嫂は再婚相手である義弟に冷たく接するんだけど、それは一目見たときから義弟を気に入って前夫よりも気持ちが合うような感じがしたから 前夫がなくなってみるとそういう心の動きすべてがやましくてならない。
2017-11-12 20:28:31義弟は、親代わりだった兄がなくなったことにまだ衝撃を隠せないでいる。兄の銃やヤクや隼を受け継ぐけど どれも幼い彼の思う通りにはならない。それが悔しくて切なくて夜中に嫂が寝たと思ったら、兄の位牌を押し頂いて幕屋の外で北極星に頭を垂れてすすり泣く。
2017-11-12 20:31:01ヤクは体の小さな義弟を容赦なくどつきまわす 「ちくしょう!ばかにして!」 見かねて嫂が口笛を吹いて引き離す。 「かんしゃくはいけません」 「こいつらは、おれが好きじゃないんだ」 「あなたが怒りや焦りをむければ、ヤクもあなたを警戒します」 「だって、こいつらがさきに!…もういい!」
2017-11-12 20:33:11腹を立てて目印の木に登り、草を食むヤクの群を見下ろしていると、嫂がひとりで鞭も使わずヤクの群をまとめて移動させてゆく。 ぼんやり見とれてから置いて行かれると焦って転がりおちるように幹を伝いおり、おいかける。
2017-11-12 20:34:21「ねえ!どうして、そんなことできるんだ。兄さんみたいだ!」 「あなたにもできます」 「おしえてよ!おれ、兄さんのヤクをちゃんとめんどうみなきゃ」 「…わかりました」
2017-11-12 20:35:14銃の使い方も教えてくれる。 「あのひとからは習わなかったのですか」 「兄さんは、俺は都にいって学問をしろって、銃なんかバカの使うものだって。自分はさ、ヤク泥棒の帽子を百歩も離れたところから吹き飛ばす名人のくせにさ」 「…そうですか」
2017-11-12 20:37:17夜中。蜜蝋の淡い灯のもとで、舌で唇をなめながら銃の分解掃除をする義弟を 嫂は腕組みをしてながめおろす。間違ったことをしている気がしてならない。 けれども、影がゆらめいて少年が男のように見える一瞬に胸が高鳴る。
2017-11-12 20:39:25「隼は、あのひとのあとを追わせてしまった方がよいかもしれません」 「どうして!?」 「隼は、仕込んだ主にしかなつかないことが多いのです」 「そんなの、いやだな…放したらだめか?」 「危険な禽(とり)です。人のことをよく知ったまま野に還してはいけません」
2017-11-12 20:41:29隼を放とうとしても、無視する。義弟は癇癪を起しそうになるが、嫂のまなざしに気づいてぐっとこらえる。 やがて青い翼が開いて宙に舞うと、鋭い叫びとともに天に弧を描き、まっすぐに矢となって日の出の方角に飛んで行き 戻ってきたときには穴兎を一羽とらえている。しかし獲物を落としたのは嫂の足元
2017-11-12 20:43:16義弟が腕をかかげてもおりてはこない。嫂が眉をひそめて、亡夫の銃をかまえようとすると 「まって」 と少年が籠手をはずして、若妻の腕にいそいで固定する。 「何を」 「あいつをおろしてみてよ」
2017-11-12 20:44:28隼は嫂にはなつく。 「これで、こいつはいっしょにいてもいいだろ」 「…でも」 「いいんだ。兄さんの隼がぶじなら。絶対兄さんもよろこんでる」 「わかりました」
2017-11-12 20:45:37亡夫の銃をたずさえ、亡夫の隼を連れ、亡夫のヤクを従える。 「これじゃあどっちが後を継いだか分からんな」 「寝床でも新しい夫が下か」 「かもしれんな」 寄合では義弟を若輩とみて聞こえよがしな軽口も
2017-11-12 20:47:08「ふん!今に見てろ、俺は兄さんよりでかくなるからな。そしたらあのおやじどもなめた口なんかきけるもんか」 穴兎の干肉をかじりながらくやしがる義弟。 「…それより、学問はしないのですか」 「どうだっていいや。星の運びだとか、世の成り立ちだとか、ヤクを飼うのに関係ない」
2017-11-12 20:50:01「星のこと、教えていただけませんか」 「あはは兄さんそっくり。義姉(ねえ)さん、そのうちヒゲが生えてくるよ」 「あのひとも星の話を?」 「うん。文字が読めたらいいのにってさ」
2017-11-12 20:51:54「北極星のとなりにある、あの黄色いのが故郷の星だ。遠い昔におれたちはあそこから種になって飛んできて、この大地に根付き、芽吹いて萌え広がったんだ」 「ほんとうに?」 「うそだとおもう。おれたちはツルイモじゃない。それに星の原はつめたくてからっぽで、わたれるものじゃないって」
2017-11-12 20:54:27「うそだったらどうして教えるのでしょう」 「さあ。本にはもっと変なことがたくさん書いてあるよ。ヤクが昔は六本足だったとか、まちがえて三つの目をもって生まれたできそこないの人間とか」 「こどもにきかせるお話に似ていますね」 「たいして変わらないよ」
2017-11-12 20:56:02嫂はくすくす笑ったあとでまた固い面持に戻る。義弟とただ言葉を交わしているだけで楽しい。そのことが亡夫への裏切りのような気持ちになる。 けれども少年は上目遣いに年上の女性を見上げてにっこりする。 「よかった」 「え?」 「義姉(ねえ)さんが元気になってくれないと、兄さんに申し訳ない」
2017-11-12 20:58:30「…また星の話をしてください」 「うん」 「ヤクの面倒は私がみますから、あなたはもっと本を読んで。きっとあの人もそれを望んでいます」 「…う、うん」
2017-11-12 20:59:59「本なんて都のなよなよしたやつらが読むものだけどな…書いてあることもバカだし。…三つ目の人間は、できそこないではあったが、故郷の星の祖先が持っていた、こころにふれるちからをうけついでいた。それゆえに危険だった。あとから生まれた二つ目の人間があらがうすべはなく、ただ…くだらない」
2017-11-12 21:03:38本を閉じて背に負うと、ヤクの群を連れた嫂のもとへ、義弟は走ってゆく。 「義姉(ねえ)さん。昼飯にしよう!」 「今日の学問は終わりですか。どんなことが書いてありました」 「星の話はなかった。三つ目の人間のことさ」 「おしえてください」 「いいの?」
2017-11-12 21:06:52「三つ目の人間の苦手としたのは、あるもようだった。それを見ると、かれらは苦しみ、こころにふれるちからを狂わせた。けれどもかれらは自らの見るものを選ぶことができたので、たとえもようでいっぱいの部屋にいたとしても、なにもないかのようにふるまうことができた」 「どういう意味でしょう」
2017-11-12 21:09:13「わからない。もようはきらいだったけど、それを見ないでいることができたんだって。書いてあることがあべこべだ」 「どんなもようでしょう」 「ずいぶんこみいってるよ。ほら」 「きれいですね。わたしには字はわかりませんが、このもようはきれいだと思います」 「そうだ。義姉さんも字を覚えれば」
2017-11-12 21:10:41「私が?女が字などとても」 「いいよ。義姉さんはおれより頭がいいし、字だってすぐ覚えるさ。俺より学問が好きみたいだし」 「でも…」 嫂がためらうのに、ふと義弟はぼんやり宙をあおいだ。 「あれ…そうだ…兄さんにも教えてあげればよかった。どうしてそうしなかったんだろ」
2017-11-12 21:12:09