『論語』の素読というと、つい一本槍で普通に読むところを想像しますが、節がついていたというのは面白いですね。節があると、記憶もしやすくなりそう。 twitter.com/eutonie/status…
2018-08-05 09:21:34【ABC対談打ち合わせ】いよいよ今日です。山本貴光さん @yakumoizuru との「論語」の対談@青山ブックセンター。14時から。今日は訓読についての資料をアップしようと思ったのですが、ツイッターってPDFはアップできないんですね。前にも書きましたが、江戸時代によくされていた素読(そどく)は(続
2018-08-05 09:08:38【ABC対談打ち合わせ】いよいよ今日です。山本貴光さん @yakumoizuru との「論語」の対談@青山ブックセンター。14時から。今日は訓読についての資料をアップしようと思ったのですが、ツイッターってPDFはアップできないんですね。前にも書きましたが、江戸時代によくされていた素読(そどく)は(続
2018-08-05 09:08:38安田登さんの「身体感覚で『論語』を読みなおす。」すごい面白い。 「四十にして不惑」と一般に言われてるけど「惑」という漢字は孔子時代にはなく「或」がすり替わったのではと。すると区切らない、限定しない、という意味になるのだという。「四十になったら限定せずに色々やろうぜ」って孔子最&高
2018-08-04 19:44:46【身体感覚で「論語」を読みなおす。―古代中国の文字から/安田 登】『論語』に用いられている漢字を一文字一文字検証し、孔子が伝えようとした本来の意味を大胆に提示していきます。斬新でありながら大変納… → bookmeter.com/reviews/739133… #bookmeter
2018-08-04 15:30:10論語に触れるのはたぶん高校の授業以来。・・・よくわからないこと多いからうかがいのぞくように、でも時々ときめきながら読みました。 > 安田登 『身体感覚で『論語』を読みなおす。―古代中国の文字から―』 | 新潮社 shinchosha.co.jp/book/121491/
2018-08-04 11:52:50というわけで本日も、8月5日(日)に向けて「ABC対談の打ち合わせ」をTLで行ってみました。安田登+山本貴光「『身体感覚で『論語』を読みなおす。~古代中国の文字から~』刊行記念 文字とからだの密かな関係――AR(拡張現実)としての『論語』 」の詳細はこちらでどうぞ。☞aoyamabc.jp/event/rongo/ twitter.com/eutonie/status…
2018-08-04 10:51:44@iloveny415437 @eutonie ありがとうございます。ブッダもイエスもそうでしたね。日本の場合はどうでしょう。すぐには思いつきませぬ。
2018-08-04 10:48:06@eutonie あはは。そのリクエストをできないからこそ、自分でウンウン唸りながら試行錯誤をし、一所懸命に考えたりもするわけですね。
2018-08-04 09:37:27@eutonie お話を伺って、よく問う人は、精神のうえでも定住地を持たない漂泊者なのかもしれないと、これはちょっとエエ加減な連想ですが思い浮かびました。
2018-08-04 09:35:53@yakumoizuru ああ、それは面白そうですね。ソクラテスの弟子たちは「よくわからないから、もっと詳しく説明して~」なんて言ってますが(笑)。
2018-08-04 09:33:39これはぜひまとめてください! 例えばソクラテスの問答のスタイルと比べてみると、重なるところとそうでないところもいろいろありそうです。 twitter.com/eutonie/status…
2018-08-04 09:32:49承前)勝手に想像するのです(その部分は論語には書かれなかった)。いつか論語の「問い」と「答え」についてもまとめてみたいと思っているのですが、今回はちょっと間に合わなそうです。…なんて、今日は全然、打ち合わせになっていませんね(笑)。
2018-08-04 09:21:29@yakumoizuru 「もっとわかりやすく説明してください」とは口が裂けても言えないのが古典芸能のよさだったりします(笑)。おそらく孔子学団も。
