近現代日本の人身売買について

明治維新以降、近代化を目指す日本の中で立ち遅れた女性、子供、貧困層といった弱者たちはその身を売るしか生きるすべを持たなかった。 売春従事者に対して前借金で縛ることを禁じた売春防止法の成立は戦後も10年が過ぎた1955年であった。 なぜ日本で身売りを禁じる法律がなかなか成立しなかったのか。その経緯を追う。
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波島想太 @ele_cat_namy

国が公娼制度、前借金制度を人身売買ではないと主張し続けたために、農村などでも「これは身売りでなく親孝行だ」などという理屈で正当化していく。人身売買が単なる慣習というだけでなく、経済対策、貧困対策として機能してしまっていたということもあろうか

2017-08-15 11:14:08
波島想太 @ele_cat_namy

本来身売りとは身代金をとって「約束の年期の間」勤め奉公することであるが、実態としてはどんどん借金が積み増され、いつまでも終わらない無間地獄状態であった。 1950年(戦後)の意識調査でも、子供の身売りを事情によっては許容すると答えた者は市部より郡部で多かった。

2017-08-15 11:22:58

人身売買を取り締まる法を持たない

 内外からの圧力は強まるが、様々に工夫を凝らして逃げ道を残す。

波島想太 @ele_cat_namy

人身売買を取り締まる刑法がなかったことは、戦後、日本国憲法を制定してからも横行を許した。溢れ変える戦災孤児の人身売買を取り締まろうにも、労基法、職業安定法、児童福祉法等しかなく、それらの罰則は軽くて効果が期待できなかった

2017-08-15 11:31:48
波島想太 @ele_cat_namy

GHQの指示で公娼制は廃止させられるが、「性感染症予防に努めることを条件に貸し座敷制度を名前だけ変えて公然と残る。前借金などで拘束することを表面的には禁じるものの、「個人の自由意思による売婬行為は別問題」と逃げ道を残した。

2017-08-15 11:36:07
波島想太 @ele_cat_namy

(こんなんばっかりやなあ……)

2017-08-15 11:38:28
波島想太 @ele_cat_namy

戦災孤児は大きな社会問題であって、1947年には厚生省に児童局が設置され、同年児童福祉法が公布された。翌年には里親制度が確立される。しかしこの里親制度も実質的な人身売買の温床になってしまう。養子として迎えつつ、家業に従事させ、その扱いも実子とは大きく異なるなどということもあった。

2017-08-15 11:52:09
波島想太 @ele_cat_namy

(現代に至っても日本は「人身売買の横行する国」という認識であるわけで) twitter.com/Simon_Sin/stat…

2017-08-15 13:13:34
Simon_Sin @Simon_Sin

「日本には奴隷制度がある」というと多くの人は否定するけど、実際に日本はアメリカ国務省や国連に「人身売買に関わっている国」として批判されてるんだよね。この『実習生』も奴隷の一形態だと国際社会からは認定されている。足に鎖を繋いで鞭打ってないから奴隷じゃないと考えてるのは日本人だけ twitter.com/cybershottad/s…

2017-08-14 21:36:11

養子制度の落とし穴

波島想太 @ele_cat_namy

本書では養子とか貰い子という名目で実質的な人身売買、虐待行為がおこなわれた漁村の事例として山口県情島の「梶子」と沖縄県の「糸満売り」を紹介している。

2017-08-15 13:27:06
波島想太 @ele_cat_namy

操業中の船の櫓を操る「梶子(舵子)」と呼ばれる少年二人が親方の暴力、虐待に耐えかねて脱走、駐在所に保護を求めて駆け込んだことで大きく報道された。約50人の梶子のうち前借金で連れてこられたのと戦災孤児がそれぞれ9名、感化院や孤児院からが22名いた。

2017-08-15 13:44:45

※感化院:もと、非行少年や非行少女の保護・教化の目的で設けられた施設。少年教護院・教護院を経て、現在は児童自立支援施設と改称。 (デジタル大辞泉

波島想太 @ele_cat_namy

結局8名が親元に帰るか別の就労先に移ったが、残りは「双方とも新憲法の精神にもとづいて慈愛の手をのべ、よく働くことを誓」うということにして、そのまま島に残ることになった。

