チリってなんでこんな形になったんだろう。というか例えば上4分の1ぐらいで「ここからはオレの領土」と独立するヤツはいなかったんだろうか。しようと思えば簡単にできそうに思えるが。
2018-07-29 16:33:06@desean97 @yumiharizuki12 実際アラウコ族がずっとスペイン征服者に抵抗して独立保ってましたよね。最終的にアラウコの国家が滅ぼされたの19世紀末ですよ、確か。
2018-07-30 14:01:52@bn2islander 東西の幅がこれなのは仕方ないとして、南北は三つか四つに分かれた方が便利じゃないかと思うのですが、まあそんなのは大きなお世話で。
2018-07-29 16:39:00というわけで英語wikipediaあたりでさっくりと解説を読んだまとめ
チリは南北に細長いのではあるが、チリは砂漠と高山に取り囲まれていて、中央部のオアシス的な平地に人口が集中している。ここがチリの本体で、実のところチリ本体が南北の隣接部を確保してある、という感じになっている。 pic.twitter.com/PECHx0PjNf
2018-08-01 21:27:19南米各国が独立した直後は、それぞれチリはサンチアゴ周辺、ボリビアはラパス周辺、アルゼンチンはブエノスアイレス周辺だけが確たる領土で、砂漠は国際的にはどこの国の支配も及ばない無主地扱いとされていた(インディオが住んでいたが無視された)。各国は隣接する砂漠を併合しようと画策する。 pic.twitter.com/JVuwD6v27Q
2018-08-01 21:29:50独立前の国境はこちら参照。色がないところが後の無主地
で、ここでチリ(サンチアゴ)には南北にそれぞれ用件があった。北の砂漠の海岸には硝石がたまっており、これを採掘して輸出しようとしていた。その硝石を需要地であるヨーロッパに輸出するには、大西洋に抜ける航路、特にマゼラン海峡を抑えておきたかった。 pic.twitter.com/6dLpzt5JT1
2018-08-01 21:31:25南方面にはマプチェ族を征服するためアラウカニア制圧作戦などを行っている。
北部はボリビアの混乱に乗じて太平洋戦争(en.wikipedia.org/wiki/War_of_th…)に勝利、海岸領土を獲得する。南部はアルゼンチンとにらみ合いになるが、チリ側はアルゼンチンとボリビアの同盟を恐れ、アルゼンチンはチリとマプチェ族の同盟を恐れて両者とも腰が引けて折半で手打ちすることになった。 pic.twitter.com/zFr4yt9Cxq
2018-08-01 21:33:48南は1881年に条約を結んで国境画定(en.wikipedia.org/wiki/Boundary_…)。なおチリ側もマプチェ族と敵対し、チリ領内のマプチェ族を軍事制圧しているが、同時に山を越えたところにいてアルゼンチンと戦っていたマプチェ族とは取引し、武器を売っていた。
2018-08-01 21:36:13