近現代日本の人身売買について

明治維新以降、近代化を目指す日本の中で立ち遅れた女性、子供、貧困層といった弱者たちはその身を売るしか生きるすべを持たなかった。 売春従事者に対して前借金で縛ることを禁じた売春防止法の成立は戦後も10年が過ぎた1955年であった。 なぜ日本で身売りを禁じる法律がなかなか成立しなかったのか。その経緯を追う。
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波島想太 @ele_cat_namy

(ブラック企業を取り締まったらそこで働いている人が困る、という理屈はこの人身売買に関与していた農民、漁民の言い分と重なる。全く成長していない)

2017-08-15 14:49:31
波島想太 @ele_cat_namy

(奴隷扱いの子供達を解放することについて「角をあやめて牛を殺す」などとよく言えたものだ。「こんなことをされたら今後子供を使えない」などと言う県職員もいた。使うなよ)

2017-08-15 14:52:07

全国にはびこる人身売買

波島想太 @ele_cat_namy

農家の事例もあるが冗長になるので詳細は割愛。興味深いのは栃木県の某農村で人身売買が横行した原因として「大農家の子弟は野良仕事をきらい都市の学校に行き、自家労力が足りなくなる」「インフレなので前借金で先払いした方が経済的」という指摘があった点。

2017-08-15 14:55:21
波島想太 @ele_cat_namy

「前借金で拘束することはどんな美名をつけようとも人身売買である」という認識が決定的に足りていない。下野新聞は事件報道でこの概念は広まるだろうと1949年に書いているが、50年以上経った今でもそれを知らない日本人は多いだろう。知らないことにしているだけの可能性もあるが

2017-08-15 14:58:43
波島想太 @ele_cat_namy

厚生省も厚生省で人身売買はあってはならないし、そうした契約は無効であるが、解約させたところで孤児や貧困家庭で行き場がないと困る、そもそも現状に満足している子供もいる、などとここでも「それで助かっている者がいる」理論を主張し、GHQに睨まれて慌てて弁解をしている。

2017-08-15 16:06:06
波島想太 @ele_cat_namy

栃木県で発覚した人身売買は調査の中で福島県に波及した。しかし人身売買の根底には貧困があるため、売られた子供を親元へ帰そうにも、貧しくて養えないと拒否されることもあった。虐待さえなければ、里親制度を活用して正しく親子関係を結ぶべきという声もあった。

2017-08-15 16:14:44
波島想太 @ele_cat_namy

当然話は福島県で終わるはずもなく、山形から東北、全国へと広がっていく。人身売買に大きく関わるのが売り手と買い手をつなぐ周旋人の存在である。公娼制度の中で暗躍した女衒たちが、公娼廃止後もその経験とコネを活かして荒稼ぎを続けていた。官権と深く結び付いているものも少なくなかった。

2017-08-15 16:25:30
波島想太 @ele_cat_namy

子供たちの境遇に心を痛めた告発者と、「これは教育、養育であり、その代償として労働に従事するは当然」と言い張る使役者とのせめぎあいが続く。(この辺は貞淑だの国辱だのという観念論にスライドしてしまった廃娼運動とは少し異なるように思う)

2017-08-15 16:31:52
波島想太 @ele_cat_namy

東大法学部の川島武宣は借金を前提とした年期奉公を「家父長制的権力によって労働を強制され、それによって人心を留置されているところの奴隷」ととらえ、虐待がなければ人身売買を許容するという考え方を厳しく批判した。

2017-08-15 16:36:25
波島想太 @ele_cat_namy

一方で地理学者の長井政太郎、中央大学の田村五郎は奴隷的存在であったことを否定。ここでも幼少期から漁業などに従事することは職業指導であり、労働力確保のための里子確保は伝統的習慣などという説を披露する。

2017-08-15 16:40:56
波島想太 @ele_cat_namy

そうした人身売買擁護の主張は、一部の学者や権力者だけでなく、一般層にも通用するものであった。

2017-08-15 17:02:23
波島想太 @ele_cat_namy

人身売買を早期に発見するために、長期欠席児童の調査を徹底した。その他様々な調査により多くの事例が発覚するが、相変わらず人身売買そのものを取り締まる法律はなく、労基法や児童福祉法などで場当たり的に対処するのが精一杯であった。

