何が夜這いの衰亡をもたらしたか

夜這いとは何であったか、なぜ夜這いは廃れたか。 ※2016/1/16:事案紹介追加しました。 ※2016/1/17:夜這いの始まりと終わり、柳田国男、上野千鶴子評を追加しました。本まとめは以上です。
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波島想太 @ele_cat_namy

結論からいえば夜這いがなくなったのは教育の成果というよりも、社会情勢の変化、生業のあり方の変化による当...『夜這いの民俗学』赤松 啓介 ☆4 booklog.jp/users/electric… #booklog

2017-01-13 21:18:02
波島想太 @ele_cat_namy

結論からいえば夜這いがなくなったのは教育の成果というよりも、社会情勢の変化、生業のあり方の変化による当然の帰結であるわけで。

2017-01-13 21:18:50

P.112
『(若者たちの夜遊びは、古くは元禄頃から幕府や藩によって禁止令が出されてきて、明治になって弾圧、教化を行っても絶滅することはできなかった。しかし大正中期ごろからだんだんと衰退した)
 これは教育の効果などによるものでなく、農村が次第に資本主義の攻勢に押されて衰亡したためである。つまりムラが半封建的時代の制約から脱し、村落共同体としての結合を緩めるようになってきたのである。わかりやすくいうと、ムラの娘も女工だけでなく、女店員、女給、その他の近代的な職業につくようになり、都市との接触も深くなってくると、ムラの男を嫌うようになった。マチへ出て月給取りの女房になりたい、それが田舎の大部分の娘たちの夢になる。当時の女子教育や女子雑誌、家庭雑誌が異口同音に田舎の娘さんたちよ、都会に憧れてはいけない。都会の男たちはうまいことをいうが信用してはいけない。田舎の、清い空気を存分に吸っている男たちこそ、ほんとうに頼れる人間だし、朝は星をいただき、夕べには月に送られて働く人生こそ、最上の幸福だ、と煽り立てた。
 しかし、結婚すれば田の二町でも三町でもつけてやるというのなら話もわかるが、小作争議の激化を実際に見て、知っているムラの娘たちが、こんな甘いおすすめにひっかかるはずがない。若い衆も近いマチの女給や酌婦をとった、とられたと大喧嘩。もう残っている娘など、国宝、重要文化財で、とても逆立ちしても手に入らない。こういう社会的大変革で、残念ながら娘がいなくなったのでは、夜這いも閉鎖するしかあるまい。僅かに残った娘や嬶(かかあ:人妻)を相手に夜這いといっても、もう盛時に比べれば想像もできないほどおとなしい夜這いになってしまった。これで夜這いもめでたく終焉である。』

波島想太 @ele_cat_namy

夜這いというのはただの自由で奔放な性愛ではなく、ムラやムラの若衆といった組織の管理下にあった(なのでルールを破れば制裁が待っていた)。夜這いをかけられるのはムラ内の男だけだったり、他のムラの男にも開放されていたりといった違いはあるが、それぞれの決まりに従って夜這いは行われてきた。

2017-01-13 21:19:08
波島想太 @ele_cat_namy

それはムラが一つの共同体として存在していたから維持されていたのであって、ムラには田植えや稲刈り、稲の脱穀など多くの共同作業があった。その連帯を維持するための仕組みとしても機能していたし、辛い農作業で高まる性欲をどうにか処理しなければならないという(身勝手だが)必要性もあった。

2017-01-13 21:19:57
波島想太 @ele_cat_namy

これが貨幣経済、工業の発達によりムラどころかイエも解体され、個人で生きられるようになると、もちろんいいこともあったのだろうがそれ以上に(おそらく特に女性が)不便、不快を感じていたのだろう、急速に個人主義が大勢に受け入れられていき、共同体に支えられていた夜這いシステムも崩壊する。

2017-01-13 21:20:29

P.32
『当時(大正頃まで)、今のような避妊具があったわけでなく、自然と子供が生まれることになる。子供ができたとしても、誰のタネのものかわからず、結婚していても同棲の男との間に出来たものかどうか怪しかったが、生まれた子供はいつの間にかムラのどこかで、生んだ娘の家やタネ主かどうかわからぬ男のところで、育てられていた。大正初めには、東播磨あたりのムラでも、ヒザに子供を乗せたオヤジが、この子の顔、俺にチットモ似とらんだろうと笑わせるものもいた。夜這いが自由なムラでは当たり前のことで、だからといって深刻に考えたりするバカはいない。』

波島想太 @ele_cat_namy

夜這いの結果、多くの私生児が生まれた。当時の人々が誰のタネかもわからない子供を簡単に受け入れていたのは、もちろんおおらかな時代だったという牧歌的な想像もできるが、つまりは子供は安価な労働力であったし、いざとなれば丁稚や娼婦として売ることもできたという理由もおそらくあっただろう。

2017-01-13 21:20:43
波島想太 @ele_cat_namy

こんにちでは子供は家庭の労働力ではないし、もちろん人身売買などできない(悲しいことになくはないだろうが、少なくとも合法でも一般的でもない)。それどころか引きこもりだの家庭内暴力だのといった「リスク」ばかりが大きくてなかなか楽天的に子供を受け入れられる状況ではない。

