感覚の差別
感覚の差別を乗り越えるには、能力を持つ者が、その能力を正しいと思える方向に使わなければ何も変わらない。
差別全般に対して同様である。
悪意に利用されやすい「差別への侮蔑」に対しても、だ。
- JO_JO_t_kaoru
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shakauryauei_ha
@JO_JO_t_kaoru
まず考えればわかるだろう、だとか、考える事は物を使わないから簡単だと思う人は、考える「能力」がある人だ。
2017-11-30 22:48:40
shakauryauei_ha
@JO_JO_t_kaoru
能力がある人には、能力のない人の感覚なんて想像できない。 想像できる人には、想像できない人を想像することは無理だ。その感覚さえも。
2017-11-30 22:54:05
shakauryauei_ha
@JO_JO_t_kaoru
そういう気付く、気付かないや、基準を定めて思考に入る否か、等、その取捨選択に対してセンスによる差別は往々にして横行している。
2017-11-30 23:04:49
shakauryauei_ha
@JO_JO_t_kaoru
思考は、速さ、思慮深さ、課題解決に至る過程、知識差など、千差万別、だから画一化を図りたくなるのもわかる。
2017-11-30 23:11:46
shakauryauei_ha
@JO_JO_t_kaoru
また情報の非対称性や、情報に対する姿勢の違いなど、その人が過ごした経験や、よもや身体的制約なども、思考に影響を及ぼす。 そんな人たちに対して、「みんなで考えよう」の安直さ。
2017-11-30 23:14:59
shakauryauei_ha
@JO_JO_t_kaoru
それは考える能力がある人だから、想像力のない人の考える段階など感じないくらい、「すっ」と物事を考えられる。
2017-11-30 23:25:44
shakauryauei_ha
@JO_JO_t_kaoru
そういう「感覚の差別」を無くすには、その感覚の差別を乗り越えるどれだけの技が存在するかだし、その技が気兼ねなく我々の生活の中に溶け込み、いつでも使えるか、だ。
2017-11-30 23:30:46
shakauryauei_ha
@JO_JO_t_kaoru
もし、考える能力があるのならば、それを乗り越える技を身に付け、かつ考える能力のない人に対して、能力を育てて身に付かせるぐらいの気概があっても良いのではないかと思う。
2017-11-30 23:33:28
shakauryauei_ha
@JO_JO_t_kaoru
だから教育は必要だし、言葉を覚えるという事、語彙力や言い回しなどの知識や技は大事なのだと思う。 感覚の差別を乗り越える技(デザイン)がより世の中に出て行くには、人間自身が人間をより知らなければならない、そう思っている。
2017-11-30 23:39:35