現代の「女人禁制」 性差別の根源を探る
- hibari_to_sora
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バス駐車場が結界の先にあった時は、女性のバスガイドが入れるように県がかかわった。「県はかかわらない」というのはウソ。合理性を持つためには、再び「私道」にもどすしかない。新聞記者が国土交通省に問い合わせをしたら「法的にあり得ない」という回答があった。
2011-03-21 14:28:34後半開始。まずは質問・意見から。いきなりわたしのところにマイクが来たけど「早すぎる」ってことで、とりあえず他の人へ。編集者の方が発言。
2011-03-21 14:49:28違法状態をどう見直していくのか。具体的にいい方法は?あと、もっとも力を入れたのは森永さんのところ。ここが原点。あと、「韓国の研究者を探せ」と言われて一生懸命探した。「女性が出産したら門に唐辛子をくくりつけるという慣習がある」。これに対して規模が違う。
2011-03-21 14:52:10訴訟の条件がきわめて限定されている。基本的には事件性がなければ訴訟が起こせない。訴訟の過程でしか法律を問えない。なので、管理者が相手。村道の場合は村長。訴訟を起こすのは、実は難しい。
2011-03-21 14:56:55源さん。慣習を変えるためにはどれくらい登ればいいのかがない。逆に、何人登っても慣習は問題視されない。もうひとつは、戸開け以外の時には
2011-03-21 14:59:36みんなが意識を持てば過去のものになる。女性といわれる人たち自身が「結界」と定めてしまう。「入る?」と言われた若い女性が「気色悪い(たたり)」と答えたとか。科学で証明できないものへの畏れは、昔も今も変わらない。世界的に法律があることが届いても、「何かあると怖い」
2011-03-21 15:02:13法律でこうなんだよじゃなくて、日常のことから提起していかないといけないかなと思う。一方、ある人にとっては解決されている問題。そういうのをどう共有していくか。
2011-03-21 15:04:53Hさん。前のシンポのあとに、「事件(笑←いつき注)」があった。新聞に載った時にブーイング。「会」とは関係ない行動だったのに、抗議のメールが来た。実は、登っている人はたくさんいる。が、「登った」と言うとバッシングがある。某巨大掲示板に名指しで「死んだらいいのに」と書かれる。
2011-03-21 15:07:22近代以降のハンセン病の問題は、日本では患者の消滅であって、暴力的だったが、それが民衆・皇室の善意の形を持っていた。それが「あきらめ」「当然の選択肢」を持っていた。強制収容ではなく、自ら収容所に言った。おそらくその方が多い。
2011-03-21 15:13:56民衆の善意は、本当に「善意」である。ポスターやラジオや映画の幕間で出てくる。「物乞い」をしていた人が自分のお金を寄付するという「美談」。善意の寄付によって療養所が維持され、隔離が推進されていく。このことが、96年まで社会問題化されなかった一因ではないだろうか。
2011-03-21 15:15:58源さん。長島愛生園に行くとわかることがある。教会に入り口がふたつあった。そこには結界があった。そのことを当たり前に受け入れていった患者さんたちの気持ち。差別される側がそれを受け入れていく問題とつながるかなぁと思う。
2011-03-21 15:17:34Mさん@元新聞記者。根本は、「社会防衛思想」である。これは、多数を守るためには少数は犠牲になっても仕方がないという思想。当時、富国強兵と重なっている。兵隊として役に立たないものはおってもらったら困るという考え方。
2011-03-21 15:22:59患者が一番いやがっていること。それは、慰問である。理由もないのに物品をもらうことに怒りを持つ。自分たちを殴ったのに、殴ったことを伏せていおいて涙を拭きに来るのが「慰問」である。
2011-03-21 15:26:26意見?質問?部落問題にかかわって。出産の時に、実家からお餅をもらってくる。「寿と書いてくれ」と言ったら、「渡すのはこちらだ」と言われた。女性問題、みんなに伝えていくのは難しいというジレンマをかかえながら毎日生活している。
2011-03-21 15:31:14