アブー・ザイード・カンの物騒な横恋慕のエピソードから始まる、13世紀イルハン朝の大黒柱、アミール・チューパーンにまつわるお話

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集史では余りの損害に詳しく事情を述べていないようだが、マムルーク朝側のタグリービルディーやマクリーズィーはこの杖刑にチューパーンも自ら進んで服したと伝えている。

2017-11-10 03:43:02
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ガザンはこの直後から再度のシリア遠征を計画したが、その頃から体調を崩して寝込んだりするようになった。(治療に瀉血も行ったそうだが、この時点で悪い予感しかしないw)ガイハトゥ・カンの長男諸王アラーフランクの謀反騒動もあり、その事後処理で年が明けてしまった。

2017-11-10 03:48:22
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こうして年が明けて一時期快復したかに見えたが、5月に再び体調を崩し、1304年5月25日日曜日、ガザンは息を引き取った。死期を悟ったガザンは後継として弟の諸王オルジェイトゥを改めて推し、列席した諸将・廷臣達に言葉をかけ遺言を残して逝去したという。

2017-11-10 03:55:36
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こうしてオルジェイトゥが第8代イルハン朝君主として即位する訳だが、カーシャーニーの「オルジェイトゥ史」には、このガザン逝去直後の諸将の序列が第1位から第25位まで列記されているという。

2017-11-10 04:01:02
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その第1位はマングト部族のクトルグシャー・ノヤン 第2位がスルドス部族のトダンの子マリクの子チューパーン 第3位がカラキタイ出身のプーラード・チンサン 第4位がジャライル部族のアクブカ・キュレゲンの子フサイン 第5位がウイグル部族のシーシー・バフシの子でアタベク・スィヴィンチュ…

2017-11-10 04:07:10
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そう、つまりオルジェイトゥ即位時にはチューパーンは筆頭部将クトルグシャー・ノヤンに次ぐ諸将序列第2位になっていたのだ。オルジェイトゥ、アブー・サイード親子のアタベク・スィヴィンチよりも、ジャライル駙馬家の御曹司フサインよりも、クビライの許から来たプーラード・チンサンよりも上位のw

2017-11-10 04:14:03
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クトルグ・シャー・ノヤンはこの数年後、1306年のギーラーン遠征中に隘路でギーラーン人と戦闘になり戦死してしまう。ギーラーン遠征は上述のチューパーン、セヴィンチ、フサイン・キュレゲンら主要将帥が総出で行われたものだったが、総大将でもあったクトルグ・シャーのみが戦死する形となった。

2017-11-10 04:22:41
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オルジェイトゥはいたくこれを悲しんだが、ギーラーン遠征はギーラーン諸勢力の帰順で何とか達成され、チューパーンはクトルグシャーの欠を補う形で筆頭部将に任じられた。

2017-11-10 04:29:21
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ちなみに、オルジェイトゥは即位直後の1304年7月24日にスルターニーヤ建設の起工を命じているが、その二ヶ月後の9月にオルジェイトゥの娘のひとり公主ドゥランディ Dūlandī がチューパーンに嫁されている。 オルジェイトゥ即位直後に彼はキュレゲンとなっていた。

2017-11-10 04:37:02
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1290年にスンジャクの子のひとりサルバンが統治と徴税のためファールス地方に派遣され1295年にバイドゥ討伐のためホラーサーンから進軍して来た諸王ガザンに帰順した話しがあるそうだが、それ以外はどうにも謎っぽい。そのサルバンも1298年に死去している。

2017-11-10 04:53:55
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こうしてチューパーンはオルジェイトゥ、アブー・サイード時代のイルハン朝での筆頭部将となった。しかし、アルグン時代まで幾人もいた彼の大叔父達やその子息達の動勢は、アルグン〜ガザン時代に殆ど見られなくなってしまっていた。

2017-11-10 04:43:34
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アミール・チューパーンの活動時期、ガザン時代のもっと早い時期にあったはずだけどどこらだったろうかと、ドーソンひっくり返して云々唸ってたんだけど、やっと見付けたもののもう夜が明けるので続きは明晩以降にしよう(^^;>諸王アルスランの叛乱の頃

2017-11-10 05:12:34

そして再開

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あ、そうか諸王アルスランの謀反騒ぎとアミール・チューパーンの話しをしようと思ってたんだった(^^;>うっかり忘れてた twitter.com/mongkeke_tarik…

