AIの話から始まった「戦場の霧」の話
論文はこちら "USJFCOM Commander's Guidance for Effects-based operations" pdfs.semanticscholar.org/47fd/4b5a06fac…
2018-01-03 19:30:03モルトケがプロイセンの参謀総長を務めたのは1858年から1888年の30年間。この間にプロイセンはオーストリア、フランスと戦って勝利してる。ナポレオン戦争の時代に引き続くこの時期、徴兵制を基礎とした国民軍の規模とその戦場は巨大化していた。
2018-01-03 20:16:58巨大な軍隊と広大な戦場は様々な問題を発生させる。その最たるものが先ほどだよもんマンが言っていた「戦場の霧」。戦場の霧というのは簡単に言えば不確定要素のことなんだけれども、軍事におけるこれはちょっと説明がいる。
2018-01-03 20:18:49通常、どんな軍隊も戦場の霧を排除しようと努力する。その方法は教育訓練、規律、規則などなど、要は人間の集団からなる軍隊の行動をある種の基準を以て測れるよう、画一化していくことで不確定要素を排除しようとする。
2018-01-03 20:22:00しかしながら必ず戦場の霧は発生する。例えば命令文を持った伝令が道に迷う、馬が足を折る、天候が急に崩れる。敵と味方の斥候が林を挟んですれ違うなどなど。軍隊は意思を持った人間からなる集団だということを考えればこのことを想像するのは難しくない。
2018-01-03 20:27:57ところでモルトケの時代以前は内戦作戦の時代と言われた。簡単に言えば内戦作戦とは自分を囲む複数の、自分より劣勢の敵をそれぞれ叩いて倒そうという作戦。反対の外線作戦とは、複数に分けた我が部隊で敵を囲んで倒そうという作戦。 しかし時代に反してモルトケは外線作戦を採用する。
2018-01-03 20:31:51モルトケの時代、2つの革新的な技術が登場する。それが鉄道と電信であった。彼以外にもこれらに目をつけた軍人はいたが、彼ほど大々的に戦場に持ち込んだ男はいなかった。鉄道は大部隊の迅速な機動を、電信は遠く離れた部隊同士の連絡を可能ならしめた。
2018-01-03 20:33:31この時代の戦争というやつはまだ現代のそれと比べて酷く単純で、決勝会戦が行われる戦場にいかに敵より多く戦力を送り込むかが勝利の分かれ目だった。モルトケは複数に分けた部隊をそれぞれ送り込み、敵を包囲殲滅することを目指した。それを鉄道が可能にすると確信して。
2018-01-03 20:37:11しかしモルトケの軍隊には依然として戦場の霧の問題が残る。彼はどうしたか? 彼は前線部隊の指揮官に目標だけを示し、具体的な手段等は示さなかった。現場に任せたのである。これを訓令戦術という。例えるなら一週間以内に東京まで行きなさい。手段は任せる。というようなものだ。
2018-01-03 20:42:20各指揮官は自分の可能な行動の中から最良の方法を選択することができる。現場で自分で見て考えて。もちろん、この方法には失敗も伴う。その失敗すら許容することが、訓令戦術には求められる。
2018-01-03 20:44:13こうしてモルトケは外線作戦を成功させて2つの大きな戦争に勝利するわけなんだけど、彼の戦場の霧を晴らす努力は「訓令戦術」だったってわけね。実はみんな普段の生活の中でやってるんですよ訓令戦術。
2018-01-03 20:48:00