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感覚の差別

感覚の差別を乗り越えるには、能力を持つ者が、その能力を正しいと思える方向に使わなければ何も変わらない。 差別全般に対して同様である。 悪意に利用されやすい「差別への侮蔑」に対しても、だ。
差別 感覚 心理
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shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
「みんなで考えよう」って結構な暴力だと思う。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
まず考えればわかるだろう、だとか、考える事は物を使わないから簡単だと思う人は、考える「能力」がある人だ。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
ある人とない人の話だ。 考えるは、状況や身体的状態によっては難しいものだ。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
能力がある人には、能力のない人の感覚なんて想像できない。 想像できる人には、想像できない人を想像することは無理だ。その感覚さえも。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
だから平気で、みんなで考えようとか言えちゃう。 それが暴力という事にさえ気付かない。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
想像できる人は、想像できない人に簡単に、考えようと迫ってくる。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
想像できる人はデザイン一つとっても、「わかる」前提で迫ってくる。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
そういう気付く、気付かないや、基準を定めて思考に入る否か、等、その取捨選択に対してセンスによる差別は往々にして横行している。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
人種差別や女性差別、目に見える差別より、このセンスの差別は特に酷い、目に見えない分、特に。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
思考は、速さ、思慮深さ、課題解決に至る過程、知識差など、千差万別、だから画一化を図りたくなるのもわかる。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
また情報の非対称性や、情報に対する姿勢の違いなど、その人が過ごした経験や、よもや身体的制約なども、思考に影響を及ぼす。 そんな人たちに対して、「みんなで考えよう」の安直さ。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
これならどの思考状態でも構わない。本当に思ったことを思ったまま発言させることができる。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
そして感じた後に、考える。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
もし、みんなで考えようの中に、「感じて考えよう」と意味を込めているのならば残念ながら伝わらない。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
むしろ感じて考えるという過程でさえ、「?」の人が多いのではないだろうか。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
それは考える能力がある人だから、想像力のない人の考える段階など感じないくらい、「すっ」と物事を考えられる。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
考えられる人にはわからない。その考えるまでの感覚。その感覚に対しての差別がたくさんある。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
そういう「感覚の差別」を無くすには、その感覚の差別を乗り越えるどれだけの技が存在するかだし、その技が気兼ねなく我々の生活の中に溶け込み、いつでも使えるか、だ。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
もし、考える能力があるのならば、それを乗り越える技を身に付け、かつ考える能力のない人に対して、能力を育てて身に付かせるぐらいの気概があっても良いのではないかと思う。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
だから教育は必要だし、言葉を覚えるという事、語彙力や言い回しなどの知識や技は大事なのだと思う。 感覚の差別を乗り越える技(デザイン)がより世の中に出て行くには、人間自身が人間をより知らなければならない、そう思っている。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
ただし前段の意見は、考える能力のある人に向けての言葉だ。

コメント

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