10周年のSPコンテンツ!
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石部統久 @mototchen
松岡正剛の千夜千冊1290夜『神々の沈黙』ジュリアン・ジェインズ 1000ya.isis.ne.jp/1290.html pic.twitter.com/blyxw59Lcv
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河野 傑 Suguru KONO @suggie0403
本村凌二さん「教養としての世界史」読了。 理解を深めるため、 もう一回読んだ方が良さそう。 ジェインズの二分心という概念を知る。 人類が文字を使う前は 意識も定かではなかった。 つまり、「我思う故に我あり」ではなく、 内なる神の声を聴いていたという。 神託、託宣、はこの名残だそうだ。 pic.twitter.com/sNeW33bSUL
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田上孝一 @tagamimp
「文字が普及すると、ダイレクトな反応に代わって、自分の反応に対する自分の反応に対する自分の……といった反応の再帰性(折り返し)が生じるようになる。これが「意識」だ。」って、無文字民族には意識はないのか!?
オサーン @crossofdog
@tagamimp @toripan2 文字として残しておくと再読して(されて)概念として固着、先鋭化するって感じですか?意識を文字情報「意識」として残さない時代はそれを自覚する事が出来なかった。無いわけではなく何となくふんわりした感じだったのでしょうねぇ。
オサーン @crossofdog
@tagamimp @toripan2 概念は物ではないのにあたかもそこにあるかのように認識される。概念を物と認識すれば確かに「無い」と言える、かなぁ。
済州島みかん🍊 @99mina_jeju
J.ジェインズの「二分心仮説」によれば、言葉の発生によって原初の意識が生じたけど、それは現代人とは異なる統合失調症的な不安定な意識に留まり、文字の発明によって(現代人と同じ)統合された自意識が生まれるようになった、とされていますね。 ちょっとオカルトっぽいですが(笑) twitter.com/tagamimp/statu…
済州島みかん🍊 @99mina_jeju
あ、やっぱりこの一節を読むと、宮台氏はジェインズに言及している気がしますね。ジェインズもヒトに現代人のような意識が生まれたのは、文字が普及し始めた 3000年前と予想しています。twitter.com/tagamimp/statu…
田上孝一 @tagamimp
「社会学には「主体性」の概念がある。人間の「意識」は3000年ほど前に「文字」の普及によって生まれた。それ以前も「言葉」はあったが、歌や踊りとともにあり、ダイレクトに感染を引き起こす道具だった。」…
済州島みかん🍊 @99mina_jeju
もし二分心仮説が正しいのだとしたら、近代に至るまで、西欧が特異に信心深かった理由は文盲率の高さと何か関係あったのかなとも思う。 ほら、統計的にも統合失調症の発症リスクの高さは、知能指数の低さと比例するという報告もあるし、識字力と意識の統合性には何か関係があるんだろうね。
光岡英稔 @McLaird44
人類史において記号(シンボル)、文字、数がナゼ出来たか、形成されたかまで考えないと、近代文明、現代の先進国と言われる国々の体質の根源が理解できないだろう。一つは先進国、近代化されている国家で無文字文化圏でありながら、先進国、近代文明化した国や支配国と呼ばれる国を私は知らない。⇒
光岡英稔 @McLaird44
それは、少し文字文化と無文字文化における身体観、感性、構造の違いに注目してみれば確実にあることが分かる。また、国家を形成する上でも文字、数、シンボルなどの概念の共有は必要不可欠なファクターである。⇒
光岡英稔 @McLaird44
国家がなければ、無論そこに国家権力なども生じ得ないし、そもそも植民地政策の一貫した手法として土地の言語を奪い、政策をしている側の言語を根付かせることから始めることはありきたりの戦略である。そして支配を持ちかける側は文字文化圏、支配される側は無文字文化圏であることが多かった。⇒
光岡英稔 @McLaird44
ただし、既に独自の文字文化が共有され定着していた文化圏に対しては植民地化政策は無文字文化圏を征服するほど上手く行かなかった。それは文字や数、記号による身体の共有をしている者ほど「概念の共同体」ができており、互いの概念の衝突が「論理や経済と言う名の戦場」にて起きるからである。⇒
光岡英稔 @McLaird44
しかし、文字を既に獲得してしまった私たちに気付かない内に根付いてしまっている『Da Hi-maka-maka Haole(ダ ハイマカマカ ハオレ)※今のハワイ語で“自惚れて傲慢な異人、思い上がった外人”』としての私が其処に居る。そのことに気付けるかどうかが、文字文化圏の人間の課題となる。⇒
光岡英稔 @McLaird44
釈迦や老子ではないが言葉を通じて無言の世界を試み、縄文時代のように今でも無文字文化圏に住むヤノマミやピダハン、またはアフリカ、東南アジアの部族の人たちから私たち文字文化圏の人間は無言・無文字の世界と身体観を習い教わることができる。⇒
光岡英稔 @McLaird44
あるサモアのチーフ(酋長、王)がヨーロッパを訪問した物語たが、その中のサモアン・チーフの台詞で「この土地では朝起きたら先ず何かが描かれた紙を皆が一斉に開いて、頭の中を皆が一緒にしようとする、変わった人たちである。」とのセリフがあるが、フィクションであれ的を得た台詞である。⇒
光岡英稔 @McLaird44
人類が社会を形成する上で100〜150人ぐらいまでの人口なら概念の共有なく一つの集落で皆が暮らして行ける。年月が経てば、あと少しぐらいだけは増やせる。この場合には皆が互いの顔を知っており、必要なのは喋り言葉の共有だけで、文字やシンボル(象徴、記号)を共有する必要はない。⇒
光岡英稔 @McLaird44
人口が増え、集団が1000人になり、人間同士が集落の中で互いの顔が見えなくなり、互いに顔を合わさなくなるとシンボルや文字による概念の共有が生じ始める。「一集落の人口増加、概念と思想の共有、文字・シンボル(象徴、記号)の発生」この三つのことは密接に関係している。⇒
光岡英稔 @McLaird44
描かれた落書きに意味を持たせ象徴化し、精神が象徴(シンボル)や文字、数、記号にて概念の共有を行うようになっていった。この何かに意味を持たせたくなる衝動こそが人間の特徴の一つである。⇒
光岡英稔 @McLaird44
精神によって何かに意味が持たされることがあり、また意味から精神が作られて行くこともある。私達が経験したことから精神、意味、概念が内生し、そこから更に記号、文字、数は作られて行く。⇒
光岡英稔 @McLaird44
その「精神、意味、概念」が近代文明を形成する上で生じた人間における内面的な働きでもある。⇒
光岡英稔 @McLaird44
文字文化圏と無文字文化圏の違いが、焦点ではないとの見解はあくまで文字文化圏の人間が言っていることであり、それは、その人の感性がそもそも文字が使えてしまうことをハンデキャップとして見ず、⇒
光岡英稔 @McLaird44
気づかぬ内に文字を書けてしまうことへの傲慢さや自惚れから「文字や記号、数字を操ることが普通は人間に出来ること」として見なしてしまえる私たちが持つ障害でもある。⇒
光岡英稔 @McLaird44
文字が書けてしまえることや、概念や意味を理解してしまえることをハンデキャップ、障害として捉えている人は幾人いるだろうか。これをハンデや障害と見做さないと、等身大で人間を理解することは出来ない。これは私たち俗に健常者と呼ばれる側の人間が持つ障害でもある。⇒
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