2018-08-04 09:32:35@yakumoizuru 「問う」と「疑問を発する」のは違いますね。能の亡霊は横着なので、その場から動きません(移動する幽霊は少ない)。問う人がその場に行くのがカウンセリングとの違いです。能の問う人は、家を持たない無為の漂泊者です。問うという行為はまずは己れを削っていくところから始まるのかもしれませんね。
2018-08-04 09:30:59これはまた面白いですね。答えがスッキリしすぎても、それ以上ものを考える材料にならないから、故意にそうしているのかなと想像しました。「先生はなぜあんなことを言ったのだろう……」とすぐ腑に落ちないからこそよく考えると申しましょうか。 twitter.com/eutonie/status…
2018-08-04 09:30:40承前)孔子の応えにも通じます。論語の中で弟子たちは孔子にさまざまな問いを発します。孔子はだいたい答えるのですが(たまに答えない:笑)、同じ問いなのに人によって全く違うし、問いの答えに全然なっていないのもある。でも、その異次元の答えによって弟子は豁然と悟ったのではないかと(続
2018-08-04 09:19:52問うためには相手を訪れる必要があり、話をよく聞届けることは、それ自体が弔いにもなりそうですね。問うといえば、疑問を発することに目が行きますが、問うということが成立する条件や効果を検討すると、問いの意味をさらに深められそうだと、安田さんの言葉に触れて思いました。 twitter.com/eutonie/status…
2018-08-04 09:26:53承前)「問ふ」だけでなく「訪ふ」も「弔ふ」も「とふ」です。幽霊であるシテが「我が跡とひて…」とワキに向かっていうときは、このすべてが含まれています。すなわち、幽霊のいるこの地を訪問し、そして問いをし、最後に弔う。ワキは問いの名人です。あ、となると今回は山本さんがワキだ。(続
2018-08-04 09:15:05承前)勝手に想像するのです(その部分は論語には書かれなかった)。いつか論語の「問い」と「答え」についてもまとめてみたいと思っているのですが、今回はちょっと間に合わなそうです。…なんて、今日は全然、打ち合わせになっていませんね(笑)。
2018-08-04 09:21:29ありがとうございます。名人とまではいかないかもしれませんが、問うことで、思考や会話や物事が動き始めるので、努めて問うようにしています。問いは創造的な行いだと思います。そう問わなかったら、相手の脳裏に浮かばなかったかもしれない記憶や経験を呼び起こすわけですね。 twitter.com/eutonie/status…
2018-08-04 09:21:21【ABC対談打ち合わせ】何度かお話をさせていただいて、山本貴光さん @yakumoizuru は問いを立てる名人だと思いました。それはこのような対談や座談でも大切ですし、また何かを企画するときにも大切です。問いが立って、はじめて物事は始まります。で、能の中では「とふ」というのは…(続
2018-08-04 09:12:49承前)孔子の応えにも通じます。論語の中で弟子たちは孔子にさまざまな問いを発します。孔子はだいたい答えるのですが(たまに答えない:笑)、同じ問いなのに人によって全く違うし、問いの答えに全然なっていないのもある。でも、その異次元の答えによって弟子は豁然と悟ったのではないかと(続
2018-08-04 09:19:52承前)「問うて欲しい」と言いつつも、能のシテはワキの問いにちゃんと答えない。ちょっとズレるのです。でも、このズレが次元のズレをも生み出します。ワキの時間から、シテの時間(「今は昔」の時間)に引きずり込むのは、この「問いに答えない応え」が生み出します。で、これは実は論語の中の(続
2018-08-04 09:17:40承前)「問ふ」だけでなく「訪ふ」も「弔ふ」も「とふ」です。幽霊であるシテが「我が跡とひて…」とワキに向かっていうときは、このすべてが含まれています。すなわち、幽霊のいるこの地を訪問し、そして問いをし、最後に弔う。ワキは問いの名人です。あ、となると今回は山本さんがワキだ。(続
2018-08-04 09:15:05【ABC対談打ち合わせ】何度かお話をさせていただいて、山本貴光さん @yakumoizuru は問いを立てる名人だと思いました。それはこのような対談や座談でも大切ですし、また何かを企画するときにも大切です。問いが立って、はじめて物事は始まります。で、能の中では「とふ」というのは…(続
2018-08-04 09:12:49