創作荘東京オフ会小説『絡めた指、唐草模様』その13・その14
#創作荘 東京オフ会小説 絡めた指、唐草模様 13 「ベレニケ様! ベレニケ様!」 フェリシアさんが、叫びながらドアを叩いている。 「わらわは無事です。藍斗さんと一緒に行きます」 きびきびとベレニケさんは答えた。 「落ち着いたらわらわが物語を書くのを助けて頂けませんか?」
2017-09-16 13:08:59「助ける、というほどのことはできないかもしれません。でも、完成したならきっと読みます」 私がそう答えると、ベレニケさんは笑った。 「では、ほんの少し準備がありますから先に部屋を出て待っていて下さい」 私がドアを開けると、フェリシアさんの強張った顔が現れた。 「首尾は?」
2017-09-16 13:10:24「脱出するから少しだけ待って欲しいそうです」 「どうやら魔女を処刑せずにすみそうだ」 出だしから華々しい冗談を浴びた。そのあとドアが開き、ベレニケさんも出てきた。 「フェリシア、街の人々は?」 「今、私の部下が港に誘導しています。ベレニケ様には、別個に馬車を構えました」
2017-09-16 13:11:13「何故わらわは別なのです?」 「失礼ながら、ベレニケ様のお顔を知る者がいたら、無用な混乱を起こすかもしれないからです。一刻を争います」 「分かりました。では、占い師と藍斗さんも一緒にして下さい」 静かに、それでいて強い口調でベレニケさんは頼んだ。 「かしこまりました。こちらへ」
2017-09-16 13:12:34フェリシアさんに導かれ、私とベレニケさんは商館の裏口を出た。狭い路地に馬車が止めてある。 お伽噺にあるような豪華なものじゃなくて、壁つきの荷台に車輪がついただけのものだった。できるだけ目立たないようにしたのだろう。御者台には誰か男の人が乗っていた。フードを被っている。
2017-09-16 13:13:47「藍斗とやら、占い師を連れてきてくれないか?」 フェリシアさんが私に言った。 「その必要はありません」 御者台から声がした。びっくりした私達に、男ものの服を着た浅縹さんが、フードを外して顔をさらした。 「いつの間に……」 さすがのフェリシアさんも、毒気を抜かれたようだ。
2017-09-16 13:14:40「本当の御者さんは、空から降ってきた岩で頭を打って亡くなりました。そこまで占ったのではありませんが、噴火が始まればかけつけようとは思っていました」 「なら、街を出てヌチェーリアまで行きなさい。そこの支店に話を通してある」 それが、ポンペイから東へ十数キロにある街で、
2017-09-16 13:15:18現在ではノチェーラと呼ばれているのを私は知っていた。 「フェリシアはどうするのです?」 「私は市民の避難を助けるために残ります」 何の気負いもない回答だった。 「占い師よ、よろしく頼む」 ベレニケさんが言った。 「かしこまりました」 それ以上時間を無駄にできなかった。
2017-09-16 13:18:43ベレニケさんに続いて、私も小さく礼を言って馬車に乗った。すぐに浅縹さんは馬車を出した。 振り向くと、フェリシアさんはじっと私達を見守っていた。手を振るような状況ではないから、少し目を合わせただけで正面に向き直した。ベレニケさんは、じっと前を見ていた。暗くなった空の下でも、
2017-09-16 13:19:55唇を噛んでいるのが見えた。馬車が表通りに出ると、それまでは耳にしていただけだった街中の混乱が、一気に目に入った。火山弾に足を砕かれて這い回る人がいたり、建物に隠れようとして閉めきられたドアを叩き続ける人がいる。港に行って船に乗れ、と辻々で叫ぶ声もした。フェリシアさんの手配か、
2017-09-16 13:20:44大半の市民は港に向かっているようだ。馬車は、倒れた人や瓦礫の間を縫うようにして東へ進んだ。火山灰に覆われた重苦しい空から、夕陽が背中を焼く頃にさしかかって、ようやく馬車はポンペイから抜けられた。 「すまぬ、ここで少し止めて頂けまいか」 浅縹さんはすぐそうした。 続く
2017-09-16 13:21:53#創作荘 東京オフ会小説 絡めた指、唐草模様 14 「藍斗とやら、忘れぬ内に褒美を遣わせましょう」 「え? 何も今……」 と、口ごもる私に、ベレニケさんは懐から、大人の握り拳くらいの薄い板のようなものを出した。長方形をしていて、白い枠の中に黒いパネルがはまっている。
