駿河田中城と香川元太郎城郭原画展、西股総生先生講演「縄張りから読み解く戦国の築城」

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日光81 @nikko81_fsi

西股先生のお話いろいろ考えるところありました。また田中城の江戸初期の頃の様子から想像を巡らせる武田期の田中城の姿。信濃大島城のように、信玄期と勝頼機で違いがあって、勝頼末期に丸子城とともに改修されたのでは?という感じがしてきました。また後ほど。

2018-07-14 16:50:44
日光81 @nikko81_fsi

田中城、南西方向の丸馬出だけがどの絵図を見ても他の丸馬出と異なる形状。堀幅が一定なのが南西側、あとは三日月堀の堀幅が真ん中は太く両端が細く全体的にずんぐりむっくりまん丸型。江戸時代に拡張された松代城の南側の三日月堀に近い。さらに外郭はこの堀幅一定の丸馬出のとこだけ虎口がない。

2018-07-14 17:28:23
日光81 @nikko81_fsi

南西側以外の丸馬出が一律同じ形状をしていて南西だけが差別化された描き方をされてることから、これらは外郭が形成された江戸時代以降に新たに丸馬出が築かれたのではないか、つまり四方に丸馬出があるのは武田時代の姿ではない、ような気がすごくしてきた。南西側に一箇所ではなかったか。

2018-07-14 17:28:53
日光81 @nikko81_fsi

最も古いらしい永青文庫の田中城の図は片側が閉じてるタイプの尻尾型という点も興味深い。また丸馬出奥の枡形は土塁でつくられているように見えるのが江戸初期の図からは想像できる点もより古い時期の丸馬出ではないかと思わせられた。

2018-07-14 17:31:01
日光81 @nikko81_fsi

さらに永青文庫の図で内郭をみると、東側の丸馬出には馬出西側に堀が食い込んで丸馬出前の空間を狭めている様相だが、正保年間の姿を描いたという市指定文化財の図以降にはこれが見えず、いわゆる「きれい」な丸馬出に。西側は丸馬出とは言いにくい変則的な形態。これは………

2018-07-14 17:34:21
日光81 @nikko81_fsi

駿河攻略した信玄時代には内側の二重の堀しかなく東側に小さな丸馬出。その外側(三重目)は勝頼期に拡張され、かつ南西方面に虎口を設け、丸馬出を。以降、江戸時代にかけ最外郭の四重目ができる頃に三重目の堀の残る三方向に丸馬出を据え四方丸馬出に。二重目にも東西とも新たに丸馬出を設置?

2018-07-14 17:38:53
日光81 @nikko81_fsi

たしかに永青文庫図に四方に丸馬出があるので、三重目の堀に丸馬出を増やしたのが武田滅亡後最初の増改築なのかも…とすると諏訪原城同様、丸馬出を乱立させるのは武田ではない、という推論もできそうな気がする。どうしても田中城の四方丸馬出を武田というのは違和感あって少しスッキリしたかも。

2018-07-14 17:41:38
日光81 @nikko81_fsi

田中城三重目の堀の南西につく丸馬出は西股先生が指摘する武田の丸馬出はYの字型という点とも符合する。馬出左右の虎口が斜めに入りYの字になってるのはここだけ。ということで、強固な城だから大きな改修は要らぬとした信玄公書状のとおり、今川期徳一色城に丸馬出だけ付けたかあるいはそれもなく…

2018-07-14 17:45:16
日光81 @nikko81_fsi

天正七年以降、北条と決裂して駿河を徳川北条から挟撃されうる差し迫った危険が生じた際に、丸子城と同時期に三重目の堀に新たに丸馬出を。依田信蕃のみた田中城はそんなのでは。そこで武田氏滅亡、四方に丸馬出→四重目の堀という順序で変わっていった様子を想像。楽しい。

2018-07-14 17:49:56
日光81 @nikko81_fsi

「縄張りから読み解く戦国の築城」城の利用目的を城の形から追う過程はやはり楽しい。進化の本質は環境(変化)への対応であり、単純に規模や複雑性が増すことと言えない、のはまさに進化論。やはり武田関連の方に興味を惹かれるわけであるが……… pic.twitter.com/GLJrDvakJE

2018-07-14 18:40:59
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日光81 @nikko81_fsi

小長谷城、丸子城は昨年末の西股先生ツアーの復習。比高の高い方からの侵攻を想定し敢えて守りにくい側に虎口を開ける。外側の馬出は崖端に戦闘正面を寄らせるために崖隅の無駄なスペースを無くすために丸馬出が角馬出化。得意とする形はあれど、地形に応じ馬出の形は変化しうる、と。

2018-07-14 18:44:45
日光81 @nikko81_fsi

あくまで内側の丸馬出がメインで、丸馬出前の空間をより複雑に、より狭めて殲滅することが目的であって、馬出から外を射撃することを主眼にしてはいないから土塁の形状があまり問われないか、というのもある気はした。馬出を重ねる場合、位置関係考えると両馬出に求められる機能同じとは言えないよね。

