「知性や教養があれば差別しない」に疑義を唱えている人は、その相関を否定しているわけではないと思う
@y00black ああ、でもやり方によっては逆に助長してしまうケースもあるでしょうね。そこがよく差別問題で「寝た子を起こすな」的な話になる部分かもしれません
2018-02-20 17:42:11@impactdisc 差別を止めるためには差別について学ばなければならないが、学んだからといって差別しない保証にはならない、で合ってますか?
2018-02-20 17:44:30@impactdisc かつ「学問ないし科学そのものと照らし合わせる」というのは、学問的な定義に照らしてその人の言動が差別と言えるかどうかを確認するということで合ってます?つまり、その人が差別をするかどうかは、何を学んだかではなく何を言い、何を行なったかで決定される、と
2018-02-20 17:57:16マシュマロに回答しにくい質問が二つ来てたので、まとめてお返事。マウントレーニアの件は「私はそういう人を信用しない」というだけで、本人を貶める気も憎悪を煽動する気もありません。危なっかしさについては、それこそ知性と教養の機能に期待するしかないかと。教養と差別については別途まとめます
2018-02-20 19:27:04@y00black 結論には異論はないのですが「差別について学ぶことが必要」「学問的に照らし合わせて言動を検証する」の2点は留保します。前者は学ばなくても差別かどうかは分かることが多いから(続)
2018-02-20 20:23:25@y00black (承前)言動が差別的かどうかは科学的検証を待つまでもないことがほとんどだから、です。それとここまで述べてきた科学的であることはモダンの考え方で、一般論としてはポストモダン的な民俗学においては科学的でなくても経験的な教養があるとも言えます
2018-02-20 20:26:03@impactdisc 「教養を得るのに学問的知識は必要ない」「何が差別かを判断するのに学問的知識は必要ない」ということでしょうか?
2018-02-20 22:17:29@y00black 例えば差別を受けている人は、教養の有無は関係なく差別されていることは分かります(それを「差別」という言葉で定義づけられるかどうかは別として
2018-02-20 22:27:18@impactdisc 確かに…でも差別する側、というか、差別構造によって恩恵を得ている側は、知識を得ないと差別の存在を認識できない場合もあるのでは?
2018-02-20 22:51:17@y00black もちろんです。知はそのためのツールですよ。言いたかったのは、「学問的下地が無い人は差別に対して鈍感である」わけではない、ということです
2018-02-20 22:54:35@impactdisc あっ、それが聞きたかったんです。無知や無教養と差別主義をつなげることで、今差別されている人をさらに踏みつけることになるんじゃないかと危惧していました。
2018-02-20 23:05:57@y00black 差別される側の対抗ツールとしての知は有効です(それを悪用する、例えばえせ同和みたいなものもあるので困りますが)。「差別の論理」こそ、個々人の嫌悪感情を何となく裏付けるための、破綻したハリボテの論理でしかないでしょう。それが科学の理だと僕は信じています
2018-02-20 23:24:22@y00black それもありますね。でもそこに正しい論理はないのです。一つだけ気になるのは、現在の社会(特に日本とアメリカ)では、必ずしもロジカルに正しい方が勝つとは限らないことなんですが…(極めて困難な時代だと思います)
2018-02-21 00:02:20本来ならば専門知識とともに教養も身につけているべき、とは思うのですが、教養の有無ってどうやって図るんでしょうか… #マシュマロを投げ合おう marshmallow-qa.com/y00black?utm_m… pic.twitter.com/dMWhbcgdTl
2018-02-21 09:14:52@impactdisc それが「正しい論理」かどうか、どうやってジャッジするんでしょうか。「必ずしもロジカルに正しい方が勝つとは限らない」ということは、そのジャッジはロジカルではないということですよね?
2018-02-21 10:59:57そう、教養の有無をジャッジするのは誰なのか、どんな尺度なのかが気になっていたんだよ。学問的な知識は定量的に評価できる、その使い方にもある程度の尺度が設けられるのは分かるんだけど、教養っていうのは、それらの学問的知識によって獲得される「心の豊かさ」なんでしょう?どうやって測るの?
2018-02-21 11:04:14