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畑中氏によるこれまでのアラーキー問題に関する発言
アラーキーの元担当編集者として30冊以上の書籍にかかわった立場から、なにかしらコメントしてもいいけど、批判と擁護を含めて本1冊ぶんぐらいは必要だからコメントしません。 pic.twitter.com/A9q6e9I5w2
2018-04-10 00:51:42といいつつ、飯沢耕太郎氏がアラーキー擁護の記事を公開した際、つらつらと呟き始める。
アラーキーは殺されるべきか? :飯沢耕太郎 realkyoto.jp/article/izawa-… >荒木さんの仕事を丹念に追っていて、また時代との乖離についても言及されていて、概ね同意する。一方で陽子の死以降の荒木の写真は、“虚実皮膜”“偽死者真”ではなかったのではないか。…
2018-04-25 19:56:38…私自身も編集者として、陽子さんの死以降の荒木礼賛の共犯者だったのだが。フェミニズムやジェンダーの文脈では、荒木の写真はたぶん時代遅れに過ぎるだろう。そして今回のような事態が起こったのは、荒木の表現のゆるやかな弛緩が、一気に噴き出たことによるのではないか。
2018-04-25 20:01:25…荒木写真を年代史で追ってみれば、60年代~80年代と、90年代は明らかに違うし、00年代から10年代は衰弱の過程といっても過言ではない。しかしこうした変遷の理由を、作家の個性や時代の趨勢に求めてもよいのだろうか。
2018-04-25 20:07:52…荒木の写真シリーズの多くは、女性の裸体だけで成立しているものではない。剥き出しの裸体と剥き出しの都市を対置することで、近代の、あるいは東京の暴力性を、文学的感性に訴えるようか形で表現しようとしてきたのだと思う。
2018-04-25 20:13:44…今回の事態の直前に、NHKで荒木のドキュメンタリーが放映されていた。去年は東京都写真美術館やオペラシティなど大規模な個展もおこなわれた。美術手帖でも特集を組んでいた。そういうの目にするたび、私が全集を編集していた90年代半ばから、荒木に対する批評や解釈は全く深化していないと感じた。
2018-04-25 20:21:48…この数年というか10年近く、荒木の写真に向き合ってこなかった私が言えるのはこんなところまでだ。もし今回の事態をもとに前向きなことが起こるとすれば、写真批評や写真批判が活気を持つことぐらいだと思うけれど、そういう期待はあまりしていないのである。
2018-04-25 20:39:34一連の荒木に関するツイートはあんまりおもしろくないよ。なんとなくかつての共犯者としての義務感みたいなことからつぶやいてみただけですからね。
2018-04-25 20:41:16自分も共犯の一人であると言いながら、飯沢氏の議論に乗っかってアラーキーの作品と評価へと話題を逸らすしかないようです。
畑中氏もアラーキー擁護記事を公開
この記事も飯沢氏の議論に便乗し、民俗学者としてアラーキーとその作品を擁護するという内容。肝心の告発問題にはほとんど触れられていません。
疑問の声
長い アラーキーは、なぜ時代と乖離したのか? 元担当編集が明かす これから彼に写してほしいものがある #SmartNews gendai.ismedia.jp/articles/-/557…
2018-05-19 12:11:47「『アラーキー』の解説」はされているけど、今回の件について担当編集者がどう考えたのかがない。→ アラーキーは、なぜ時代と乖離したのか? 元担当編集が明かす gendai.ismedia.jp/articles/-/557…
2018-05-19 22:13:00