2017-08-15 17:05:41

児童憲章の制定と法制化

 国会では人身売買や事実上の公娼制(特殊飲食店)を禁止しようとする動きと、のらりくらりと先送りしようとする勢力のせめぎあいが続く。
 一方、一般庶民の間では買う方も、売る方も、売られる当事者である子供すらも身売りに対する問題意識は薄かった。あまりに過酷な貧困により、親元に残って飢えるよりは辛い奉公先でも食べられる方がマシと考える風潮があった。

波島想太 @ele_cat_namy

さて1951年に児童憲章が制定される。この背景には子供の人身売買があったと思われるが、制定後も人身売買はなくならなかった。同年に警視庁四谷警察署が新宿二丁目の「特殊飲食店」二軒を検挙する。人身売買が絡んでいたためだが、四谷署長は徹底的な取締りで街を浄化すると宣言。

2017-08-16 10:40:41
波島想太 @ele_cat_namy

同じ頃、ひとつの司法判断が問題になった。1949年に未成年者を含む9人の女性を熱海の特殊飲食店に売った事件に関するもので、児童福祉法で検挙、送検されたが足立区検察庁は罰金7,000円の略式命令、足立簡易裁判所も命令通りの判決を下して確定。買った業者は不起訴になった。

2017-08-16 10:45:17
波島想太 @ele_cat_namy

これに対し東京都児童福祉審議会はこんな悪質な業者が罰金たった七千円、買った業者も責任なしはありえない。これが児童を守るための法かと問題提起した。 以後も詐欺的な求人広告で人を集め数十人、数百人単位で売り飛ばす事件が立て続けに発生。売られる先も農家より特殊飲食店が多くなっていた。

2017-08-16 10:50:11
波島想太 @ele_cat_namy

※特殊飲食店:公娼制度廃止後、風俗営業が認められた地域内(通称「赤線」)で営業したいわゆる風俗店。カフエー(他に待合、料理店など)と名乗り勤務する女性は女給と称したが、現在のカフェとは異なる。余談だがこのカフエーは現在も風営法第二条の中にその名称が残っている。

2017-08-16 10:57:05
波島想太 @ele_cat_namy

1951年の議会で右派社会党の赤松常子が人身売買が年少労働者や「売婬行為」で行われていると指摘、その対応を質したところ、労働大臣保利茂は人身売買の存在は否定できないとし、「厳に取締り、禁止いたさなければならない」と明言するに至った。法務府でも人身売買禁止法案の研究が進められる。

2017-08-16 11:01:20
波島想太 @ele_cat_namy

(立法府である国会で議論することって本来こういうことよね、という印象もあり。「売婬行為」を強調しているあたりは少し気になるけど議事録まで追う余力はないので保留)

2017-08-16 11:05:28
波島想太 @ele_cat_namy

法務府検務局検事の石井春水は人身売買の取締りについて、需要(特殊飲食店)と供給(貧困にあえぐ人々)を考えずにその間の取引だけ考えても根本的な解決にはならないと現状を批判した。 法案制定に向けた動きが進む中、衆議院行政監察特別委員会は調査において、二つの事件に注目する。

2017-08-16 11:13:05
波島想太 @ele_cat_namy

ひとつが山形県から神奈川県高座郡へ六百人余の女性や子供が売られていた「高座事件」である。本書には詳しくあるが貧しい農村からの身売りであり前出の事例に近いのでここでは割愛し、印象的なコメントを引用する。

2017-08-16 11:43:46
波島想太 @ele_cat_namy

買った農家によれば子供を買う理由は、(土地を相続できない)自分の次男以降が農業をやりたがらないこと公共職安は工場のような大量募集は一生懸命やるが、自分のような数人の募集はまともに相手をしてくれないことを挙げている。人買いが違法という認識は乏しい。

2017-08-16 11:50:51

先ほどもあったが、農家の次男以降はもともと農業で働いても土地がもらえるわけではない(長男が相続する)のでやりたがらない。一部の富農においては長男すらも工場など都市で働くことを望み、農業を忌避する。「若者の農業離れ」「深刻な人手不足」とかいう最近もあちこちでよく聞くようなフレーズがこの時代にもあった。

波島想太 @ele_cat_namy

買われた子供も、実家は子供が八人もいて帰ってもご飯が食べられない。ここにいれば食べられるし仕事になる。少しくらいつらくてもこっちがいい、と被害者としての意識は薄い。そのため「本人がいいと言うならこのままでも」と事なかれを決め込む役人は相変わらずいた

2017-08-16 11:54:37