映画「嫌われ松子の一生」の評論

中島哲也監督の映画「嫌われ松子の一生」を評論してみました。よかったらお読み下さい。
6
ピゾナ @pizonat

映画「嫌われ松子の一生」を観た。大体こんな感じの映画かなと思い描いていたイメージ(なんちゃってダメ人間の物語)とは異なり、わりとガチでダメな女性の一生を描いた映画だった。そういう意味では珍しい映画。今のところどう捉えたらいいのかわからない。また何か思ったことがあればツイートする。

2016-10-02 04:12:02
ピゾナ @pizonat

続き)映画「嫌われ松子の一生」。映画全体のテンポがミュージックビデオ風なのは、おそらく松子が死ぬ間際に見た走馬灯という裏設定なのだろう。そしてそれは松子の死後に甥っ子がアパートの整理をしているとこまで含めて。

2016-10-02 04:31:54
ピゾナ @pizonat

続き)つまりこの映画にはおそらく確たる事実というのは松子が死んだということ以外には何もないのかもしれない。もしかするとそのことがこの映画の核心を成しているような気もする。

2016-10-02 04:32:25
ピゾナ @pizonat

映画「嫌われ松子の一生」。松子と同棲していたやくざ男が刑務所で松子こそを全てを許してくれていた神だったと気づく。そしてこのやくざ男と松子の関係は松子と寝たきりで早死した松子の妹との関係にも当てはまる。松子が家出するときに、妹に対して「あんたなんか少しもかわいそうじゃないわよ!」と

2016-10-03 00:55:33
ピゾナ @pizonat

続き)罵倒する、「待ってお姉ちゃん」と叫ぶ妹。そしてこの妹は松子が家出したあともずっと松子の帰りを待っていたという。つまり、この妹こそは松子が生涯で唯一邪険にあつかった存在なのだ。そして人生の最後の最後、走馬灯の最後の最後に天国の階段を登った果てに妹がおり、

2016-10-03 00:58:04
ピゾナ @pizonat

続き)「お帰り、お姉ちゃん」と自分を罵倒し家出した松子を受け入れ迎え入れる。ここにこの映画の言わんとすることがあるのじゃないかと感じた。つまり、この世界における社会(人と人との繋がり、関わり)というのは、一方的な弱者の優しさ、思いやりによって成り立っている側面もあるのではないか?

2016-10-03 01:01:31
ピゾナ @pizonat

続き)さらに言えばこの映画全体が松子の死の間際の走馬灯だとすると、まさしく最後の天国への階段を登り妹に再会するシーンは現実の出来事ではなく、松子の見た幻想なわけで、最後の最後に松子は自分を受け入れてくれる妹=優しき弱者を死の間際に夢想し、すがったともいえる。

2016-10-03 01:17:29
ピゾナ @pizonat

続き)つまり、絶望の果てに人を受け入れてくれるのは強者ではなく優しき弱者だったりするというのがこの世界の、少なくとも現実の一側面としてあるということではないか?弱く心優しい者こそが神にいと近き存在だったりもするというか。この映画を観てなんとなくそんなようなことを考えた。#映画評論

2016-10-03 01:22:31
ピゾナ @pizonat

人が薦めていたり評価していたりする映画や本を見てみるのは存外に有益な行為かもしれない。映画なんかも無意識に自分の好みの作風を選んで観ていたりするものだ。それでは煮つまる。人から薦められなかったら一生見ないような作品にこそ新たな発見や感動があったりするのではないか?

2016-10-03 01:33:35
ピゾナ @pizonat

映画「嫌われ松子の一生」。各場面場面の完成度が高い。女優がノイローゼになるほど何度も撮り直したとか。なぜそこまでして完成度を高めたのかというと、この映画は観客に松子の一生を追体験させるというコンセプトがあったのだろう。全体のテンポがミュージックビデオ風なのも合点がいく。

2016-10-14 09:34:22
ピゾナ @pizonat

続き)まことに不思議な映画であって作品と観客という主客の関係がいつの間にか観る者が作品に没入させられて松子と一体化しているような感覚に陥る。この映画全体が松子の死の間際の走馬灯とすると、観客は死を仮想体験しているともいえる。近年稀に見る奇怪な映画であり、一見の価値ありと断ず。

