仏教の歩みは「正しい事象の認識」とそれを踏まえた「正しい生き方を探求する」人間たちの歩み

仏教の歩み
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uprightjman @uprightjman

仏教の歩みは、正しい事象の認識と、それを踏まえた正しい生き方を探求する人間たちの歩みであり、経典であれ人師の論であれ、そうした探求の結実なのだ。 自らもその探求の道に入り、先達らの足跡に学びつつ、主体的に真理を求めることに意味がある。そこでは偽経か否かの論点はさほど重要性はない。

2017-11-03 01:06:25
uprightjman @uprightjman

偽経を釈迦が実際に説いたかどうかという意味でとらえれば、法華経を含め原始仏教以外の全ての仏典が偽経。 インドで仏教が早く衰退して新たな経典の創作が打止めになったから、日本や中国から見ればそこまでが「本物」に見えるだけ。 偽経かどうかを論じただけでは何も生まれない。

2017-11-03 00:31:22
uprightjman @uprightjman

日蓮の曼荼羅、即身成仏の教義は真言密教の影響を受けているし、唱題行は真言、念仏の影響を受けている。 日蓮の論理構成は史実と符合しない天台の五時八教を論拠としており、論理の前提自体が維持できない。 しかし、だからどうした?と言わせる圧倒的な魅力が日蓮にはある。

2017-11-02 23:23:40
uprightjman @uprightjman

「ダルマ (理法 )は 、固定化した型にはまったものではなく 、生きた人間の姿に即して 、具体的に繰り広げられる・・実践哲学としてのこの立場は 、思想的には無限に発展する可能性を秘めていました 。のちにいろいろな思想が仏教のなかから成立してくるのも 、ここに由来するのです 。」中村元

2017-11-02 22:24:00
uprightjman @uprightjman

そもそも膨大な仏教経典のすべてに一貫性があるわけでもない。 「自分はいかに生きるか」という情熱なしに仏典を眺めても、得られるものは何もない。

2017-11-02 22:01:20
uprightjman @uprightjman

そもそも原始経典以外の仏教経典は、後世の仏教教団がその正当性を根拠づけたり、学派独自の解釈を表現するために創作したもの。漢訳の過程でも訳者の解釈を大胆に反映した部分も多い。 仏教は釈迦の教えに始まりつつ、「釈迦の仏説」の探求とともに「私の仏説」を探求し、創作する歴史でもあった。

2017-11-02 21:54:47
uprightjman @uprightjman

そうですね。そう考えれば仏説非仏説の捉え方も全く変わってきますね。

2017-11-03 10:51:23
無頼 @BakaPochi

@uprightjman ブッダは本来ひとりではありませんからねぇ。

2017-11-03 08:23:08
Satoru Ukai @hakaruwakaru

連ツイ共感しました。仰る通りだと思います。創大在学時、大乗非仏説を知り自分なりに悩み考えました。今、思うのは、偽教とかいう論説は、日本国憲法が米国からの押し付けだという言い分と大差ないという事です。如是我聞とは実際の時空を超越した師と弟子との魂の対話から生まれるものだと思います。 twitter.com/uprightjman/st…

2017-11-03 08:15:00
uprightjman @uprightjman

@hakaruwakaru 「如是我聞とは実際の時空を超越した師と弟子との魂の対話から生まれるものだと思います。」 とても素晴らしい言葉ですね。感動しました。

2017-11-03 11:07:11