの横暴の限りを尽くす。日本国内では廃娼運動が高まっていたが、日清、日露戦争で大陸進出すると、そちらに商機を求めつつ、戦争ムードで国内でも売春容認の雰囲気が息を吹き返す。

2017-08-10 14:31:48

戦争と色街

 戦線拡大、植民地支配の広がりとともに海外へと売られていく「からゆきさん」が増えていく。

波島想太 @ele_cat_namy

新兵を送り出す村では、村長自ら新兵を遊郭へ連れ出し景気付けをするという風習があったし、兵舎の近くにはいつの間にやら娼館ができている。

2017-08-10 14:34:01
波島想太 @ele_cat_namy

本国では売春を禁じていたイギリスであるが、植民地においては容認していた。それでもイギリス人女性が娼婦になることは禁じていたので、シンガポールにおいては日本人の女郎屋が活動している。この矛盾に対してイギリスは娼館に厳しい制約を課した。

2017-08-10 14:52:11
波島想太 @ele_cat_namy

娼婦と雇い主の間で悶着あれば直ちに娼婦を廃業させ、警察費で本国に送り返すというものである。そのためシンガポールや香港では、他所でやっているような露骨な収奪は見られなかったという。トラブルになれば逃げられてしまい損になるからである。

2017-08-10 14:54:32
波島想太 @ele_cat_namy

シンガポール以外の南洋地域は過酷だったようで、外国人すらほとんど見たことのない少女たちにとって黒人は「土人」と呼ばれた恐怖の対象であった。女郎屋もそれを知っていてあえて最初にそうした客ばかりあてがう。だが後に「土人」たちが一番優しかったと回顧する者もいた。アレの方も具合がよいと。

2017-08-10 15:04:25
波島想太 @ele_cat_namy

次いで英米人。支那人は親切だが長くてしつこい。日本人は馴染みがあるので喜んで客に取るが、乱暴で思いやりがなく、一番いやらしかったという。当時南方に流れていった男は前科者が多く、娼婦に「ヒモ」となってまとわりつき、女郎屋にも被害が及ぶことがあるため、日本人お断りが普通だった。

2017-08-10 15:09:05

廃娼運動と私娼の増加

波島想太 @ele_cat_namy

さて大正には私娼が激増した。救世軍や婦人矯風会といった廃娼運動の先鋒は、もっぱら公娼遊郭をターゲットにしていて、私娼は対象にしていなかったのである。地方から弾き出された貧農の娘と、妻をめとれぬプロレタリア男子は救われる道もないまままぐわり、血肉を搾り取られていた。

2017-08-10 15:29:03
波島想太 @ele_cat_namy

大正から昭和初期にかけて廃娼運動が盛んになるが、女郎屋側の抵抗も激しかった。暴力と賄賂工作で切り崩しにかかり、警察や国会議員まで抱き込んだ。そのため法としては依然公娼が残り続けていたが、群馬県や秋田県を筆頭に各地の議会で廃娼が決議された。

2017-08-10 15:41:15
波島想太 @ele_cat_namy

増え続ける廃娼県に押される形で、昭和十年にようやく中央政府は廃娼を決定した。この頃廃娼運動をしていた救世軍、婦人矯風会、廓清会の廃娼同盟が「国民純潔同盟」に改めた。 だが昭和六年の満州事変に端を発する大陸進出に、またも女郎屋は息を吹き返す。

2017-08-10 15:51:15
波島想太 @ele_cat_namy

(以後太平洋戦争中の「軍隊慰安婦」の話題になり、まさに著者の本書を執筆した理由に迫るわけで、これはこれで興味深い内容であるがここでは割愛する)

2017-08-10 15:53:40
波島想太 @ele_cat_namy

(ここまでは他の文献や法令記録などからの引用が比較的多いのだが、最終章に至って急に出典が少なくなり、かと思えば例のあれからの引用があり、取扱注意な感じである)

2017-08-10 15:57:39

※例のあれ=吉田証言
 おそらく専門家である著者にとっては自明のことなのだろうが、引用元を細かく併記していたそれまでの章とは書き方が大きく異なっている。

波島想太 @ele_cat_namy

(ということで最後駆け足になりましたが今回の読書実況は以上です。後日加筆修正してまとめにしようかと。今回もいろんな反応いただきました。お付き合いいただきありがとうございます)

2017-08-10 16:00:51
波島想太 @ele_cat_namy

@ele_cat_namy 『遊女・からゆき・慰安婦の系譜』のレビュー 金一勉 (electriccatさん) - ブクログ booklog.jp/users/electric…

2017-08-14 21:54:56