「二天一流は二刀流ではない」はいつからあるのか?(野田派編)

二天一流は二刀流ではない、二天一流は一刀が主、二天一流は試合では二刀は使わない、という話は二天一流の各師範がお話されていて、定説の一つのようになっています。 ですが、伝書等や江戸時代の武者修行者の記録を見ると二刀で試合をおこなっており、歴史的にはそのまま素直に受け入れるのは難しい説だと個人的には思っています。
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みんみんぜみ @inuchochin

一川先生の本を読みなおした。 経歴上仕方ないとはいえ、あまりに流派に対する理解度が低い気がする。これも開祖を敬いすぎて、その途中の師範方を軽んじているせいではないか。あまりに二刀流二刀流と言われすぎて、それに対する反発が大きいような気もする。実際直木三十五の批判に言及してます pic.twitter.com/MQeasrMySY

2018-05-03 01:27:57
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みんみんぜみ @inuchochin

「試合で二刀を用いるために練習するのが目的ではない」も、確かに明治以降の二天一流の伝承者は武徳会に参加して剣道(一刀)で活躍しているけど、野田派の伝書には「合口」として二刀で試合稽古をしているし、江戸後期の回国修行者の記録でも武蔵流が二刀を使う記録がある(肥後以外の九州の可能性も

2018-05-03 01:27:57
みんみんぜみ @inuchochin

一川先生の二天一流の形について「片方で押えて、片方で打つという両手を使ったものはない。皆片手である」という評も、剣道の二刀流が念頭にあるのでは?野田派でも両刀受や左で誘って右で打つ動き、左で太刀を制して右手で太刀を打ち落とす、左で受け右で切る、等ありますが、それは違うのでしょうか pic.twitter.com/YslyVrtM9Y

2018-05-03 01:27:58
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みんみんぜみ @inuchochin

一川先生は二天一流(野田派)を熊本に残した功労者ですが、構えを五輪書に合わせて改変したりしています。二刀流ではない、も二天一流は二刀流にこだわらないの意味なら伝統的な考えでしょうが、二刀ではない、と否定するのは誤解が増えた原因のような気がします。(一川先生とその師の指田先生の中段 pic.twitter.com/9QuvrnkJ2r

2018-05-03 01:27:59
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一川先生の後継者の一人、大浦先生も『野田派二天一流に伝えられていることは、「世に言われている二刀流ではない」の由来を貫く片手剣法の神髄であることを』『五輪書の中に二刀で斬れとどこにも書いていない。」と考えを踏襲されています。 pic.twitter.com/SVEodH00wq

2018-05-03 01:28:00
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ただ、大浦先生の場合は「武蔵の片手剣法は西洋では左手に楯を持ち、防御の姿勢をとり、右手に剣を握って闘う剣法と似通ったものがある。」と一川先生の書かれている内容と少し雰囲気が違う部分もあります。二天一流の形の理解としては、こちらの方が素直に見たままのように思います。 pic.twitter.com/MalyWSyFz0

2018-05-03 01:28:01
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ちなみに、一川先生は明治44年生まれ、昭和11年に剣道錬士、昭和36年に剣道八段になっています。二天一流の形を学んだのは指田次郎師範(明治16年生?)からで、昭和30年代半ば、50歳前後の頃のようです。指田師範が熊本に二天一流を残すために、剣道高段者(八段)だった一川先生にお願いしたようです

2018-05-03 01:28:01
みんみんぜみ @inuchochin

なお、一川先生は二天一流の形の理合について「剣道七、八段くらいにならないとあの理合はわからないと思う」と書かれていますが、他流(剣道)の人はそうかもしれませんが、流儀の人間にとってそんな修業しないと理解も出来ないものではちょっと困る気もします。(一川先生の経験上の印象でしょうか? pic.twitter.com/rmVEUkquhx

2018-05-03 01:28:02
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(なお、野田派について、一川格治先生の「宮本武蔵二天一流の世界」、大浦辰男先生の「宮本武蔵の真髄」、荒関二刀斎著「二刀流の習い方」などがあります。また、魚住孝至先生の「宮本武蔵―日本人の道」なども肥後の伝承について書かれています。)

2018-05-03 01:28:03
みんみんぜみ @inuchochin

それで、江戸時代の二天一流の記録については現代の説より調べるのが難しいですが、いくつか紹介します。まず、肥後藩の二天一流に伝わった伝書より。寛永14年(1614)に書かれ、その後注釈が加えられ享保5年(1720)に写本された書では、「此の道二刀にもとづき」「二つとも用にたてたき」とあります pic.twitter.com/7RduXZcJIW

2018-05-03 01:52:45
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みんみんぜみ @inuchochin

天保七年に書かれた他流試合口並問対によると「武蔵流」は「二刀也。左にて請留、右にて打。尤左刀は短し。左は晴眼、右は上段。或は矢筈に組走込。体の当り強し。是に当るさくは勘考すべし。」とあるそうです。雲弘流と並んで説明されているので肥後の二天一流でしょうかkanoukan.blog78.fc2.com/blog-entry-133…

2018-05-03 01:52:46
みんみんぜみ @inuchochin

また、これは野田派の野田家に伝わった伝書での解説ですが、二刀の五本を終えた後に合口と言って五輪書などに解説されている三つの受け、三つ先を修業するために二刀のシナイ(袋撓)を使った稽古を行っていたようです。これがどうも当時肥後藩で広く行われていた半試合形式の稽古だったようです。

2018-05-03 01:52:46
みんみんぜみ @inuchochin

野田派、山尾派などの系統では、一刀の形は二刀が終わって修行が進んだ門人が学ぶものでした。(他の地方ですが、岡崎藩の武蔵流でも同じでした) これは二刀流の稽古では打太刀(敵の役目)をするのは一刀なので、打太刀をするような先輩門人が一刀の稽古をしたからでは、と思います。

2018-05-03 01:52:46
みんみんぜみ @inuchochin

実際のところ、いつから「二天一流は二刀流ではない」「二天一流も一刀が主」「二天一流は特に二刀で試合をするものではない」という言説が現れたのか不明ですが、江戸時代では二刀流の試合稽古や他流試合が行われていた史料があるので、やはりある時期に現れたものだと思います。

2018-05-03 01:56:45
みんみんぜみ @inuchochin

(ただし、一川先生がいう「二刀流」というのは、剣道の二刀流やちゃんばらの二刀流をさしているようで、いまいちどういうものを指しているかわからない部分があります。しかし、それを字義通り、二天一流は二刀で戦わないと受け取っている人が多数いるようです)

2018-05-03 01:56:46
みんみんぜみ @inuchochin

最後に、重要な点ですが別に「二天一流は二刀流ではない」「試合で二刀流を使うためのものではない」といった教えを否定している訳ではないです。 いつからある教えなのか、そういった事が知りたいわけです。

2018-05-03 02:08:12