#創作荘 東京オフ会小説 絡めた指、唐草模様 23 そこで私は、絶対に知らねばならない話がもう一つあるのに気づいた。 「船で……他に生き残った人っているのかな」 「おらんやろ」 はっきりと残念そうな表情になるみどりん。 「そう」
2017-09-25 19:47:29「あたしらも、島でこの先どれくらい生きられるか分からへん。でも、これだけはいえるで。自由や。誰にも文句いわれん」 自由は確かに尊い。ふと箱に目をやると、燃え盛る暖炉にツルハシを交差させた刻印が見えた。刻印のすぐ下には、ラテン語でオズボーン商会、1494年5月と刻んである。
2017-09-25 19:49:04「1494年……」 「読めるんか? あたしは家族ごと他所の国から移ったんで、ラテン語は全然読めへんのや」 「こ、今年かな」 「去年やで」 正確な年代を知ることができて安心……できるはずもない。 「箱はどうせ開かへんのやし、泳ごうや」 「そ、そうだね。でも水着が……」
2017-09-25 19:51:13「せやな。女同士でも恥ずかしいことあるもんな」 みどりんは、また別な箱を開けて、丁寧に畳んだシーツを出した。ナイフで自分と私の体格に合わせて切り裂き、頭が出る部分に穴を開けた。 「腰のとこは縄があるから、それで適当に縛ってや」 「うん」 こうして、即席の水着を身につけて、
2017-09-25 19:52:15私達は海に入った。一度泳ぎ出すと、不安やいきさつは頭から離れていった。海水が目にしみるから、長い間潜ってはいられない。それでも、少しはリゾート気分に浸れた。 「藍斗~、濡らしたる~」 浜辺で、みどりんがふざけて海水を手で跳ね飛ばした。 「みどりん、私もうとっくに濡れてるよ~」
2017-09-25 19:54:02そう言いながら、私もお返しした。 「藍斗~、冷たいやんか~!」 「もう~自分から始めた癖に~!」 水遊びを思う存分楽しんでから私達は砂浜に上がり、仰向けに倒れこんだ。 「なあ。帰りとうはならん? あたしはこのままでもええねんやけど」 みどりんは時々、どきっとする質問をする。
2017-09-25 19:55:09でも、いつも本音で生きている。とても羨ましい。 「そうだね……嫌じゃなかったら、みどりんが船に乗ったいきさつを教えて欲しいな。嫌だったら、ごめんね、忘れて」 二人して空を眺めたまま、私は聞き返した。みどりんにとって、とても繊細な問題なのは承知している。それでも、
2017-09-25 20:00:28話がこうなった以上は知らねばならない。 「お話を書いたからや」 「クーデターを狙ったとか?」 「そんなんやない。ただの恋愛話や。はしたないって。アッホらし。実話を書いて誰かが気い悪うしたんなら別かもしれへんけどな、書くこと自体がみっともないってなんやねん」
2017-09-25 20:02:27時代はルネッサンスとはいえ、即座に誰にでも自由がもたらされるはずもなかった。 「はしたないいうんやったら、ボルジア一家とかどうすんねん。教皇のアレクサンデルなんて愛人が三人や四人やない。それで生まれたチェーザレは一八歳で枢機卿や。チェーザレ本人も実の妹と肉体関係あるねんで」
2017-09-25 20:04:20当世の最新スキャンダルがみどりんの口から出てくるのは中々に複雑な気持ちだ。 「とにかく、皮肉な話、あたしは修道院に送られるんが決まったんや。一生聖書の写本でもしよりやと。ふざけんな」 みどりんの決断は、私も心から支持する。密航されたオズボーン商会にはとても迷惑にしても。 続く
2017-09-25 20:06:29#創作荘 東京オフ会小説 絡めた指、唐草模様 24 その気持ちはとても良く分かる。不用意に口を開くと、みどりんの繊細な気持ちを台無しにしそうで、それが怖くて意見を控えた。 「だから、あたしは家出して、港にいた船に密航したんや。それがあれや」 あれとは横倒しの帆船のことだった。
2017-09-26 20:58:44「密航してた時に、あたしにこっそり水や食べ物を分けてくれたんが藍斗や」 そんな記憶はない。でも、みどりんが助かったのなら良かった。 「藍斗から、船はローマを出港してフランスのマルセイユを目指すいうて聞いた。あたしは、不安ながらもわくわくしてた。でも、船は嵐に会うたんや」
2017-09-26 20:59:59当然、私も直面したはずだ。 「壁と天井と床の区別がつかへんほど船は無茶苦茶になった。あたしは、頭を打って気絶して、目を覚ましたらマストに身体を投げかけた格好やった。船は、今見たまんまの姿やった。海面に、仰向けになって浮かんだ藍斗がいたんで、助けて二人で生きることになったんや」
2017-09-26 21:00:50「そうだったの。助けてくれてありがとう」 心から私は感謝した。 「礼いうのはあたしの方や。藍斗がおらなんだら海に放り捨てられてしまいや」 みどりんが言葉を切ったところで、一匹の蟹が私達の間を横切った。 「蟹いうたら誰かを思い出すわ。蟹の傍に砂糖か何かがあったいうて誰やったろ」
2017-09-26 21:02:13その人がいないと、そもそもオフ会なんて生まれるはずがない。今、その人について打ち明けて良いものか。 「誰でもええか。とにかく、藍斗は満足できるん?」 「そうね……火山が噴火したり、湿地で冷水にまみれたりするのに比べたら、全然楽しいよ」 「まるで体験済みみたいな台詞やな」
2017-09-26 21:02:57みどりんは自分で自分のコメントが可笑しかったらしく、軽く笑った。 「喉が乾いたわ。塩水につかったままやと、身体がべたべたするし、嫌な臭いもつくやん。川にいって水着ごと洗お」 「うん」 川は洞穴からそんなに離れていなかった。予想よりは細い反面、水はとても綺麗。
2017-09-26 21:04:26少し上流にある大きな岩に、小魚を食わえた青い小鳥がいてどこかに飛び去った。テレビで時々見る風景の中にいるのかと思う非現実な思いがする。 みどりんは水着のまま川に入った。浅瀬から淵に潜ってすぐに顔を出した。 「水着と身体を洗うんじゃないの?」 岸辺にたったまま私は聞いた。
2017-09-26 21:05:16「今洗っとるやん。藍斗も入り」 「うん」 返事をしつつ、足を少しだけ浸した。 「冷たい!」 「その内慣れるって」 みどりんの励ましに、ぎこちなく笑いながら、一歩ずつ深みに入った。腰から上が濡れる頃には、自分でも大胆になって、そのまま飛び込んだ。やってしまうととても面白かった。
2017-09-26 21:06:12大した水量ではない代わりに流れは思ったよりずっと複雑だった。魚も沢山いた。みどりんが泳ぐ姿が、海よりももっとはっきり目に写った。魚の群れに混じっていて、最初からずっとそこにいるような眺めだった。気が済むまで泳いでから、私達は川の上流で水を飲んで洞穴に帰った。
2017-09-26 21:07:12その時、浜辺に一隻のボートが置いてあるのに気づいた。見通しの良い場所なので私達が川にいた間にやってきた以外にない。 「みどりん……」 「心配せんといて。あたしがおるやん」 もう夕方にさしかかっていた。夕陽を浴びるみどりんの横顔は、頼もしい反面ちょっとだけ怖かった。 続く
2017-09-26 21:09:16