2018-07-14 18:50:37
日光81 @nikko81_fsi

そう考えると、丸子城丸馬出横の長大竪堀も丸馬出前の戦闘正面をいかに限定した空間にしていくかという工夫の一つであり、単純に丸馬出を据えるだけから武田時代でも変化しつつあるんだろうな、とは思う。牧ノ島城あたりぐらいから丸馬出前の空間をどう有利にしていくかという観点があったのかな。

2018-07-14 18:55:49
日光81 @nikko81_fsi

丸子城の丸馬出を重ね馬出と見なすかどうか。小長谷城の場合奥の丸馬出をメインにし丸馬出前の空間を限定するため、とするとこの重ね馬出とは違うように思われる。実は諏訪原城のドデカイ丸馬出ではない南の馬出の重なりは小長谷城的な重ね馬出ではないかと思うのだけど。

2018-07-14 18:58:51
日光81 @nikko81_fsi

本曲輪直下の曲輪が円く飛び出て見えるだけで、ここを丸馬出と見なしてもここを逆襲スポットにするにはあまりアドバンテージがあるようには見えない。わたしとしてはあくまで丸馬出はひとつで、外側の丸馬出と長大竪堀と斜面で丸馬出前の空間を狭めたところで殲滅する構造だと思うのだが。

2018-07-14 19:01:44
日光81 @nikko81_fsi

丸子城の位置する地形解説。城を攻める前に軍勢を整えて攻めかかるには一定の空間が必要。南の突端は崖過ぎて上がれない。別働隊は東に回り込むかもしれないが主部隊はやはり大鑪の方からだろうと。丸馬出下からの地形を見てみれば、たしかにここから攻められそうというのは実感持ってわかる。 pic.twitter.com/2H1voHMsB4

2018-07-14 19:09:33
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日光81 @nikko81_fsi

武田以外にも…杉山城。行ったことないし縄張りも知らない真っ白な状態でみてどっちからの攻め手を想定してる?に対し大方南に手を上げるものの、実は北。杉山城の位置関係を見れば確かに警戒すべきは北。南に河越、北に鉢形、北条領国からみると北側がより前線。そりゃわかる。うん。

2018-07-14 19:13:25
日光81 @nikko81_fsi

が、北は広い曲輪がぽんぽんあるだけであまり技巧的ではない一方、南は比較的小さめの曲輪が複雑にからみ、横矢かけまくり。それでも北が警戒方向というのは、軍勢の大半を北に集め北は数を頼みに叩き、数の少ない兵で守れるよう南は複雑にしておく…か。なんかスッとしなかった。

2018-07-14 19:16:46
日光81 @nikko81_fsi

西側はまぁいいとして、北を警戒するとしても、実際は兵を二手に分け南北、あるいは東も含めた三方から攻められうる…としたら、防御性能最大化するには各方面で違った迎撃思想がいる、ってことかな。北を複雑な縄張にして兵をたくさん籠もらせても、南に簡単に回り込めて南ガラ空きだとやられる。

2018-07-14 19:20:38
日光81 @nikko81_fsi

三方あるいは二方が崖や川などで遮断されてればいいけど、三方とも攻められうる場合の縄張り設計難しいな…という感想。

2018-07-14 19:22:07
日光81 @nikko81_fsi

坂田城。国衆の城らしいのですが、城域が広い必然性。広くても防御ポイントが限られ台地の狭まった部分や虎口の周りだけがピンポイントで厳重。兵の数と地形を活かしながら限られたリソースでうまく守るための知恵だなぁ。

2018-07-14 19:25:30
日光81 @nikko81_fsi

とはいえ、台地の先端に居館部があるので武田が制圧したらめっちゃ丸馬出つくりたくなる城だよなぁ…この地形、丸馬出活きる…とか考える武田脳でした←

2018-07-14 19:27:00
日光81 @nikko81_fsi

浜松の犬居城と佐久城。佐久城は知りませんでした。犬居城は横堀上に射撃陣地的な丸馬出状の曲輪があるんじゃ?と思いましたが、記憶違いですかね。確かに犬居城の東端の曲輪は片側が閉じた武田の丸馬出と同じ発想でつくられていそうですが、地形に沿って形を整えられてない点が大名系馬出との違い?

2018-07-14 19:35:12
日光81 @nikko81_fsi

武田なら丸、北条なら角、つくりたいとこはつくりたいようにしっかり整えるのでは?地形に逆らわず曲輪にしているあたり国衆領でも馬出はありうる、と。で西側はガラ空きでイザとなれば逃げるというのは確かに武田っぽくはないがどうかな…こういう着想は一国衆でも思いつくもんかな?

2018-07-14 19:39:51