2017年11月10日

【二年前のツイートから】「自分たちは誰かの自由や表現や権利を制限しろと要求しているのではない」と言うために自分たちが「悪であり制限すべきだ」と思うものを「自由ではない」「表現ではない」「権利ではない」と言うのはおかしな話だ

「自由だったらいっさい制限してはいけない」「表現だったらいっさい制限してはいけない」「権利だったらいっさい制限してはいけない」と思うから「そんなの自由ではない」「表現とは呼べない」「権利というほどのものではない」と言って制限しようとする。
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渡邊芳之 @ynabe39

「自由だったらいっさい制限してはいけない」「表現だったらいっさい制限してはいけない」「権利だったらいっさい制限してはいけない」と思うから「そんなの自由ではない」「表現とは呼べない」「権利というほどのものではない」と言って制限しようとする。

2015-11-10 06:10:00
渡邊芳之 @ynabe39

「自分たちは誰かの自由や表現や権利を制限しろと要求しているのではない」と言うために自分たちが「悪であり制限すべきだ」と思うものを「自由ではない」「表現ではない」「権利ではない」と言うのはおかしな話だ。

2015-11-10 06:12:49
渡邊芳之 @ynabe39

自分は「自由でも表現でも権利でも公共の福祉の観点から最小限の制限を設けることはできる」と考えるので、制限したり規制したりすべきものを自由や表現や権利から除外する必要はないと思う。

2015-11-10 06:15:45
渡邊芳之 @ynabe39

同時に、どんなにひどいことで明らかな被害者がいるという理由であっても、なにかを制限したり規制したりすることはつねに「自由や表現や権利の制限」であるから、慎重であるべきだし最小限であるべきだと思う。

2015-11-10 06:18:21
渡邊芳之 @ynabe39

「そんなの自由でも表現でも権利でもないからいくら制限してもなんの問題もない」というようなものをどんどん増やしてしまうことには反対である。

2015-11-10 06:20:11
渡邊芳之 @ynabe39

と、起き抜けにまた同じことを繰り返し書きました。

2015-11-10 06:20:56
渡邊芳之 @ynabe39

これも繰り返し書いているように、自分は差別表現やヘイトスピーチを法的に規制することには基本的に賛成だけれども、それは「公共の福祉に基づいた表現の自由や権利の制限」であるから最小限であるべきだし、規制されるものを自由や表現や権利の範疇から除外しようとすることには断固反対。

2015-11-10 06:24:58
渡邊芳之 @ynabe39

まったくそうで、「公共の福祉」のほうが変化すれば制限されるべきものも変化する、というのが現にいま起きていることである。

2015-11-10 06:30:50
渡邊芳之 @ynabe39

「個人の自由だから他人に口出しされるいわれはない」みたいな考え方がいけないのだと思う。自由であっても、というかむしろ自由だからこそ他人からじゃんじゃん口出しされるというのが現実だと思う。

2015-11-10 06:33:35
渡邊芳之 @ynabe39

自分は同じことを繰り返し言っているだけである。

2015-11-10 06:43:57
渡邊芳之 @ynabe39

現代の「責任」の考え方でいえば、個人が自分の言動に責任を持つのはそれが「自由意思」によると思われる場合だけで、自由でないことは個人の責任ではない。むしろ自由だからこそ他人に文句を言われるのである。

2015-11-10 06:47:14
渡邊芳之 @ynabe39

脳に電極を埋め込まれて遠隔操作でひどいことを言わされている人は「自由ではない」ので、その発言の責任は本人ではなく操作している人にあるし、文句を言われるのも操作者である。しかし操作者の脳にも電極が埋め込まれている場合は....

2015-11-10 06:51:20
渡邊芳之 @ynabe39

自由意志の概念と個人の責任の概念が一緒に発達したというのはその筋ではけっこう定説らしい。

2015-11-10 10:26:23
渡邊芳之 @ynabe39

就職にしても結婚にしても子育てにしても「自分の意志で自由選択できる」ことが最大の不幸になってしまっている。

2015-11-10 10:27:31
渡邊芳之 @ynabe39

そのてん俺は「自由意志というのはある条件のもとで生じる意識であり感覚であって,その行動が実際に自由であるかどうかとは関係がない」と考える心理学者なので。

2015-11-10 10:29:15

コメント

easyiizi1111 @easyiizi1111 2017年11月10日
これ昔から思ってました(佐藤藍子)。気に入らない存在を「庇護権スコープ」から外すやり方、表現規制論争に限らず、また右左立場に関わらず、よく見られる「技法」。警戒しないといけない。
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