映画「嫌われ松子の一生」の中に刑務所でのやくざ男と牧師の会話のシーンがある。 やくざ男「神は愛なりというのはどういう意味か教えてくれ」 牧師「あなたは今までに心の底から人を憎んだことがありますか?」 やくざ男「ある」
2016-12-28 00:45:00続き)牧師「ではあなたはその人のために心から祈ることはできますか?」 やくざ男「できません」 牧師「それでいいのです、人間は弱いものです。憎むべき敵を愛するなどできることではありません。しかし神の力を借りればそれはできるのです。」
2016-12-28 00:45:41続き)人間は神の力を借りてこそ、憎むべき敵を愛することもできる。汝の敵をも愛するという、人間には不可能な、生物としての原理および社会秩序に反する原理を実行しうる。神の力を借りずしてそれはできないと理解することこそがキリスト教の一本質なのだろう。
2016-12-28 00:49:09刑務所でのやくざ男と牧師の会話のシーンを見るだけでも、映画「嫌われ松子の一生」は見る価値あると思います。 映画「嫌われ松子の一生」- Japan, 2006 Trailer youtu.be/h5YiO1kSZdQ @YouTubeさんから
2016-12-28 00:54:02@pizonat @YouTube いいですね。自分よりも上の存在の力を借りると、心が穏やかになりますね。 これからは、抑えることが出来そうです。
2016-12-28 00:59:29@_1651324671212 あまり無理する必要はないと思いますよ。汝の敵をも愛するという、人間としてあるべき究極理想があると知るだけでもいいと思います。そうした究極目標を知っていれば自分が成長していく中でそうした精神性に至れるかもしれないし。なんか説教くさくなってすみません。
2016-12-28 01:05:08@pizonat いえいえ、ありがたいですよ。 いつかそういう精神に達する事が出来るよう、精進していきたいです。 内村鑑三のような人になりたいですね。
2016-12-28 01:14:09仏教における忍辱(にんじょく、にんにく)ってわりと真剣にキリスト教における「汝の敵をも愛せよ」に通じる気がする。ようするに忍辱というのは単なる我慢とは異なる概念なんだよな。
2016-12-28 01:23:14映画「嫌われ松子の一生」。松子の死がなければこの物語は成り立たないみたいなところはあるのだが、その松子の死因は悪ガキにリンチされ殺され=自殺ではなく他殺なのだが、実はこれこそはこの映画の重要な一本質かもしれないという気がする。自殺で終わらなかったメンヘラの物語という点が重要では?
2017-04-18 14:57:04