@Calcijp はじめまして。83年~84年頃、銀座にあった朝日ソノラマ社が月1位で土曜日編集部を解放していて、時々遊びに行っていました。その時「僕らはオタクっていわれているんだよ」と話して下さったお兄さん方がいたのを思い出しました。もちろんお姉さん方も。女のオタクは普通にいましたよね。
2018-04-26 23:04:21@Calcijp コミケが無い時代はFC会報の有志によるイラスト、小説。FC内での回覧ノート(届いたら何か書いて次の方に郵送)最後は纏めて会報にする。なんてのもあったとか。自分として同人はお姉様方の世界って印象があります
2018-04-26 23:18:03@nekoga @Calcijp 赤某某主催のイベントカタログだったみたいで、同時期の関西方面のイベントが少し載ってました pic.twitter.com/HtGzid0zO5
2018-04-26 23:18:53@tialise7 ガリ版、ジアゾ式コピーが主流で、もう少し部数が増えると活版印刷とオフセットです。しかし後者二つは非常にコストが高く少部数印刷には向いていませんでした。その後僅かな時期に酸化亜鉛方式、キヤノンの湿式コピー、感熱紙式を経て今のPPCに至ります。
2018-04-27 00:34:10@Calcijp 80年には神保町に7円コピーのお店ができてたので、色紙やスケッチブックをコピーさせてもらってました。印画紙のカラーコピーがB4で500円ぐらいだったかと。
2018-04-27 02:14:29@L3qH1twz3R1FgcG @Calcijp @fukamiei 一説には、セル画収集の愛好家が、交換や売買目的の為に、相手に声をかけるのに『お宅は~』と言ったのが始まりとも言われていますよ…。
2018-04-27 02:27:18先輩が持ってて読ませてもらったよ。 ガリ版に絵を描くのは、下絵の上に原紙を重ねてシャーペンなどでなぞり(白い線がつくけど原紙は切れてない)それを更に鉄筆でなぞるのである。下の鉄板にはいろいろ細かいのやら粗いのやら目の種類があって、なんとアミもできたのだよ(確か twitter.com/calcijp/status…
2018-04-27 07:48:32コミケ創設当時どんな同人誌があったかちょっとご紹介。迷宮の「ポルの一族」は有名ですが、最初「萩尾望都に愛をこめて」(1976)という同人誌に掲載されました。なんと表紙はガリ版です!今見ても高いクオリティです。 pic.twitter.com/ADjjeFc6h1
2018-04-25 18:09:37@L3qH1twz3R1FgcG @JYUNICHIKUWAKI @fukamiei そもそも「おたく」という二人称は東京の山の手言葉が語源なので正確な起源を求めることは無理があります。
2018-04-27 07:50:07@telmaire 東近江に謄写版印刷の発明者、堀井新治郎の自宅を改装したガリ版伝承館があります。ご興味のある方はぜひ。 gamoyume.org/%E3%82%AC%E3%8…
2018-04-27 08:13:42