この子を逃がしてはならない。金蔓を見つけた薬種屋の下働きとしての気持ちだったのか。あるいは別の何かに突き動かされたのか分からないが、 気づくと自分の勉強用の覚書を渡していた。少年はおずおずと受け取る。
2018-01-13 21:38:36なんだか妙なやりとりをしていた。 twitter.com/alkali_acid/st…
2018-01-13 21:39:39「これ、私の覚書。よければ使ってください」 「…おれ、じは…ちょっと」 「あら…でも絵もありますから」 「…すごい、うまい」 「うれしい。私が描いたんだけど」 「わかる…えでわかる…ありがとう!しつのいいの!とってきます」
2018-01-08 16:30:18かくして早筆は、不思議な少年、草採君と仲良くなった。相手はあまり素性を話さず、さりげなく聞き出そうとしても黙ってしまう。 でもあまりちゃんと食事をしたりしていないのが分かった。何か食べさせてあげたいと思うのだが、世話を焼こうとするとすっと溶けるように消え去ってしまう。
2018-01-13 21:41:37草採君はみるみる薬草のあつかいを覚えて、質のよいもの、珍しいもの、今必要なものをとってきてくれるようになった。 店にとっては大変助かり、女主や手代も喜んでいた。あんな小さな子をひとりで迷宮にやるのは気がとがめたが、けれどこの街でつまらない気を回す商人はやっていけない。
2018-01-13 21:43:43早筆だって、ときどき通りで見かける孤児や宿無しに施しをしたことすらない。 ただ、草採君が無事で帰ってくるとほっとした。そうして気づくと、草採君をじっと観察して、素描にとるようになっていた。
2018-01-13 21:44:29多分、人間というより魔物として見ていたのかもしれない。迷宮に住む、不思議な命の一種として。 「この女の子なに?」 「見えないかな?男の子だよ」 「そうなんだ」 染物屋の下働きをしている友達が覗き込んで尋ねる。僧院で手習いをしたとき一緒だった仲だ。
2018-01-13 21:46:07「ふうん。最近この女の子…じゃなくて男の子の絵ばっかだね」 「そんなことないよ。ほら、カミソリエイ」 「それ、この子から聞いた話もとに描いたんでしょ?そう言ってたよ」 「え…」
2018-01-13 21:46:55「もしかして、好きなの?」 「あはは、ちっちゃすぎるよ」 「そっか。でもうまいね早筆ちゃん。もう手習いの先生より上手じゃない?」 僧院の先生は、絵心があって手ほどきしてくれたのだ。 「学問にとって絵を描くのは大事です。もののかたちを正しくとらえ、記録しておくために」 と言って。
2018-01-13 21:48:22友達の前で否定はしたものの、早筆の中で、草採君が来るのが何よりの楽しみになっていた。受付に立ちながら、今日は来るか、来るかと待ち続ける。 草採君は、口数は少ないが、早筆の絵を熱心に見てくれたし、ぽつぽつしてくれる迷宮の話は面白い。何かを尋ねても嫌がらず、よく考えて答えてくれる。
2018-01-13 21:51:10お礼にしてあげられるのは心もとない本草の知識を分け与えることぐらいだが、草採君は飲み込みがよく、すぐ覚えてしまう。 「この分だと草採君のほうが薬種屋にふさわしくなりそうです」 冗談めかして女主に告げると、相手は顎を指でつついて答えた。 「悪くないかもしれないね」
2018-01-13 21:53:03「あの子が大きくなったら婿にとって、お前が嫁になれば、うちも安泰じゃないか」 「だって手代さんがいるし」 「あれは店を分けてやるさ。いずれ“塔”のある街に新しいのを開けたいといってるんだよ…で、不満はないんだね」 「あ、あわわ、いえあの」
2018-01-13 21:54:36「まあ今は背丈も低くてひょろひょろっとして頼りないけど、いずれ大きくなるよ。南方の足腰の強そうな連中の目鼻立ちだ」 「…わ、わたし」 「安心しな。お前の絵の話はそれとは別さ。これから絵は稼げる。どう転んでもしくじりはなしだよ」
2018-01-13 21:56:39早筆は寝床で悶々とした。まさか草採君を婿にだなんて。そもそも自分も女主とは血のつながりもないのに。 真月と幻月が朔になった、まぶしい光が夜の街にそそいでいたせいもあったかもしれない。息を荒くしながら、筆をとり、少年を描く。 ぼろのような服越しに見て取った、やせっぽっちの裸身を。
2018-01-13 21:59:09草採君が来たら、どんな顔をして会えばと悩んでいるうちに、手代が先に切り出してしまった。 びっくり仰天する横顔をはらはらして見守る。手代が本草学の入門書を渡しているのを認めて、女主が本気なのを悟った。
2018-01-13 22:02:41「手代さんに変なこと言われなかった」 空とぼけて尋ねる。うまく伝わったのかどうか。 「へん?」 「むことりとか、馬鹿なこと。私と奥様、血もつながってないのに。気にしなくていいからね」 「??ほん、もらいました」 「あら、手代さんの。あの人甘いんだ」
2018-01-13 22:03:16話しているあいだ胸が破裂しそうだったけれど、草採君は嫌な顔一つせずに話して帰っていった。 早筆は見送ってから、女主の手鏡を借りて、頬が真赤になっているのを認めた。 「ひぃ…」
2018-01-13 22:04:36次に草採君が来たら、何か贈物をしてあげたいと思った。何ができるか分からなくて、結局、質のよい羊皮紙に女神様の絵を描いてお守りにした。 迷宮から無事帰ってこれますようにと。
2018-01-13 22:05:48本当にぱったりと音沙汰がやんだのだ。 女主と手代は残念がった。街で本草学の入門書が売られているのを、組合の誰かが知って伝えてきた。 「まあ…見込み違いだったね」 「何かいきさつがあったのかもしれません」 「むこうから言ってこなきゃわからないね…探して問い詰められもしない」
2018-01-13 22:09:06しばらくして絵師の徒弟に入れることが決まった。それも、例の元冒険者という変わり者のところに。 「知り合いの冒険者つてさ、あんたの素描を見せたら気に入ったらしいよ。もう女の徒弟もいるっていうから」 「ありがとうございます」 「通いにするかい?そう遠くない」 「住み込みにします」
2018-01-13 22:10:47早筆は荷造りをした。心が浮き立つはずの話なのに、ひどく味気なかった。 草採君を描いた麻紙の束を片付けるうち、腑に落ちた。恋に破れたというものなのだ。 あんなちっぽけな、やせっぽちの、よわよわいい、弟にだって幼すぎるような、つまらない、おくびょうな、男の子に。
2018-01-13 22:13:16「…知るもんか」 流れてくる涙をぬぐって、早筆は立ちあがった。絵師になる。魔物を描く絵師に。 必要なら冒険者にだってなんだってなるつもりだった。
2018-01-13 22:14:37