2017-11-11 22:39:14
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@hoshinospw 「シャイフ・ウワイス史」に書かれている話しなんだけど、1317年にウズベク・カンがカスピ海西岸のダルベンド方面から侵攻し、この撃退にチューパーン達はてんてこ舞いになるんだけど、辛くもウズベク軍を撃退した後、

2017-11-12 01:56:04
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@hoshinospw チューパーンは周辺に配属されていた諸将達を職務怠慢と見てアブー・サイード・カンの名の下、彼らを「チンギスカンのヤサ」に照らして杖刑に処した、という事件があった。ところが、その裁可に処罰された諸将達は「チンギス・カンのヤサ」を傘に着たチューバーンの独断専横だと怒りを爆発させたらしい

2017-11-12 01:58:21
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@hoshinospw このため、グルジア方面を管轄していたケレイト部族出身のアリーナクの息子クルミシらを中心とするアミール達がチューパーン暗殺を企てたという。このクリミシ Qurmishi、アルグン、ガイハト時代からアバカ・アルグン王家に仕える勲臣の一人なんだけど、

2017-11-12 02:07:13
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@hoshinospw 1291年5月のガイハトゥ・カン即位の時に、先般話題になってたアバカの異腹の弟、ユシュムトの子諸王スケイが諸王ガイハトゥ擁立のためカトン達とその諸オルドを率いてガイハトゥに伺候して来る時に、彼に随伴するアミールとしてイリーナクの子クルミシ Qūrmishī pisar-i Ilīnāqが出て来る。

2017-11-12 02:14:11
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@hoshinospw で、そのクルミシと共に名前が挙がっている諸王スケイに扈従したもう一人のアミールの名前がチューパーンだったりするのだ!(^^; しかも記述の順番は「諸将からはチューパーンとイリーナクの息子クルミシ(が諸王スケイに従った)」って感じでw

2017-11-12 02:16:54
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@hoshinospw そのケレイト部族(もとはオンカンに仕え、後にチンギスカンに帰順した千戸長クイドゥの曾孫)のクルミシが中心となった宮廷内クーデター未遂事件だけど、ドーソンはマムルーク朝側のヌワイリーの百科全書「ニハーヤ」の歴史部分のヒジュラ719年(1319年)条から取材してるようだ

2017-11-12 02:26:51
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@hoshinospw 問題は、この時鎮圧され処刑された諸将の顔ぶれで、「シャイフ・ウワイス史」が彼らの名を列記している。 イリンジン Īrīnjīn (ケレイト王家出身でオンカンの曾孫、かつオルジェイトゥの生母ウルク・カトンの兄) クルミシ Qūrmīshī (ケレイト部族出身、先般のアリーナクorイリーナクの息子)

2017-11-12 02:38:52
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@hoshinospw (イリンジン ايرينجين Īrīnjīn は「オルジェイトゥ史」の諸将リストでは第6位だが、クルミシ قورميشى Qūrmīshī は何故か名前が出ていない)

2017-11-12 02:50:02
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@hoshinospw タルムタズ ترمتاس Tarmtās とサングタズ سنكتاس Sangtās 兄弟 (同諸将リストでは第16位。「シャイフウワイス史」は طاس Ṭāsの子らとしてるが、ウイグル部族出身のタイジュ・バフシ تايجو بخشى Tāījū Bakhshī の子らでタイジュはガザン・カンのアタベク、タルムタズらはガザンの乳兄弟だった!)

2017-11-12 02:57:06
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@hoshinospw アラス ارس Arasとトクマク تقماق Tuqmāq (ヒタイ人出身のTukajakの子ら。トクマクは諸将リストでは第22位だが、「オルジェイトゥの御前に近侍するアミール」と呼ばれる。オルジェイトゥ期のシリア遠征でも名があるが、後にチューパーン旗下となるも個人的な怨恨で騒擾に加担したらしい)

2017-11-12 03:08:13
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@hoshinospw アビシュガ ابشغا Abishghā (諸将リストでは第20位。ルーム地方管轄。第1位クトルグシャーの子Qaranjuqと同位。トトカリウト・タタル部族のAlādūの兄弟で、ヒンドゥスタン・カラウナス軍団司令サリ・ノヤンの息子。兄アラドゥはガザン時代にホラーサーン方面に展開していたカラウナス軍団司令)

2017-11-12 03:21:42