- Naga_Kyoto
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発端となったツイート
地理学会のリツイートがものすごく大事なことを言ってる。僕は「何もない」と評される地域認識について、現状を踏まえてもっと深く掘り下げて議論されるべきではないかと思うよ。 地理屋のスキルをどうやって教育に落とし込むか。という点にもつながりそうでとても興味があります。
2018-03-18 00:35:34地理屋は地域を「空間」としてみているから「何もない」とは言わないんだよ。地理屋は空間が存在した場合に「その空間がどんなところか」をとにかくなんでもいいから調べようとするので、一般人が言う「何もないところ」から何かを見つけられるんだろうな。
2018-03-18 00:11:13ちょっとひねくれたタイプの地理学専修だから「何もない」とはどういうことか、とかそういう考えをしてしまう。没場所性の本質とは...
2018-03-18 08:54:25「何もない」が、そこにはあります。 ─探してください、佐賀県 (そうだ 京都、行こう。風に) pic.twitter.com/t7xM4MFUPX
2018-03-18 09:02:35「何もない」はホントは「自分が何も感じ取れない」だよね。自分が興味ない、面白がれない場所はあるだろうけど。「地理」だけじゃなくて、「歴史」でも「文学」でも「数学」でもなんでも、何もなさそうなところに何かを見出せそうな気がする。
2018-03-18 09:10:55ちょうど昨日、田辺の坂道を歩いてた時に「何もない」って言いながら歩いてたわけですが(笑)、あくまでも「私には何も(おもしろく)ない」で、単に坂道を上るのがツライ愚痴でしたし、人によっては「坂道がある」だけで楽しいのかなぁと気を紛らわせながら歩いてました。
2018-03-18 09:14:31都会と田舎の「地元?何もないよ」にはこれだけの違いがある - Togetter togetter.com/li/906147
2018-03-18 09:15:12「何もない場所」で画像検索してみると、草原や雪原の画像がたくさん出てくる。面白いのは、道路が映った写真が多いこと。もしかすると、道路沿いには何かがあって然るべきという考えが「何もない」という表現を生んでいるのかも。「何かがあるべきなのに」何もないことが問題とされている? pic.twitter.com/ArDAna7SA2
2018-03-18 09:21:17現象学的地理学っぽく言うならば「地域・空間・景観に関して豊富な語彙を持つことが豊かな風景認識を生む」ということ?(せっかくだから勉強したことを披露したい)
2018-03-18 09:31:42佐々木葉「風景のクオリアと言葉」※pdf waseda.jp/sem-yoh/temp/s… 茂木健一郎の『クオリア入門』を読んでサピア・ウォーフ仮説の理解が変質した、という感想文的な論文(?)。日本人はエスキモーのように指向性を持って「雪」を見てはいないが、クオリアとしての「雪」は知覚している、と。 pic.twitter.com/KS0F6MbU8z
2017-11-18 03:45:32言葉というポインタによって指向性を持つことが、クオリアとしての基本風景を原風景として意識上に登らせる、ということ。現象学的地理学の本で同じような文を読んだ気がする。「言葉からクオリアを探しにいく」という逆方向のアプローチもあるという指摘はなるほどと思った。
2017-11-18 03:52:59「なにもない」という発言は「(どこどこと比べて)なにもない」という意味合いが強いのではないかと、経験的に感じています。
2018-03-18 09:25:56>RT 中心性が無いことが「何もなさ」につながるってのはありそう。埼玉の友達がよく地元のことを「何もないよ」と言っているんだけど、あの都市規模の街が別の地方にあったら「何もない」とはあまり言われない気がする。
2018-03-18 09:36:23