高杉晋作の生涯をまとめてみた

幕末から維新へと至るまでに導いた主な革命家10名の1人ともされる、長州藩維新志士・高杉晋作の生涯を訪ねた史跡写真と共にまとめてみました。※一部パブリックドメイン借用
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ℳ.日本史と近代史◇歴女と呼ばないで @MoeK20060408

5月には伊藤俊輔と共に薩摩行きを命じられ、その途次、藩の了解を得ずに長崎で蒸気船「丙寅丸」(オテントサマ丸)を購入しています。 6月の第二次長州征伐(四境戦争)では海軍総督としてこの丙寅丸に乗船し、戦闘指揮を執ります。周防大島沖で幕府艦隊を夜襲してこれを退け、

2018-06-05 01:05:20
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林半七率いる第二奇兵隊等と連絡して周防大島の奪還に成功。小倉方面では艦砲射撃の援護のもと、奇兵隊・報国隊を門司・田ノ浦に上陸させて幕府軍を敗走させます。 その後、小倉城近くまで進撃したものの肥後藩・細川家の軍勢に撃退され、戦況は停滞しました。 pic.twitter.com/SiaAtE3gPs

2018-06-05 01:05:21
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しかし、1866年8月29日(慶応2年7月20日)14代将軍・将軍徳川家茂が死去すると、9月8日には肥後藩・久留米藩・柳川藩・唐津藩・中津藩が撤兵、 幕府軍総督・小笠原長行も海路で小倉から離脱し、残された小倉藩が翌9月9日 小倉城に火を放ち逃走した為、幕府軍の敗北は決定的となります。 pic.twitter.com/wAG5VayEkF

2018-06-11 22:56:18
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これにより幕府の権威は大きく失墜し、翌1867年(慶応3年)11月の大政奉還へと繋がっていきました。 1866年(慶応2年)8月 晋作はかねてより患っていた肺結核の悪化で戦線を離脱し、桜山の麓の小さな家屋に転居します。やがて愛人・おうのの看病のもと療養生活に入り、 pic.twitter.com/AUQP9K0CWE

2018-06-11 22:56:20
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後に下関の新地町の庄屋・林算九郎邸の離れ屋敷に移りました。1867年(慶応3年)3月後半から病は更に重篤となります。 1867年5月17日(慶応3年4月14日)高杉晋作は下関市桜山で肺結核の療養中に死去。享年29歳、早すぎる死でした。 pic.twitter.com/9KguBKk4pe

2018-06-11 22:56:21
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臨終には父・母・妻と息子が駆けつけ、野村望東尼・山県狂介(=後の山縣有朋)が立ち会ったと伝わっています。 高杉晋作・辞世の句 ~おもしろきこともなき 世を(※世にとも)おもしろく~ 死の直前に高杉は筆と紙を求め上の句を書きかけますが、力が尽きて後が続かずにいたところを傍にいた

2018-06-11 22:56:23
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歌人・野村望東尼が「すみなすものは心なりけり」と下の句を代わりにつけてやったという話があります。※諸説あり 墓所は生前の遺言により、奇兵隊の本拠に近い清水山に葬られました。 この地は晋作の盟友・山縣有朋所有の建物「無隣庵」が在りましたが、旧藩主毛利元昭をはじめ pic.twitter.com/434anIQ5bK

2018-06-11 22:56:23
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伊藤博文・井上馨等の寄付で、新たに「東行庵」として建てられ、現在に至ります。「東行」は晋作の号です。 1844年(明治17年)晋作に仕えていた愛人・おうのは出家し、谷梅処と名乗ります。おうのは1909年(明治42年)に67歳で亡くなるまで、この地で晋作を弔ったといわれます。 pic.twitter.com/NwMSaOJrdB

2018-06-11 22:56:26
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東行庵には記念館が併設されており、高杉晋作が創った「奇兵隊」や高杉自身の生涯を学ぶ事が出来ます。 下関市をはじめ、晋作が生まれ育った萩市にも晋作の銅像は数多く建立されており、この東行庵にも凛々しい姿で建っています。 pic.twitter.com/gdszNZasyk

2018-06-11 22:56:27
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維新の道半ばにして病に倒れ、明治の世を待たずしてこの世を去った高杉晋作。彼は新たな時代を見る事は叶いませんでしたが、 彼の魂は後世に発表された数多くの書籍や映像作品に、彼を慕う現代を生きる人々の心の中に、今も生き続けています。 pic.twitter.com/xiPOm6Malo

2018-06-11 22:56:29
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今回、まとめで使用した史跡のマップのリンクです。お役に立てましたら幸いです。 drive.google.com/open?id=1QEwAM…

2018-06-11 23:30:14