経済的価値と文化的価値の不可分性

経済的価値と文化的価値が背反だとする通俗的な見解に物申す
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望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

経済的価値と文化的価値って、そんなに綺麗に二分できるものだっただろうか? むしろ逆に現実で経済的価値にカウントされている物のほとんどは、文化的価値なのではないだろうか? 要はそれに価格がつくか、カウント可能かだけかの問題があるわけで。 pic.twitter.com/FJaUm89Xz2

2018-03-22 12:46:57
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望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

「市場ないし市場的競争で価格がつくか」を経済価値の絶対的な基準にすれば、確かに基礎研究等の経済的価値は限定的になるかもしれないが、そもそも市場のプライシングや選別というものは、そこまで信用のおけるものではないというのが、"妥当な"経済学的知見ではないだろうか。

2018-03-22 12:52:57
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

知や美の探求を行うことは、(文化的価値があることは当然として)経済的価値のあることは間違いないはずだ。少なくとも、そうでなければ、知識産業や芸術産業は存在し得ないだろう。 知と美にリソースを割かないからこそ、(文化的のみならず)経済的に貧困になるのである。

2018-03-22 12:56:19
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

経済的価値と文化的価値に不適切な二分法を課そうとする誤った考えを、かつてameblo.jp/shingekinosyom…にて批判したのであった。そこでは「文化的価値のために経済的価値を蔑ろにすべき」という考えを批判したのであるが、当然、その逆の考えにもこの批判はあてはまる。

2018-03-22 13:08:35
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

文化的価値を追求することで人々が貧困になるのではない。 文化的価値を追求できなくなることそれ自体が、人々にとって(経済的)貧困なのである。

2018-03-22 13:12:04
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

「歴史学や人文学、一部の数学は無駄だから、そうした研究に報酬を与える必要はない」という考え方それ自体が、文化的価値のみならず、経済的価値の毀損にもなる。 「あれは無駄」「これは無駄」と吝嗇に走るほど、経済的豊かさが(文化的豊かさと並行して)失われることになる。

2018-03-22 17:07:41
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

この議論を色々と補足しておくと、市場で良い値が付くということ、市場経済が生産を促進するということが、(長期的)経済厚生の観点から言って望ましい生産物であることの必要十分条件かどうかというと、極めて微妙なのである。 twitter.com/motidukinoyoru…

2018-03-22 20:41:43
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

例えば、市場が誤った価格付けを行いそれが自己実現的に加速して破綻してしまうという現象(いわゆるバブル-バブル崩壊)はよく起こることだし、それを差っ引いても、外部性のある財は、過少生産ないし過大生産をよく起こすのであって、市場均衡が理想的になる条件はかなり限られる。

2018-03-22 20:44:22
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

具体的に考えてみよう。 例えば、市場において歴史的にコンスタントに富の形成を実現してきた産業として、ギャンブルや性産業が挙げられ、多くの基礎研究がそれ単体で(歴史的観点から言って)そうした産業を超える富を形成することはほとんどない。それでは、前者により大きくリソースを割くべきか?

2018-03-22 20:46:49
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

科学研究なら、研究単体ではなく、その外部効果まで含めれば、ギャンブルや性産業とした歴史的な「成功」産業に匹敵し得るかもしれないが、文化研究だと、ほとんど敵うことはないかもしれない。では、そうした文化研究は放棄して、ギャンブルや性産業に従事するのが「経済的に豊かな社会」なのか。

2018-03-22 20:49:17
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

もちろん、文化研究よりもギャンブルや性産業に従事する方が経済的に豊かだと断言する向きはあるかもしれないが、ここで重要なのは、このことはあくまで「選択」の問題なのだということだ。要するに、文化研究にきちんと「おカネを払う」=リソースを割くか、そうしないかだけの問題なのだ。

2018-03-22 20:50:35
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

例えば、戦争真っ只中で、最前線の兵士と生産ラインの工場勤務が大幅に不足している、とかいう話なら、文化研究する人材をそちらに振り分けなおすべきだ、という考えにもまあ一理あるかもしれない。(その戦争が回避可能であったかどうかはここでは触れない) しかし、今現在そうした状況だろうか?

2018-03-22 20:58:26
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

togetter.com/li/1211311 この一連のツイートでは、市場均衡(市場の決定する価格や量)がそもそもそんなに”信頼”が置けないという話(どちらかといえばミクロ経済学的な話)をしたのだが、当然、マクロ経済学的な問題も存在する。

2018-03-23 21:02:44
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

民間信用経済は本質的に不安定性があり、実物的変化がさしてなくても、信用の変動(例:バブルとその崩壊)で実物生産・消費水準は大きく変動することになってしまう。場合によっては、潜在貯蓄過剰により、長期的に停滞状態が持続するということすらあり得る。

2018-03-23 21:03:02
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

この場合、『仮に市場の配分がそこそこ信頼が置けたとしても』、実際の市場均衡に是正の必要が出てくる。そこでは、政府が民間に対して(純)貯蓄手段を提供するだけで、全体生産が向上する一方、政府が吝嗇を働けば、その分だけ貧しくなっていくという構造が現れることになる。

2018-03-23 21:03:12