2016-10-14 09:34:38
ピゾナ @pizonat

映画「嫌われ松子の一生」。全てを失った松子が死の間際の走馬灯のそのまた最後に見たのは天国で出迎える寝たきりで死んだ妹だった。私たち個々人が人生の最後にすがれる(それは幻影であってもいい)ものはあるだろうか?そうした問いかけなのかもしれない。そしてその哲学性に重大な何かを感じる。

2016-10-16 07:50:26
ピゾナ @pizonat

「人間の価値って、人に何をしてもらったかじゃなく、人に何をしてあげたかってことだよね?」映画「嫌われ松子の一生」より 深い言葉であるような気がするような気がする。

2016-11-27 04:35:46
ピゾナ @pizonat

続き)つまり、一言で言うと主客の逆転だと思うのです。荘子の「胡蝶の夢」は、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのかよくわからんと問う。#荘子 #老子 #中国

2016-11-27 05:16:12
ピゾナ @pizonat

続き)この主客の逆転は映画「嫌われ松子の一生」の台詞、「人間の価値って、人に何をしてもらったかじゃなく、人に何をしてあげたかってことだよね?」に通じると思うのだ。松子はさんざん人に利用されたりしてひどい目に逢った人生であった。

2016-11-27 05:16:46
ピゾナ @pizonat

続き)この世的な価値観で言えばダメ人間・負け犬である。しかし見方を変えれば、人にひどいことをさせてあげた徳の高い人ともいえる。この世的な表層的な価値観では推し量れないものがそこにあるのではないか?かような主客の逆転が、荘子の「胡蝶の夢」に通じるような気がするのだがどうだろう?

2016-11-27 05:22:31
ピゾナ @pizonat

主客の転倒という意味では、キリスト教の「汝の敵をも愛せよ」もそうだ。敵かと思ったものがそうではなかったり、スルリと手を抜けてしまうような感覚。確たるものが存在しないという意味では諸行無常にも通じる。#荘子 #老子 #中国

2016-11-27 17:10:51
ピゾナ @pizonat

続き)なんというか老荘なんかは様々な哲学や教義を総動員してようやく朧に姿が見えてくるような感じじゃねえかな。いうなれば教義の結節や重なりや通底によるキリスト教会のステンドグラスやモザイク画のようなイメージ。単体のそれだけでいくら考えてもわからん気がする。#荘子 #老子 #哲学

2016-11-27 17:17:15
ピゾナ @pizonat

映画「嫌われ松子の一生」から荘子の「胡蝶の夢」にたどり着くことも可能なのだから、全く関係ないような事象からなんらかの哲学や教義に無理やりたどり着いてみるという思考実験も面白いかもしれない。#哲学

2016-11-27 17:20:43
ピゾナ @pizonat

@pizonat こんなことを書くと右にも左にも嫌われるんだろうなあ。まあでもそれでもいいよ。私は何物にもとらわれずに自由に考えること発言することが何よりも大事なことだと思ってるから。

2016-12-27 23:13:13
モイカ@抵抗勢力(=╹◡╹=) @_1651324671212

@pizonat 意見が違ったくらいでは、嫌いにはならないですよ。 意見が違う人と議論してこそ意味があるんですから。 自分が嫌いなのは、議論してる時に人格攻撃し始める人が嫌いですね。 相手に煽られると自分もムキになってしまうので、人にどうこう言えないかもですけど。

2016-12-28 00:25:54
ピゾナ @pizonat

@_1651324671212 人間は弱いものですからね。煽られれば煽り返してしまう。私もツイッターやってて頭にくることもありますが神に祈って堪えることにしています。ISに殺された後藤健二氏のツイートでそういうのがありました。祈るということ。仏教の忍辱(にんにく)にも近い感覚です

2016-12-28 00:30:42
ピゾナ @pizonat

号泣しながら神に祈り、他者に対する攻撃の欲求を抑える。それはまさしく神様の力を借りて、「汝の敵をも愛せよ」を実践していることだと思う。つまり、祈りというのは神様の力を借りる行為そのものなのだと思う。

2016-12-28 00:40:17