「偶然起きた(としかいえない)ことの研究」の(不)可能性
- kuragari20nen
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とにかく「個人の人生」や「個人に起きる出来事」において最も説明分散の大きい要因は「偶然」、これだけは間違いがない。多数の個人を集めて統計的に分析すると偶然の分散が相殺されるので違う答えが出るだけの話。
2018-05-03 09:55:09「個人」を記述する、ということを本気でやるならば「その個人に生じた偶然」が記述の中心とならざるを得ないのではないか。
2018-05-03 10:27:22「統計的に有意」とか「効果量が大きい」とかいうのはみんな「自分が観察したものは偶然ではない」というためのロジックなわけだけどじゃあ「自分が観察したものは偶然ですが」から始まる「学」というのはあるのか。
2018-05-03 10:33:20動かないものは見えないし、偶然のように動きすぎるものも見えない。「運動」についても「このくらいの動き具合がいちばんよく見える」という生態学的スケールがあるのだろう。
2018-05-03 10:49:00@marxindo ひたすらハードワークで実験を回している系の研究者は、法則を普遍化することをそう重視していない気がします。なお、観察自体が誤まりの可能性があるを、偶発的に発見する(観察自体は手堅い)と摩り替えてレスしていますが、空目をもとに成立する学問が無いと言う意味では御主張の通りだと思います。
2018-05-03 10:54:49@uncorrelated 一度は確かに起きたけれど(そういう意味で空目ではないけれど)それが偶然であるもの、をイメージしています。
2018-05-03 10:56:42そういう意味では「追試が失敗する再現性のない結果」であっても捏造や事実誤認でない「一度は本当に起きたこと」であれば意味はあるんじゃないかとずっと思っている。
2018-05-03 10:58:21「学問」「科学」では偶然という「地」の上に浮かび上がる必然という「図」を描き出そうとするけど、個人の人生では逆に必然という地の上に偶然という図が鮮やかに浮かび上がる瞬間というのが繰り返しある。それを描き出す学問?そんなのありうる?
2018-05-03 11:01:52@marxindo 確かに起きたが偶発的で再現性が無い事象の研究は、ビッグバンや特定生物の進化過程、恐竜の絶滅理由など色々とありますね。もちろんこれらも理由の全てを偶然にしたままとはしていないので、偶然ではないものを探しに行っているのは確かです。
2018-05-03 11:02:10@uncorrelated 中谷宇吉郎が彗星の軌道を例にその話をしてますね。ある軌道を持つ彗星はもう二度と太陽系の中には戻ってこない、ただそれがもしもう一度来たらそれがどのように飛んでどう見えるかを予測できるのが科学、と。
2018-05-03 11:08:36【以下,2018-05-06追加分】
血液型盛性格判断のデータを「偏りのある読者から取ったデータではないか」と批判していた研究者が調査会社のモニターを利用しているのはどうなのかという話か。
2018-05-06 08:20:32@kokiikedaJP @daihiko 「わずかな差」でも大きなサンプルで頑健に示されていれば意味のあるものと考える傾向が心理学でも強くなったからでしょうね。
2018-05-06 14:39:56