第35回全国城郭研究者セミナー 馬出を考える―定義と分布―

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日光81 @nikko81_fsi

『長野県・山梨県における丸馬出のひろがり』極私的メインディッシュまもなく。 #第35回全国城郭研究者セミナー pic.twitter.com/VdQUl6AgvD

2018-08-05 12:55:30
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日光81 @nikko81_fsi

新府城の丸馬出は『馬出』なのか問題。馬出背後に堀があるかないか…切岸で防御されていれば遮断されてると見るか、堀の存在が必須と見るかの定義の問題。 #第35回全国城郭研究者セミナー

2018-08-05 14:38:15
日光81 @nikko81_fsi

機能性について。逆襲機能をどうみるのか?射撃陣地か逆襲拠点か…内郭か外郭かにもよるか、ふむ。また縄張全体の思想との関係もあるか。逆襲の出撃をしうる軍隊を守備兵として想定できるかもあるよね。 #第35回全国城郭研究者セミナー

2018-08-05 14:43:30
日光81 @nikko81_fsi

砦山城(大岡城)と新府城との共通性の指摘も。山の中腹にという意味では駿河丸子城も。 #第35回全国城郭研究者セミナー twitter.com/nikko81_fsi/st…

2018-08-05 14:47:54
日光81 @nikko81_fsi

丸馬出の発展過程。笹尾砦や古宮城などの弧状に廻る横堀との共通性。弧状塁線からの発展とみるかどうか…どうだろ。 #第35回全国城郭研究者セミナー

2018-08-05 14:50:08
日光81 @nikko81_fsi

関東の角馬出の分類と分布からみた発展過程の推論をみると、武田の丸馬出にもそういう分析ができるかも?後北条氏の馬出なんだけど、境目の城の流儀が混ざったようなつくりの城もあるらしいが、武田の境目の城において丸馬出の形状や機能に影響を出してる例あるかな。#第35回全国城郭研究者セミナー

2018-08-05 15:01:13
日光81 @nikko81_fsi

枡形城(湯川砦)に突然出てきた感のあることからすると、弧状塁線からの発達とは個人的には考えにくいと思う。 #第35回全国城郭研究者セミナー twitter.com/nikko81_fsi/st…

2018-08-05 15:04:27
日光81 @nikko81_fsi

諏訪原城問題。主郭に丸馬出は徳川、外郭に丸馬出は武田という傾向を見ると、武田的とも言えるという指摘。ただ外郭にはあっても、あの大丸馬出は武田とは言いにくいのでは。実際、大手曲輪は大手丸馬出を隠しちゃってて、むしろ内側に取り込む思想が垣間見れるような。#第35回全国城郭研究者セミナー

2018-08-05 15:10:55
日光81 @nikko81_fsi

丸馬出の技術伝承。武田→徳川の移行を、天正十年〜十一・十二年以降の武田氏滅亡と武田遺臣の徳川氏の吸収を契機とするかどうか。しかし家忠日記に記載のある諏訪原城修築は天正十年以前で諏訪原城の丸馬出が武田か徳川かの議論には寄与しないよね。#第35回全国城郭研究者セミナー

2018-08-05 15:17:00
日光81 @nikko81_fsi

家忠日記で大規模な修築をしたことがわかってるだけで、丸馬出をつくったと書いてるわけではないはずですがね…徳川が大規模に土木工事したんなら、丸馬出をつくったんだろう、という推測でしかないけど。#第35回全国城郭研究者セミナー twitter.com/nikko81_fsi/st…

2018-08-05 15:18:53
日光81 @nikko81_fsi

馬出の語源と甲陽軍鑑での「丸馬出」記載について。馬出とは「馬場の出入口」との意味で使われてるらしく、軍学の成立過程で用語として転用されたのでは?というご意見。「丸馬出」の記載のある勘助流城取の項や末書がいつ成立したかがヒントになるかもしれない。 #第35回全国城郭研究者セミナー

2018-08-05 15:35:09
日光81 @nikko81_fsi

末書は武田氏が存続した時代には書かれていないような気がするけど、香坂弾正の口述筆記として成立し、軍鑑大成で示された「甲州のスラング」が含まれる項なら、当時武田家中で「丸馬出」が使われていた可能性につながらないかな。#第35回全国城郭研究者セミナー twitter.com/nikko81_fsi/st…

2018-08-05 15:40:50
日光81 @nikko81_fsi

その「馬出」の記述が現在の我々が認識している城郭パーツとしての馬出に合致するのか?という点も指摘がありました。 twitter.com/buqimingri/sta…

2018-08-05 16:11:02
高村不期 @buqimingri

城の「馬出」は天正14年比定の鉢形城掃除規定に出てくる。秩父曲輪から篠窪曲輪に抜ける裏門の左右にあった(秩父曲輪、但、篠窪請取之境より裏門左右馬出迄)。同文書にはこのほかに「後馬出平御門」の記述がある(戦北2935)。 年未詳の後閑文書には「馬出二階御門」とある(戦北3820)。

