日本は江戸時代に鎖国していた訳ですが、その間に仏教と神道が融合して、外国から見て大変珍妙なことになっておりました。 で、明治時代にこの珍妙な事に、自ら気づいてしまったんですね。一方で押し寄せる海外の情報に、アイデンティティも危機に陥っていました。
2011-04-14 19:43:42その結果として、まあ、明治の時代の特徴というよりも、仏教を取り込んだ時とまったく同じロジックで、日本は一部を取り込み、一部を分離し、それでいいところどりをしようとしました。 海外の知見を取り入れる一方で、仏教を分離して恥ずかしくないようにしようという考えです。
2011-04-14 19:46:30仏教が入ってきたのと同じ論理で、仏教が排斥されたわけですね。日本ではそも寺社奉行いう位で武家のレベルでも区別なく、明治では浅草寺は慌てて分離してちんまり神社を別におき、水前寺公園の中に何故か神社ができたりしました。 高野山には今も赤い鳥居が一杯ありますよね。
2011-04-14 19:49:15この時日本独自かつ、アイデンティティのよりどころで神道が選ばれ、仏教は選ばれなかったわけですが、この辺、仏教側から見れば大きな災難でした。これをさして廃仏毀釈といいます。
2011-04-14 19:54:29ただまあ、帝都の代表的名物が浅草神社ではなく浅草寺で落ち着いたことから分かるとおり、弾圧とか、僧侶が次々焼身自殺するとか、そう言うレベルではありませんでした。 一方で日本の誇る美術品でもある仏像などがかなり持ち出されてしまったのも事実です。
2011-04-14 19:56:18私自身は多くの日本人と同じく、混ざっていても一向に構いませんし、また、混ざっているから純粋でないとか、信心が足りないとか言われても、迷惑そうな顔するだけの存在ですが、その上で鎌倉の大仏様が外国に叩き売られなかったことは、とても喜んでおります。寂しくなりそうじゃないですか。
2011-04-14 19:59:30出来ればまあ、次に同じ様な事があったら、混ざっててもええやないと、笑顔で返したいものですね。外国がこうだからああだとか、そう言う理由を押し付ける様な人や時代にしたくないものです。 以上 説明終わり。
2011-04-14 20:03:12@siva_yuri 答えていただき、ありがとうございます。先ほどの質問にかけているわけではありませんが、wtitterで様々な質問に快く答えてくださる芝村さんが、まるで古きよき時代(僕は知りませんが、イメージです)の村の和尚さまのようだなと、前々から思っていましたm(_ _)m
2011-04-14 21:25:34