2017-08-15 13:49:54
波島想太 @ele_cat_namy

感化院や孤児院は手頃な受入先と考えていた節があり、孤児は家庭的な環境で漁業技術を身に付けられ、働き手を探していた島の人たちは助かっている。困窮のあまり多少は度を越してしまったが、その後は改善しているなどと問題を矮小化しようとした。梶子制度が不良少年の更正になるという論もあった。

2017-08-15 13:53:26
波島想太 @ele_cat_namy

再び脱走したこどもが保護される事件が起き、全く改善していないことが明るみに出た。朝は早く夜遅く、休みは盆と正月のみ、漁で失敗があると棒が折れるほど殴られ、20名の梶子のうち通学できているのは一人だけ、それも年間十日に満たないという。

2017-08-15 13:56:31
波島想太 @ele_cat_namy

すでに報道で知られていたが、情島をモデルにしたドラマが作成され、映画にもなった。完全な事実だけでなく過剰な演出が見られるため、民俗学者の宮本常一は現実とは違うと反論した。宮本は梶子への暴行も「わるい子を叱るのはあたりまえのこと」と擁護した。

2017-08-15 14:01:27
波島想太 @ele_cat_namy

(徹底的に歩いて回ることで人々の本音を聞くことを是としていた宮本氏がこんなことを言っていたとは。なんというか、うーむ)

2017-08-15 14:08:36

※宮本常一氏については過去に関連まとめがあるので興味を持たれましたらこちらをどうぞ。

まとめ 明治~昭和初期の結婚のカタチについて ほんの100年くらい前の結婚観なのですが、なかなか知らないことばかりです。 28990 pv 219 22 users 63
波島想太 @ele_cat_namy

「糸満売り」は糸満だけでなく、糸満漁夫が移住した八重山などにも見られる。前借金で本島北部や奄美の子供が糸満漁夫のもとへ売られ、過酷な漁業労働に酷使された。年齢は10才から、徴兵検査の頃まで使われたという。

2017-08-15 14:11:48
波島想太 @ele_cat_namy

売られてきた子供たちは泳ぎを覚えるために腹に縄をつけて海に放り込まれたり、漁で失敗すると櫂で殴られたりしていた。だが周囲の人々は貧困家庭の子供の職業訓練としてやむを得ない慣習と見ていた。人身売買の意識はなく、素朴な気持ちからの相互扶助という考え方すらあった。

2017-08-15 14:16:20
波島想太 @ele_cat_namy

「糸満売り」は戦後も続き、1954年脱走した少年たちが保護されるなどして問題になり、アメリカの施政権下にあった琉球政府も対応を迫られる。しかしこの少年たちもまたもとの漁家へ返されてしまう。実家の場所がわからず旅費もない、町に解放しても未成年ではかえって危険だからという理由である。

2017-08-15 14:20:39
波島想太 @ele_cat_namy

琉球新報などが批判的な記事を載せ、ここでも琉球政府が対応を迫られる。それでも結論は「貧困のため借金、年期奉公はやむを得ない」「本人や親権者が技能職として漁師を選択しその養成を希望している」「有能な漁夫に養成するには、幼少からの訓練が必要」と子供の労働、虐待を正当化した

2017-08-15 14:24:27
波島想太 @ele_cat_namy

現状を肯定するために詭弁を弄する大人たちの醜い姿がここにある。八重山労働監督基準監督署長までもが「子供も暑い夏に家で汗をかくより海で泳いだ方がよい」「当人たちも学問はいらないといっているのであります」などと言い放つ始末。

2017-08-15 14:31:20
波島想太 @ele_cat_namy

沖縄には他にも貧農の子が富農に売られるインジャ、首里の辻遊郭に売られる辻売り、慶良間に売られる慶良間売りなどがあった。

2017-08-15 14:33:07
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