2017-01-13 21:20:58
波島想太 @ele_cat_namy

今更少子化が国を滅ぼす、生めよ殖やせよと煽ったところで、大正昭和の女性がマチからムラに戻らなかったように、平成の若者が子を産み育ててくれるわけでもない。社会制度を変える、単純には多くの指摘があるように若者の収入を増やし、それが将来に渡ってある程度期待できる状況を作ることだ。

2017-01-13 21:21:11
波島想太 @ele_cat_namy

生殖技術を含む医学は発展を続けており、採取した精子と卵子を母体に戻さず成長させる技術が開発されるのも(倫理を除けば)時間の問題であろう。そうした純試験管ベビーの時代が来るのか、それとも性交(人工授精含む)による生殖を維持できるのか、それとも、という分岐点に来ているような気がする。

2017-01-13 21:22:02
波島想太 @ele_cat_namy

夜這いには若者への性教育という一面もあり、成人式の後には年上の異性をたずねて筆下ろし、水揚げするという風習もあった(フンドシ祝い、コシマキ祝い)。これによって実体験としての性を知ることができた。現在の知識偏重の性教育などは無意味だと著者は指摘している。

2017-01-13 21:22:14
波島想太 @ele_cat_namy

民俗学の大家といわれる柳田国男が無視し続けたのがこの性習俗であって、柳田と後継者のそうした姿勢が一夫一婦制、処女童貞を崇拝する純潔、清純主義という「みせかけの理念」で日本人を振り回すことになったとかなり強い調子で指弾している。

2017-01-13 21:22:26
波島想太 @ele_cat_namy

不特定多数との性交は衛生上良くないし、妊娠などのリスクはほとんどが女性に押し付けられるため、完全無欠ではないのだが、それでもこれらの性習慣が担ってきたものも間違いなくあり、それを現代の感覚に添った形で補完するにはどのようにすべきか、よくよく考える必要があるのではなかろうか。

2017-01-13 21:23:19

事例研究

本書から夜這いをはじめとした性風俗の事例をいくつかご紹介。

波島想太 @ele_cat_namy

「柿の木はあるか?」「ハイ」「ちぎってもええか?」で始まる柿の木問答について、著者の在所の下里村(現兵庫県加西市)では新婚の夜の儀式であったが、別の村では若衆入り(当時の成人式のようなもの)の夜の儀式であった。

2017-01-16 21:56:56
波島想太 @ele_cat_namy

関西の播州辺りの話。女性の三十三の厄落としで、若衆入りの青年の筆下ろしをする風習があった。夫も子供もある女性であっても、むしろこれをしないで家族に大病や不幸があるとあの奥さんは厄払いしなかったと後ろ指を指されたという。

2017-01-16 21:57:16
波島想太 @ele_cat_namy

河内では、大厄が来ると生駒詣でに行き、参詣の男に貞操を買ってもらい、その代金を賽銭にして投げ入れ厄を払ったという。(安易な解釈は許されないが、との前置きで)有名な神社仏閣の近くにイロマチが多いのも、こうした事情と関係があるのかも知れぬ、としている。

2017-01-16 21:57:25
波島想太 @ele_cat_namy

当時の小作農の家では、娘はたいがい奥に寝ていた。男は裏戸から忍び込み、寝ている両親の脇を通って娘の布団にもぐりこんで致していくわけだが、帰りがけにおばはんとやってくるということも起きる。鬢付け油の匂いは母、おしろいは娘とか区別するのである。

2017-01-16 21:57:36
波島想太 @ele_cat_namy

娘が気に入っている男を誘うこともあり、昼間、娘が松葉を紙に包んで相手に渡したりもする。葉の一方を曲げて、足を曲げて待っているから早く来て、というシグナルである。一方で気に入らない男の足音がするときっちり戸を閉めてしまうこともある。

2017-01-16 21:57:47
波島想太 @ele_cat_namy

娘が夜這いの相手をする資格もムラによって違い、初潮後というのもあれば陰毛が生えてからというのもある。遊郭では表向き満十五歳以上だが、十二歳でも夜這いさせるムラもあった。男も十二、三歳で年増の女性に狙われることがあった。

2017-01-16 21:57:58
波島想太 @ele_cat_namy

しかしそんなこんなでムラの女性たちと一通り交わってしまうとマンネリになって退屈なので余所へ行く。しかし夜這いのルールはムラごとに違うので、不法な夜這いをすればムラの若衆に捕まってリンチされたり、若衆頭同士での交渉(金品による補償)になったりする。

2017-01-16 21:58:09
波島想太 @ele_cat_namy

夜這いが当たり前のムラでは戸締りなどしない(夜這い者のために一膳分の飯を残す所すらあった)が、商人や職人、ある程度の資産を持つ農家は戸締りをする。すると夜這いに来た若衆が戸や屋根を無理矢理こじ開けようとしたり、ひどいと村八分にされたりもした。

2017-01-16 21:58:18
波島想太 @ele_cat_namy

昔から文書とか記録を残してきたのは上流階級であって、水呑み百姓や小作人、下女といった人たちの性風俗の記録はほとんど残っていない。明治以降も、柳田民俗学がそれを拒否したこともあって記録は乏しいが、時折発見されることもある。

2017-01-16 21:58:29