アブー・ザイード・カンの物騒な横恋慕のエピソードから始まる、13世紀イルハン朝の大黒柱、アミール・チューパーンにまつわるお話

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@hoshinospw ユースフ・ブケ يوسف بكا Yusūf Bukā (不詳。やはりオルジェイトゥ時代のシリア遠征で上述のトクマクらとオルジェイトゥ幕下の中軍に配置されており、叛乱鎮圧後の裁判ではイリンジンがユースフ・ブケらからチューパーン討伐の勅書を授受した云々と弁明している)

2017-11-12 03:44:53
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@hoshinospw また上述のイリンジンらの息子達のうち、  シャイフ・アリー شيخ على Shaikh `Alī はケシクの一員だったのかアブー・サイードの内廷に近侍して「アブー・サイードの絶大な信任を博していた」といい、父に内応してチューパーンの息子ディマシュク・ホージャ暗殺を企てるも果たせず、処刑される。

2017-11-12 03:58:41
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@hoshinospw 他の息子としてワファーダール وفادار Wafadārがいるが、アブー・サイード政権以前の役職は不詳。彼も父や兄弟らと同じく処刑される。

2017-11-12 04:04:08
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@hoshinospw ドーソンにもあるが、ティムール朝時代前半の資料、ハーフィズ・アブルーの集史続編によれば、最初クルミシと共謀したアミールとしてアミール・ガザン غزان Ghazān とアミール・ブカ بوقا Būqāが出て来る。

2017-11-12 04:19:48
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@hoshinospw アミール・ガザンはタングト部族出身のアジュ・スクルチ Ajū Sukurjīの孫。アジュはフレグに扈従してイラン入りし、アフマド=アルグン抗争時代にはアフマド側に組むしたが、アルグン時代はジョチ家との紛争で活躍し、その後ガイハトに仕えてバイドゥと戦い、ガザン時代の内紛でも活躍している。

2017-11-12 04:26:10
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@hoshinospw アジュの息子トグリルチャ طغريلجه Ṭughrīljaも高貴系譜によればガザン時代に千戸長を勤めたがやはりスクルチ、つまり親衛軍団ケシクの一員で君主の傘蓋を担う要職にあった。ガザンはそのトグリルチャの息子だが、この叛乱騒動以前の詳細は不明。

2017-11-12 04:31:35
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@hoshinospw アミール・ブカはやはり集史続編でのオルジェイトゥ時代のシリア遠征で、オルジェイトゥのアタベク・スィヴィンチ率いる右翼軍旗下の諸将中にブカ・ウルドゥチ بوقا الدوجى Būqā Uldūjīとして名を連ねているが、ウルドゥ ulduとはモンゴル語で「太刀、刀剣」(韃靼館譯語では「環刀」)の事で

2017-11-12 04:43:53
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@hoshinospw 「君主の太刀、刀剣」を管轄するこれまたケシクの重要な役職のひとつだ。残念ながらこのブカの出身部族や親族関係は分からなかった。 とまれ、集史続編でクルムシと共謀した二人は、ガザンカンないしオルジェイトゥの傘蓋と太刀を職掌とするケシクでも最重要ポジションに含まれる側近達だった事になる

2017-11-12 04:52:42
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@hoshinospw 総じて、1317年のチューパーン謀殺事件はウズベク・カンのイルハン朝領内への侵攻に端を発し、筆頭部将チューパーンによるその事後処理の過程で彼の裁定(チンギスカンのヤサに基づく杖刑)を恥辱・不満とする諸将の宮廷内クーデター騒動だった訳だが、

2017-11-12 05:01:43
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@hoshinospw そのクーデターのメンバーは主にガザンカン、オルジェイトゥ時代のアルグン王家に仕えた「御内人」達や譜代家臣達で、発起人的立場のクルミシに同調して首班となったイリンチンに至ってはケレイト王家出身でなおかつオルジェイトゥの母方の伯父だった。

2017-11-12 05:05:39
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@hoshinospw ニワイリー「ニハーヤ」やハーフィズ・アブルー「集史続編」ではイリンチンは、タブリーズ城外でチューパーンの説得で発せられたクーデター討伐軍と会敵した時、アブー・サイードの軍旗を見て動揺したと書かれているらしい。イリンジンが捕縛され、アブー・サイードの前で尋問された時も、