2018-08-05 16:02:05
日光81 @nikko81_fsi

さて書く発表についてのコメント。愛知中世城郭研究会の石川氏ご発表「東海地方の馬出について―分布と構造を中心に」一旦歴史的背景はリセットして構造と分布から何が言えるか、という内容。#第35回全国城郭研究者セミナー

2018-08-06 11:11:58
日光81 @nikko81_fsi

論点として、形状(丸か角か)だけでなく、どこに付くか?に着目した点が興味を引かれた。つまり内郭につくか、外郭に付くかという違いを分布で示している点、また複数の馬出の有無も分布で示してみるという点。#第35回全国城郭研究者セミナー

2018-08-06 11:16:20
日光81 @nikko81_fsi

あくまで傾向性だが、尾張・三河には複数の曲輪で構成される城の主郭につく、つまり内郭につくタイプが多く、単郭で丸馬出がつく例は意外と少ない。逆に外郭まで馬出があるケースは遠江・駿河に及ぶ。特に丸馬出の場合は、武田領国内であり、その影響を想像させる。#第35回全国城郭研究者セミナー

2018-08-06 11:29:21
日光81 @nikko81_fsi

武田の影響が及ぼせるのは、東海地域では奥三河が限界なので、それより先にある西三河や尾張の丸馬出は、武田の影響とは言いにくい。ということは、それ武田以前から弧を描く縄張りの指向性があっただろうというのはよくわかる。そして… #第35回全国城郭研究者セミナー

2018-08-06 11:33:28
日光81 @nikko81_fsi

完全に想像の域を出ないが、山本菅助が三河の出であって、このような小口の前に丸い曲輪を配置した城をよく知っていたとするならば、甲陽軍鑑で晴信に「馬だしと申物は、城取の眼にて候」と言上するのは自然に思える。#第35回全国城郭研究者セミナー

2018-08-06 11:38:45
日光81 @nikko81_fsi

そして長い間武田家で洗練されていった後、武田が東海に進出することで「新」丸馬出が逆輸入され、従来あった丸馬出が在地勢力のなかで発展してきたケースと、武田家が発展させてきたケースの両方が存在するといえるのかもしれないね。#第35回全国城郭研究者セミナー

2018-08-06 11:40:57
日光81 @nikko81_fsi

しかし武田=外郭、徳川=内郭と即断するのは難しいのでは、とこの発表を聴いて感じたのも確か。武田ははじめから外郭に据える指向性は認められるかなと思うけど、尾張三河の丸馬出が徳川系とは言えないよねぇ。なぜ三河に丸馬出の原型が存在したかは判らないとしか。#第35回全国城郭研究者セミナー twitter.com/nikko81_fsi/st…

2018-08-06 16:16:59
日光81 @nikko81_fsi

城郭研究者セミナーメインディッシュの甲信の丸馬出。まず馬出に対する理解として、甲陽軍鑑の馬出についての指摘箇所。天文14(1545)年の信玄勘助の問答について。確定は勿論できないけど個人的には時期の多少のズレはあるとして、あったんではないかと。#第35回全国城郭研究者セミナー

2018-08-11 16:44:14
日光81 @nikko81_fsi

(前略)「勘介申上る、馬だしと申物は城取の眼にて候。子細は、城をまかれて城内より備を出すに、あぶなげもなく候。又攻手に成申て、取よせにくゝ候」(品第二十五)#第35回全国城郭研究者セミナー

2018-08-11 16:47:47
日光81 @nikko81_fsi

発表では攻撃よりも防御に意が払われた感が、とあったが「城をまかれて城内より備を出すに、あぶなげもなく候。」の一文があることと、先にこれが示されていることで、どう見ても攻勢重視の設備のように読めてしまう。#第35回全国城郭研究者セミナー twitter.com/nikko81_fsi/st…

2018-08-11 16:49:21
日光81 @nikko81_fsi

城内より備え(部隊)を出す、つまり逆襲を仕掛けて積極的に攻勢に出ることで防御を行うのに、「あぶなげもなく候。」なのであって、ここはどう読んでも攻勢を重視した施設という説明をしたとしか読み取れないのだけどなぁ。#第35回全国城郭研究者セミナー

2018-08-11 16:50:11
日光81 @nikko81_fsi

また、勘介は「攻手に成申て、取よせにくゝ」とは言っていても、必ずしも立て籠もるとは言っていない。すなわち、攻勢に出るのに適した構造であるがゆえに、攻め手が虎口に容易に近づくことができないと読むのが自然かなという感想。#第35回全国城郭研究者セミナー

2018-08-11 16:50:51