遊女・からゆきが背負ったもの
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江戸町人の性事情
元禄時代以降は武士も町人も吉原などの遊郭に入り浸った、とのこと。江戸町内には盆踊りその他の出会いや遊興の機会はなかった(少なかった)んだろうか?
2017-08-09 10:18:13生活に余裕があり、そんなに働かずともよく暇だったので相手してくれる女性は少なかったんだろうか(働いている女性は日中忙しい)。
2017-08-09 10:20:04かと思えば、町人の妻たちは夫の留守には他の妻たちと集まって、夫の悪口を言う、カルタめくりなどの小博奕をする、若い男と酒を飲む、芝居見物など遊びに行く、などしていたという。(世事見聞録)
2017-08-09 10:25:48三田村鳶魚によれば「江戸時代の少年、青年は誰もみな遊女から性教育を受ける」とあり、事実なら近所や親戚の女性が手解きをしてくれる筆下ろし的なものは江戸にはなかったのかもしれない。
2017-08-09 10:35:16江戸の学者は梅毒の恐怖をことあるごとに訴えたが、世間では、却って「これに罹ることを男子の当然の務め」などと言い出す始末。そして参勤交代により全国へ蔓延。
2017-08-09 10:43:50名古屋の古い諺に「皮癬七度梅毒三度」というものがあり、性病にかからないと一人前の男とは言えないという風潮があった。「瘡気とうぬぼれのない人間はいない」とも言われた。下の病に関する瘡守神が「笠森神」と名を変えて全国で流行った。
2017-08-09 10:49:36(一連の出典は「遊女・からゆき・慰安婦の系譜」金一勉より。この著者に関しては色々あるけどとりあえず他資料の引用などを中心にピックアップ)
2017-08-09 10:51:52著者について
本書の著者は戦前の朝鮮に生まれた。本書執筆時点(1997年頃)においては日本に在住していた、いわゆる在日朝鮮人である。「従軍慰安婦」に関する著作を多く執筆しており、本書も「従軍慰安婦」を生み出すに至った日本の文化的政治的制度的背景を探るという目的のもとで書かれている。
このまとめについて、従軍慰安婦そのものは本題ではなく、江戸から明治大正、昭和初期に至る売春とそれにまつわる人身売買的行為の実態について重点的にピックアップしている。
本書を手に取ったのは偶然であるが、従軍慰安婦研究者ならではの日本の売春、人身売買についての視点は興味深いと考えた。変に美化したり、臭い物に蓋をするということもないだろうという気がしたからだ。
性病の蔓延
性病の蔓延から性器崇拝、男根信仰が盛んになった、とあるが、性器崇拝自体は生産に関わるものとしてもっと昔からあったように思う。まあ祈祷も主な治療法だった時代であれば、性器の悩みは性器の神に頼めとなるのかもしれない。
2017-08-09 10:56:46遊郭の需要
武士も僧侶も町人も、遊女を身請けし妻に迎えることに心理的抵抗はなかった(足抜け代が高額なので経済的抵抗はあっただろう)。むしろ芸事などを身に付けているので高く評価されたともいう。
2017-08-09 11:20:39明治維新の際、倒幕軍が江戸へ侵入すると、市中のあちこちで婦女子が襲われたとある(出典なし)。仕えるべき幕府がなくなり路頭に迷った武士の妻子は江戸市中のみで三万以上。すくなからぬ割合が色街や私娼に身を落としたという。
2017-08-09 11:30:08「マリア・ルーズ号事件」で、船側の弁護士から、日本は当船を奴隷船だと非難するが、日本にも遊女という奴隷がいるし、公然とその奴隷制度を保護しているではないかと指摘され、「娼妓解放令」へと繋がる。外圧に弱いのは明治以来の伝統であろうか。
2017-08-09 11:47:58ただ人身売買の根元である貧困にはほとんど手をつけていなかったため、一年か二年もすると売春、遊郭は復活していた。ただ禁止したはずのものが公然と復活すると体裁が悪いので、遊郭は「貸座敷」と名を改めた。遊女たちを拘束する身代金も前借金と名前を変えただけであった。
2017-08-09 11:56:58明治政府と交渉制度への圧力
外圧や内圧にさらされるが、明治政府は公娼制度の撤廃には難色を示し、様々な手法で「事実上の公娼」を残し続ける。
「妾(沢寿次著)」によれば、明治の為政者の多くが妾を愛好し、明治三年には妾を二等親として公認するよう法律を変えた。戸籍には「権妻」と掲載される。政府要人は特に芸妓を好んだ。 (ジオン・ズム・ダイクンの愛人で、シャアやセイラの母であるアストレイアが歌手であったのはこの辺が元ネタ?)
2017-08-09 13:28:51明治15年の刑法改正で妾は認められなくなり、明治31年の民法改正で民法上でも認められなくなった。ただ水面下では権力者、富裕層の妾囲いは止まらなかった。
2017-08-09 13:35:27「日本に恋愛思想が芽生えたのは、第一次大戦を経て「大正デモクラシー」の欄熟した大正末頃、厨川白村の『恋愛論』によってである」と著者は断言しているが、ううむ、まあ、とりあえずそういうことにして読み進めよう。
2017-08-09 13:38:55何が夜這いの衰亡をもたらしたか - Togetterまとめ togetter.com/li/1070124 これを思い出しながら読んでる。
2017-08-09 13:54:42