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最新研究で常識が変わった19の文明交流史

中国古代史(夏~三国) 日本古代史(弥生、ヤマト王権) ・「夏殷」と「弥生」の青銅器は、ヨーロッパ(黒海北岸)から伝播したものだった ・アレクサンドロス大王の帝国と秦帝国は、交流関係があった 続きを読む
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 銅鐸と漢代の銅鈴を比較すると、漢代の銅鈴は、つまみの部分が小さいという特徴があって、つまり逆に言えば、銅鐸は、本体を延長してつまみをつくっているので古い技術でも、強度を保てるということだと思います。

2017-03-15 23:02:06

殷と弥生は似ている

巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 殷と弥生の文化は似てるのに、漢と弥生の文化が全然似てないのは、ちゃんと理由がありまして、長い間「石器と土器の文化」だった社会でも、「青銅」に向かって産業転換が可能なのが西アジア由来の「初期青銅器文化」で、「古びてるけど、確かな技術、ノウハウ」があった訳です。

2017-03-16 22:35:23

漢と奈良時代が、似ていると感じることも

巫俊(ふしゅん) @fushunia

本居宣長ゆかりの三重・松阪で銘菓「鈴もなか」を買うと、古代の奈良時代の「駅鈴」の形をした鈴が箱の中に入っていて、驚きました。形状を見れば分かるけど、中国風の鈴です。日本の銅鐸と中国の鈴は、どちらも殷代の銅鈴にルーツがありますが、前者は淘汰されて消えてしまったようです。

2017-03-18 17:47:37
巫俊(ふしゅん) @fushunia

今日は、「銅鐸の価格」についての論文を少し読みました。他にコピーする論文などがあったので、急ぎ読みでしたが…美術品や骨董としての銅鐸の価格ではなく、当時の弥生人がどれくらいの支払いをして、銅鐸を購入していたのか?の推計のようです

2017-07-08 22:43:34
巫俊(ふしゅん) @fushunia

漢代の中国国内の穀物の価格、青銅の価格の比率から、逆算していくという、ちょっと素人には、「えっ?」となる計算法でしたが、流石に大量生産している古代中国だけあって、青銅はかなり安く、穀物とか奴隷を舟に乗せて楽浪郡にもっていったら、青銅素材が買えたらしいです。

2017-07-08 22:49:39
巫俊(ふしゅん) @fushunia

日本列島に持ち込まれた青銅素材は、工房の中で溶かされて、銅鐸になる訳ですが、ひとつの郡(律令時代の単位)から3~10個程度の銅鐸が出土しているので、そこから希少価値を計算したところ、ひとつの倉庫にぎっしり詰め込まれた穀物があれば、それと交換で銅鐸1個を買えただろうとのことでした。

2017-07-08 22:57:35
巫俊(ふしゅん) @fushunia

貴重な「倉庫ひとつ分」の穀物を放出してまで、欲しがる銅鐸ですから、ドラクエなどのゲーム内のショップに売ってる高額のアイテムと同じくらいの「効果」があると信じられていたのでしょうか? 「はがねのつるぎ」とか絶望的に高かった気がするけど、そんな感じだったのかも。

2017-07-09 12:20:18

銅鐸が消えた理由

据え置き型家庭用ゲーム機からスマホへ

大型化した銅鐸は、突然放棄され、銅鏡などの小型で便利な「青銅製品」に資源が使われた

銅鐸と銅鏡の共通点は、「光沢(キラキラ)」と「紋様(デザイン)」

巫俊(ふしゅん) @fushunia

弥生時代終末期に大型銅鐸が衰退、終幕を迎えたことについては、ゲーム機の据え置き機が大型化(必ずしもハード重量が増加してないかもしれませんが、比喩として)した末に、今どうしようもなく売れなくなっているのと似てるのかもしれない。

2017-03-12 01:55:40

古墳時代の日本列島の軍事ドクトリン、戦略

巫俊(ふしゅん) @fushunia

調べていたら、変わった論文を見つけました。 fieldnote.info/archive/7cOkay… 七世紀研究会シンポジウム 「北方の境界接触世界」 岡安光彦「軍事考古学的に見た領域構造」 飛鳥時代の日本列島の軍事ドクトリンについて書かれているようです。

2017-05-19 23:47:01
巫俊(ふしゅん) @fushunia

「古墳時代中期における軍事力の概念図」 という言葉を聞くのは、初めてな気がします。 英語の戦略・戦術用語?で作図されています。 この分野(『日本書紀』、『古事記』の世界)は、何故か軍事クラスタの活躍があんまり目立たないようでして。

2017-05-19 23:51:37
巫俊(ふしゅん) @fushunia

論文のP4から引用「古墳時代中期における日本列島の戦士集団の武装システムは、きわめて特異である。騎兵組織を導入できる段階にありながら、軍集団としては、完全に歩兵集団としての編成のみを指向しており、短甲と剣による装備に固執している」 こういう話が興味深いところです。

2017-05-19 23:54:41
巫俊(ふしゅん) @fushunia

echiba.org/pdf/kenrenshi/…  論文「房総半島中央部の横穴墓制」 考古学の論文ですが、古墳時代の交通路の研究から、大化以前の屯倉(みやけ、稲置もここに置かれた)について突っ込んで考察されていました。

2014-03-18 03:00:52
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