有馬桓次郎氏による「第一次大戦における日本海軍糧食体制の失敗しっぱいエヘヘ」第一話

有馬桓次郎氏による「第一次大戦における日本海軍糧食体制の失敗しっぱいエヘヘ」 第二話 https://togetter.com/li/1234248 第三話 https://togetter.com/li/1234543
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有馬桓次郎 @aruma_kanjiro

作家的な何か。 KADOKAWA電撃の新文芸「ステラエアサービス」作者。 ホビージャパン「海軍さんの料理帖」、イカロス出版「軍人たちの決断」「20世紀の軍人列伝」、小学館「戦車に夢中です!」……etc.  お仕事のお問い合わせは info★gondwana.biz まで。

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有馬桓次郎@1日目南め20a @aruma_kanjiro

2日の書泉グランデのミニトークショーでは、日本海軍が沿岸海軍から外洋海軍へと脱皮していく転換点となった第一次大戦、その糧食体制の失敗例を紹介した訳なんですけど、改めてツイッターで読みたい人いますかね。ほら何せ私ぁ書く方の人でベシャリいまいちだから。

2018-06-04 01:12:10
有馬桓次郎@1日目南め20a @aruma_kanjiro

はあ、途中まで書いた。「こんなに話したっけ?」てくらい長い……これ全部をいっぺんにアップするとTL大迷惑なので、3日くらいに分けてアップするっす。

2018-06-04 17:34:12
有馬桓次郎@1日目南め20a @aruma_kanjiro

ではいきます。 お題は「第一次大戦における日本海軍糧食体制の失敗しっぱいエヘヘ」です(´ω`)

2018-06-04 17:36:52
有馬桓次郎@1日目南め20a @aruma_kanjiro

「明治日本海軍は、沿岸防衛型の海軍だった」 こう書くと賛否両論あるだろうけど、少なくとも兵站の視点で見るならあながち大外れじゃない。別の言い方をするなら、来寇してくる敵艦隊を日本近海で迎撃し、もって日本列島周辺の制海権を確保する。そんな戦略のもとで整備された海軍だった。

2018-06-04 17:37:44
有馬桓次郎@1日目南め20a @aruma_kanjiro

日露戦争の例を紐解くと、当時の日本海軍は民間から3隻の貨物船を徴用、これを特設給糧艦として糧食品の輸送にあたらせている。これら貨物船には徴用時に最新式の冷蔵機が追加されたけれど、元来がドライカーゴ船であって船倉内の湿気が酷く、糧食品の腐敗やカビの発生が著しかったという。

2018-06-04 17:38:11
有馬桓次郎@1日目南め20a @aruma_kanjiro

でも想定された決戦場が日本近海に限定されていたために、これらはあまり問題とならなかったんだな。これら3隻は連合艦隊の根拠地だった朝鮮半島南部の鎮海湾と日本本土の間を往復して糧食輸送にあたったけど、航海期間が短かったために腐敗やカビの発生が最小限で済んだわけ。

2018-06-04 17:38:52
有馬桓次郎@1日目南め20a @aruma_kanjiro

兵站とは、ともすれば正面戦力を整備するより金も手間もかかる一大事業だ。少し風呂敷広げた言い方すると、明治日本海軍は決戦場を近海に定める事で大規模な兵站能力を不要とし、その資金を正面戦力に集中させた海軍だ。故に明治維新後たった30年余で露海軍を破れるだけの戦力を確保できたといえる。

2018-06-04 17:40:01
有馬桓次郎@1日目南め20a @aruma_kanjiro

日露戦後も日本海軍の基本戦略に極端な変化はなく、ゆえに兵站もそれまでと同様のものでも充分だった……ところが、この日本海軍の兵站に対する思想が根本から崩壊する時がやってくる。当時の列強諸国が軒並み参戦し、古今未曾有の大戦争となった第一次世界大戦の勃発だ。

2018-06-04 17:40:50
有馬桓次郎@1日目南め20a @aruma_kanjiro

この戦争に日本は日英同盟の立場から参戦。青島など中国大陸や太平洋各地に散在したドイツ植民地を攻略すると共に、太平洋やインド洋、そして地中海に艦隊を派遣して商船護衛を行なったのはご存知の通り。