2017-09-17 00:18:03「わらわが父から頂戴した秘宝です。国を出る時の餞別でした。何の用に用いるかは分かりませんが、そなたならうまく使いこなすやも知れません」 それから、ベレニケさんは宝石つきの指輪を外した。 「占い師よ、そなたにはこれを」 「それは皇帝陛下の……」 浅縹さんも驚きを隠せない。
2017-09-17 00:19:13「噴火が始まった直後に、飛んできた岩がわらわの背中に当たりました。背骨はそれましたが、折れた肋が身体のどこかを刺したようです」 「何故それを……!」 浅縹さんは、大きく目を見開いた。 「言えば、そなた達の脱出が危うくなりました。フェリシアにも余計な心配をさせます」
2017-09-17 00:20:20「ま、まだ間に合います! せめて応急処置を……」 そんな経験もない癖に、私は必死になっていた。ベレニケさんはそのまま荷台の床に倒れた。顔が横を向き、血が一筋流れた。浅縹さんは馬車から降りて、大急ぎで脈を取った。 「亡くなられました」 ぽつりと告げて、力の消えたベレニケさんの
2017-09-17 00:21:20腕をゆっくりと降ろした。家族でも親戚でもない人の死に直接立ち会うのは、生まれて初めてだった。浅縹さんは、ベレニケさんの両手を胸の前で組ませて、手で髪を整えた。 「遺体が損なわれる前に、ヌチェーリアへ行って埋葬の手続きをしましょう。藍斗さんは、よければ、付き添って頂けませんか?」
2017-09-17 00:22:12「はい」 「ありがとうございます」 浅縹さんは御者台に上がり、改めて馬車を動かした。 生きていれば、どんな物語を書いたことだろう。私の作品も読んで下さったろうか。悲しくもあり、わずかな間に遺した印象が強くもあり、不思議と涙は出なかった。悲しくもあり、わずかな間に
2017-09-17 00:24:14遺した印象が強くもあり、不思議と涙は出なかった。 ポンペイを出る時に比べれば、事務的なお話は呆気なく済んだ。浅縹さんがフェリシアさんのいう支店に事情を説明して、てきぱき進めた。いちいちそれを説明する必要はないと思う。遺体は火葬されて、遺灰を収めた壺を支店に預けておしまいだった。
2017-09-17 00:26:15その晩は、浅縹さんと一緒に、支店の仮眠室に泊まらせて頂いた。お店の方々はとても親切で、丁重に接して下さった。それだけに、ベッドに腰をかけると、ベレニケさんの姿をあれこれ思い出した。何気なく、最期に頂いたものを出して、あれこれつつくと、縁にコードのジャックがあるのが分かった。
2017-09-17 00:27:02ふと私は、自分のスマホと、充電ケーブルを出して繋いで見た。 「リテラチャー・ラジオ! 土曜のDJはみどりんでーす! ウェーイ!」 「みどりん!」 「……なんて喜んでばかりもいられないね。暦の上ではもう秋かあ。和歌の一つでも詠んでみたい」 みどりん! 私、ここにいるよ。
2017-09-17 00:29:38「と、ここでリオ@給湯室より愛を込めてちゃんから『奥山に もみじ踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき』、猿丸大夫の和歌だって。暑さ寒さも彼岸までっていうけど、自分の気持ちに一区切りつける機会にもなるんじゃない? ま、寂しくなったらダイヤル回してね。いつでもドアは開いてるし」
2017-09-17 00:31:55本当かな? みどりんが嘘をつくはずがない。馬 鹿げた試みとは思いつつ、私は仮眠室のドアを開けた。 「あ、浅縹さん! 藍斗さんも!」 りおんさんが、八つ橋を摘まんだまま言った。 「あれ……他の皆さんは?」 浅縹さんが、首をかしげている。その右手の人差し指には、
2017-09-17 00:32:44宝石つきの指輪がはまっていた。 「さあ? リオちゃんも給湯室に行ったままですし」 「そうですか」 席に着いた浅縹さんの頭上には、一枚の肖像画があった。最初に目にしたものじゃない。間違いなく一枚増えている。厳しい目つきをした、辛辣そうな風貌の女性だ。
2017-09-17 00:33:41『フェリシア・オズボーン 36?~98? オズボーン一族の開祖。若年時、イギリスからイタリアに赴き、再びイギリスに戻る。イタリア滞在中に稼いだ資金で泥炭の取引を始め、一族の基盤を設ける』とあった。 「私、探してきます」 りおんさん達に告げて、また会場を出た。 続く
2017-09-17 00:34:30