リフレ、市場経済 道徳について:アダム・スミスから経済学を考える。

貧困や経済が不調に陥ると必ずといっていいほどでる資本主義批判あるいは市場原理批判、一番よくある論理は弱者切り捨て。しかし弱者とはいったい誰を指すのだろうか?趣味でニートやってて所得がない人は弱者だろうか?また経済学はそもそも物質的豊かさの追求や経済予測の為の学問なのだろうか?経済的合理化と福祉あるいは幸福追求はトレードオフなのだろうか?この四つの疑問に答えようと思い議論しました。
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瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

例えば、アナルコキャピタリストはその種の”介入”に対しても否定的です。そもそも国家という概念に対して否定的なので。 RT  @sukuraia なるほど

2011-04-17 10:11:07
@hhigashi2008

道徳が前提にあったからと理解していました。小泉-竹中さんがこれを全く忘れた経済学を語り、経産省のキャリアがすり寄った。福島第一で線量計が足りないなって、笑い話にしてもブラックユーモア。RT @yutakioka 市場原理と幸福追求とは相容れない様に思えるがそれは早計。

2011-04-17 10:23:28
@hhigashi2008

条件付きで同意!!でも、セーフティネットのない市場原理、情報に非対称性のある市場原理は最悪、フリードマンは最悪‼RT @yutakioka 市場原理主義者という批判がきそうだが、厚生経済学で有名なセンは市場原理主義者で且つ、その市場原理が人々の幸福の最大化という課題

2011-04-17 10:28:10
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

私もシカゴ学派とりわけフリードマンには批判的。言及されている様に情報の非対称は市場をゆがめますね。またセーフテイネットも先天的不利益の保証に必要です。RT  @hhigashi2008 でも、セーフティネットのない市場原理、情報に非対称性のある市場原理は最悪、フリードマンは最悪‼

2011-04-17 10:31:06
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