ぐだぐだ文アル帰省旅 その6(終) ーあつみ温泉編ー
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あの後丸岡から移動しまして…
子規が戊辰戦争の古戦場行って詠んだ「蜩の二十五年も昔かな」って句があるんですけど、戊辰戦争から25年しか経ってないのか…って思うと何かくるものがある(写真は句碑) pic.twitter.com/W57rDafqyn
2017-08-26 00:08:38途中、庄内町清川地区にある清河八郎記念館に寄りつつ正岡子規の句碑を拝んで…
今回の帰省旅最後の訪問先、あつみ温泉の瀧の湯さんへ!!
なぜ自分の地元なのにわざわざ温泉宿をとったかというと…
「夜の靴」で実際に名前の出ている御宿だからです。
あつみ温泉は利一さんの避暑地の中でも特に好きだったところで、戦前は毎年ここに来て長期滞在していました。
どのくらい好きかというと、ヨーロッパ紀行でせっかくパリに滞在しているというのに「日本帰りたい。帰ったら東京はどうでもいいから温海行きたい(意訳)」と奥様にお手紙でこぼすぐらい。
「パリにいると鶴岡が如何に良いところかよく分かる」みたいなことも言ってます。本当に好きだったんですね…。
地味に来たこと無い辺りなので散策中 隣が足湯カフェのチットモッシェです。 pic.twitter.com/ADH9byWyot
2017-08-16 18:24:33たちばな屋さんの前に、もっけ湯という無料の足湯がありました。川眺めながら足湯につかれる pic.twitter.com/Ul3Q1IGy6d
2017-08-16 18:35:44このあつみ温泉は、とうらぶの長曽祢虎徹を打った刀工の源清麿の弟子、藤原清人(きよんど)の出身地でもあります。
6月に致道博物館で講演を聞かれた方はちらっと耳にしてるはずですし、その時の展示にも出ていたので見てる人も多いかと。
この後は御宿に戻ってご飯…は食べるのに夢中で写真撮るのを忘れました。鯛の兜揚げが美味しかったです。
御宿のホームページから、お部屋のタイプを指定して予約できるんですが、部屋の紹介に「川端の部屋」と普通に書いてあって予約したとき最初なに書いてあるのかわかりませんでした。よく考えると何も間違ってはいないのですが…利一さんの宿の川端のお部屋…(大混乱)
こんなことしながら館内をうろうろしていると…
支配人の方とエンカウントしたので話を聞いてきました。 清人の父親は仙台藩士なのはわかってるらしいんだけど、母親の話は出てこない。もしかしたら温泉宿の芸者さんなんじゃないかって。 で、温泉宿の瀧の屋で同じくらいの歳の子と一緒に面倒見てたらしい。
2017-08-16 22:36:54そんな中で温海の斎藤さんって鍛冶屋さんが酒井の殿に「あと継ぐ息子いるの?」って聞かれてうっかりいるって答えちゃって嘘つくわけにはいかないから、それでもらわれていったのが清人の鍛冶屋人生のスタートらしい。そのあとは清麿に弟子入りしてーなのでみんなが知ってる通り。
2017-08-16 22:42:34昔のこの辺の温泉は、家ごとにどのお宿に世話になるのか決まってて家とお宿は密接な関係にあったので宿を変えるのはかなりの事なんだけど、千代さんは他家に出てった身の上だからそんなにお咎めは無かったらしい。
2017-08-17 08:52:59湯治の世話はもちろん、季節の行事ごとのお世話や果ては嫁入りの仲人まで勤めてたとか。
昨日も言った通り、利一さんが泊まった建物は戦後の大火で焼けてしまって今はありません。焼けた後すぐに建て直したのが今の建物。 昔は川っぺりの道がもっと狭くて建物自体が川によってたそうです。 pic.twitter.com/NVFzP6q4W4
2017-08-17 08:56:06川っぺりのお部屋は昔あった建物とほぼ同じ間取りで作ったそうなので眺望は変わってないとか。 利一さんが泊まったって言われた部屋を再現したお部屋もあるので行きたい人は問い合わせてみてください。 pic.twitter.com/MuM1Qmicsd
2017-08-17 08:59:37