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西郷隆盛と武士の「死にたがり」の話
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gryphonjapan
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史料 “「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」 西郷隆盛 (西郷南洲遺訓)” / “命もいらず、名もいらず、官位も…” htn.to/HbdYZr
2018-05-05 08:42:04![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
『…日本的美質を結晶させたという点でほとんど奇跡的な人格をもつ男は、青春のころから常によりよき死場所をもとめて歩き続けてきた。死ぬために生きているという一見滑稽であるかもしれないこの慾求は、たとえ滑稽であるにせよその場所をはずしては西郷そのものが存在しなくなるのである』司馬遼太郎
2018-05-05 03:30:24![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
西郷さんは一橋慶喜擁立運動に、島津斉彬の命で関わったのではなく、それ以前から個人として、水戸人脈を通じてこの運動に深く関わっており、むしろ斉彬も関わるよう説得していたとは(斉彬の方も”たまたま”松平春嶽を通じて関わっていた)そら斉彬も「俺じゃないと西郷は制御できない」って言いますわ
2018-05-03 12:14:15![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
西郷さんの、斉彬への恩義も忠義も本物だと思いますが、その上で、やはり彼は斉彬の範疇にはとどまらない、一個の独立した政治運動家ですね。
2018-05-03 12:17:21![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@1059kanri それだとマジで自分がかつて見込んで担いだ人間を敵対後に殺そうとしたってことになるじゃないですか……!!
2018-05-03 15:13:42![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@nonomaru116 あまつさえ、慶喜擁立運動の頃、西郷さんは間違いなく慶喜に一度も会ったことがなく、完全に(水戸派の)ブームに乗っかってる、感じだったようでwまあ斉彬すら慶喜に会ったのは1回だけだったとか(その時の斉彬の慶喜評は「後継ぎにしたいくらい優秀だけど驕りすぎ」だそうでw)
2018-05-03 18:34:46![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
西郷さんは斉彬が死んでから、常に死に場所を探していた、みたいな言い方をされがちですが、斉彬生前から口癖のように「いつでも死る命を投げ出す」とアピールしていて、むしろ一種の、生まれついての死神ではないかとすら感じるところが。
2018-05-03 18:47:47![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
武士として薩摩隼人として主君、国家のための「立派な死」は最上の理想で、西郷さんはそれを純化したような人だったのでしょうが、年齢が近く比較されることも有る吉田松陰なんかは「生きようが死のうが関係ない、成すべきことを成すだけ」「死にたいとかそういうのも不純」という発想ですね
2018-05-03 18:47:48![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
私そういう人東側でもみたことあるわ、「いつでも命をかける所存」って手紙を出しておいて、次の出だしは、「みんな元気です!」って言うの。それなのに戊辰に入ってから突然死に場所を探していたって言われるの。まあそういうこと言ってたような節もあるけど前からよ。土方歳三って言うんですけど twitter.com/1059kanri/stat…
2018-05-03 18:51:48![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
西郷隆盛には明るい印象がありますが内的には極端にネガティブで、吉田松陰にはあまり明るい印象はないものの、内的には極端にポジティブ、という印象がある
2018-05-03 18:56:25![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
西郷隆盛にもその傾向がありますが、近世の武士には人生の究極の目標を「かっこいい死」に設定して、自分にその「かっこいい死」を与えてくれるモノ(主君なり大義なり思想なり)は何かを探し求める、という人々が一定の割合で居ますね。
2018-05-03 19:10:02![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@1059kanri ただのミーハーじゃないですかぁー!!w まぁ、若い頃から頭はいいけど鼻持ちならない人だったんでしょうなケイキ様w
2018-05-03 19:50:34![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@1059kanri 謙虚という文字が辞書になかったタイプですなw おまけに渋沢とあと数人以外とは元家来と会おうとしなかった(これは政治的配慮もあるのだけど)とか、旧幕臣の困窮に目を向けなかったとかで、晩年まで恨まれる人には恨まれていたという、いやはやなんというか……w
2018-05-03 20:12:26![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@1059kanri 格好良い死っていつ位から、武士の間に流行りだしたんでしょうね。まだ大阪の陣ちょっと前まではズタボロになっても生き延びて、再起を図るってのが主流だったと思うんですけど
2018-05-03 21:01:44![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@SU858 まあ将官クラスはともかく、一般の武士レベルだと戦国期から「君前の討ち死にこそ最高の名誉」という意識はたしかにあったようです
2018-05-03 21:24:30![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@ako2001 史実の西郷さんを追っていくと、やはり相当面白いのですが、これは大河には出来ないなあ、とも思ってしまいますw
2018-05-03 22:35:23