- JunNakagawaWork
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社会とは、抽象的な概念であるけれど、存在しているとみなされている対象です。この得体の知れぬ対象に向かって、じぶんの思想を発信するということは、ドン・キホーテが風車に立ち向かった行為に似ている。
2018-01-05 17:02:16もし、そういう喜劇の主役になりたくないのであれば、「じぶんを(正直に、すなわち正確に)晒す」しかない。しかし、じぶんをいかほど正確に晒しても、さきほど述べたように、大衆がその思想を利用するには、思想に込められた個人の繊細な想いなど扱い難いので、それを切り落とす。
2018-01-05 17:06:20要約された思想が いくばくか伝統につながっていて、しかも社会状態を一歩進めるうえで利用できるのであれば、社会は、それを思想史の陳列棚に並べるのでしょうね。
2018-01-05 17:08:21そういう状態は、思想家から観れば、悲劇でしかないでしょう。個人の思想は、小林秀雄氏の言うように、つねに、社会に負ける運命ではないか。思想家が社会を変えようと強く意識しても、思想家は選ばれる側であって、思想を選ぶのは社会なのだから。
2018-01-05 17:10:49或る思想を実感とするためには、嫌でも応でも、われわれは「社会」と戦わなければならないのではないか。だから、およそ、思想と向きあえば、「個人と社会」という論点を避けることができないのではないか。個人が社会のなかで揮発することに抵抗している作品を私は好んでいるようです。
2018-01-05 17:14:16Eli Eli lema sabachthani? (My God, my God, why did you abandon me?)――キリストのこの悲痛な叫びが、思想の性質を物語っているように私には思われます。
2018-01-05 17:17:47「社会は殻(から)に閉じこもった厭人家や人間廃業者等を少しも責めない、その癖いつも生ま身を他人の前に曝(さら)しているような溌剌とした個性には、無理にも孤独人の衣を着せたがる」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。
2018-01-12 19:33:28「社会は己れを保持するために、一種非人間的な組織を持たざるを得ないし、多数の人々がこの機構にからまれて浅薄な関係を結び合い、架空な言葉を交換し合う強い習慣をどうにも出来ないからだ。社会は人々の習慣によって生きる」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。
2018-01-12 19:37:15「科学を除いてすべての人間の思想は文学に過ぎぬ。現実から立ち登る朦朧(もうろう)たる可能性の煙に咽(む)せ返る様々な人の表情に過ぎない」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。
2018-01-12 19:39:40もし、社会と ぶつかるのを怖がって腰がひけるならば、社会のしくみを じぶんが見透かしているつもりになって高階から [ じぶんの意識のなかで ] 見下げていればいい――そして、じぶんは頭がいいので、社会のしくみを見通していると自任して、社会を知ったつもりになっていればいい。
2018-01-12 19:45:00