2017-11-12 05:10:03
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@hoshinospw イリンジンは「私は使者(ユースフ・ブケ)らにチューパーンを誅殺せよとの陛下の勅書を受け取った」と述べ、死刑宣告が下った時も懐の書類入れからその勅書を出して「ここに陛下がチューパーンを誅殺せよと私に命じた勅書がある!」と訴えている。

2017-11-12 05:14:34
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@hoshinospw アブー・サイードはこれを真っ向から否定して、チューパーンに「ヤサに従って処置せよ。彼らは余と汝等に対して叛逆したのだ」と命じている。 これによって捕縛された関係者約36人は殆ど処刑されたという。 この時1319年6月。関係者の処刑はその年末まで続いたという。

2017-11-12 05:28:57
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@hoshinospw アブー・サイード15歳の出来事であり、後年のチューパーン一門誅殺の8年前であった。

2017-11-12 05:33:18
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@hoshinospw このアブー・サイード治世初年のチューパーン誅殺未遂事件は色々考えさせられるものがあるが、諸王ガイハトゥ擁立期の諸王スケイとクルミシと同伴していた事や、やはり1296年2月中旬に諸王スケイと共謀したジョチカサル家の諸王アルスランの捕縛に参加した諸将にもチューバーンは名を連ねてる。

2017-11-12 05:49:41
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@hoshinospw その諸将に諸将筆頭のクトルグシャーの次にチューパーンは書かれており、別の箇所では先述のクルミシやトグリルチャらの初めにチューパーンの名が出て来る。前述のガイハト擁立の時もチューパーン、クルミシという順番だった。

2017-11-12 06:11:04
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@hoshinospw 思えばチューパーンの係累を述べる時はかつての大断事官スンジャク・ノヤンとの関係で述べられていた。とすれば、やはり彼の地位はフレグ政権を支えたスルドス部族ソルカン・シラ家の大断事官一門の長として意識されていた可能性を匂わせる。

2017-11-12 06:19:39
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@hoshinospw 「匂わせる」というのは微妙な言い方だが、志茂先生の研究をざっと見てもガザン、オルジェイトゥ時代の大断事官(イェケ・ヤルグチ)が誰だか分からなかったからだ。高貴系譜を精査していないのでこれも響いている(汗

2017-11-12 06:26:09
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@hoshinospw 五族譜のガザンの諸将表や同じく高貴系譜のガザン、オルジェイトゥ(とアブー・サイード)の諸将表を一通り見た上で、オルジェイトゥ史、選史、バナーカティー史等のイルハン朝時代の資料と、ハーフィズ・アブルー等ティムール朝やヌワイリー等のマムルーク朝資料を精査しないと何ともだが、

2017-11-12 06:30:14
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@hoshinospw イルハン朝歴代君主達、特にアバカ〜アルグン王家の「御内人」達(アタベクや乳兄弟等)のような王家の内側の人々と、フレグ宮廷周辺のイルハン朝創建期の政権中枢の諸将それぞれを精査しないと、恐らくチューパーン自身やその後の王朝の内紛を読み解く事は難しい思われるので、今後の課題となろう。

2017-11-12 06:35:02
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@hoshinospw 一応イラン大百科事典でもメルヴィル教授がチューパーンの項目を執筆されていた。初版が1992年と言うからちょうど四半世紀前になるか… オルジェイトゥ以降の動勢は要領よく纏められているが、流石に彼の活躍初期の段階については、遺憾ながら自分以上の情報は殆どないw iranicaonline.org/articles/coban…

2017-11-12 06:49:02
もんけ(歴史)مونککاکا _تاريخ ꡏꡡꡃ ꡁꡁ ꡈ ꡝ ꡘꡨꡣ @mongkeke_tarikh

結論:イルハン朝史は色々(情報不足的な)闇が深過ぎて訳が分からないよ!|ω・`)>資料上に現れないような隠し事大杉事案 >あと二日続けて家で資料ひっくり返してたら腰が痛くなったのん… orz

2017-11-12 07:00:59
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