2018-06-04 17:41:24
有馬桓次郎@1日目南め20a @aruma_kanjiro

そして日本海軍は派遣された特務艦隊に対する糧食補給を、日露の時と同じく民間商船を利用して乗り切ろうとした。当時の日本商船団は世界でも指折りの規模を誇っており、この輸送網を利用することで円滑に糧食輸送ができると考えていたわけ。

2018-06-04 17:41:56
有馬桓次郎@1日目南め20a @aruma_kanjiro

特に地中海に派遣された第二特務艦隊に対しては、コロンボやシンガポール、もしくはスエズ運河の地中海側の港町ポートサイドまで日本商船で運び、そこから英国商船に載せ換えて、第二特務艦隊の根拠地だったマルタ島に運びこむって方法が採られていた。

2018-06-04 17:42:37
有馬桓次郎@1日目南め20a @aruma_kanjiro

このために海軍は日本郵船に要請し、日本~ポートサイドに至る直通航路を1917年8月に開設して貰ったりしている。日本郵船としても大戦勃発で欧州航路が軒並み休止されていたことから、海軍の要請を諸手挙げて歓迎した。これら軍需物資輸送も合わせ大戦中の日本商船界は好景気に沸き立つ事になる。

2018-06-04 17:43:19
有馬桓次郎@1日目南め20a @aruma_kanjiro

ここのところチョイ説明を足しておくと、大戦勃発によって欧州商船界が壊滅的状況となったため、太平洋やインド洋における貨物輸送を日本商船界が肩代わりすることで、日本の商船各社とも莫大な利益をあげたってわけです。

2018-06-04 17:45:41
有馬桓次郎@1日目南め20a @aruma_kanjiro

当然ながらこれら一般商船は冷蔵設備など搭載してるほうが珍しいし、航海も長期間に渡ることから、日本からはるばる送り出されるのは米・麦・味噌・醤油・漬物・酒など保存の利くものだけ。野菜や肉魚など生鮮食料は現地で購入する事になっていた。そのための資金も第二特務艦隊に配されている。

2018-06-04 17:47:46
有馬桓次郎@1日目南め20a @aruma_kanjiro

現代の視点からみると、もうこの時点から何となーく失敗する気配がプンプンしてくるんだけどね。でも当時の日本海軍はおろか誰もがこれで万全だと思っていたのだ。そして案の定、この方法はアッという間に崩壊してしまう。以下、ある日の第二特務艦隊から日本本土にあてた報告書。

2018-06-04 17:48:30
有馬桓次郎@1日目南め20a @aruma_kanjiro

「地中海へは商船で糧食を送られたが、米・麦・缶詰類は約半数のみ到着、味噌・醤油・漬物・酒類に関してはただの一つも到着せず、官憲の検査時に廃棄されたものと考えられる。我が隊の味噌・醤油・漬物類は最も欠乏に近付きつつあると共に、これらを内地より商船便で送るのは極めて困難であり……

2018-06-04 17:49:11
有馬桓次郎@1日目南め20a @aruma_kanjiro

パン・麦類は当地でも容易に入手できるものであるから、これらを減らしてでも、味噌・醤油・漬物類についてかなり大量に送られたし」 多少判りやすく現代語訳したけど、なんじゃこれわ。ムッチャクチャやないけ! ……その最たる原因は、実は当時の物流システムそのものにあったわけ。

2018-06-04 17:49:51
有馬桓次郎@1日目南め20a @aruma_kanjiro

第一回、了。 第二回は実際の失敗例について触れていきます。ね、長いでしょ(´ω`)

2018-06-04 17:57:40
まとめ 有馬桓次郎氏による「第一次大戦における日本海軍糧食体制の失敗しっぱいエヘヘ」第二話 第一話はこちら 有馬桓次郎氏による「第一次大戦における日本海軍糧食体制の失敗しっぱいエヘヘ」第一話 https://togetter.com/li/1233927 8159 pv 41 1 user 1