弱者ー権威ー権力:下から成立する暴力の構図について。
弱者についての議論があったが、実は自分が弱者だと認識しているうちは弱者であることを免れ得ない。皮肉な話だが弱者=権力による非抑圧者という構造を作るのは権力を用いる側ではなくて権力を用いられる側なのだ。権力や権威はそれを認める主体の承認(積極的/消極的を問わず)なしには成立しない。
2011-04-18 23:27:24いくら、強者=権力/権威の行使主体が威圧しようが、それに対して抵抗の意思を示し続けていれば、権力や権威など何の意味も持たない。
2011-04-18 23:31:16なぜなら権力や権威が意味を持つのは、これは、HobbsがLeviathanで議論しているように、それへの恐怖(処罰等)に基づいているので、それに恐怖を抱かなければ意味がない。だからいくら権力側が支配しようとしてもその被行為者が抵抗=権威・権力を恐れなければそれらは成立しない。
2011-04-18 23:33:47だからこそ権力側は、それを承認させようと様々な試みを行う訳であるが、例えば北朝鮮や中国で行われているような表現の自由の規制などは、単純に実質的に自由を制限するという効果ばかりりではなくて、人間の基本的活動を制限することで恐怖を植え付けるという象徴的効果を意図しているものでもある。
2011-04-18 23:39:47もちろん、フーコーもその点をたびたび指摘していて「性の歴史」第一巻「知への意思」において、権力と権威が実は下から成立すると言うことを指摘している。
2011-04-18 23:48:48学歴=権力について考えてみてもわかる様に、学歴の「権威」にしても、権威側=ある学歴を保持する側は何とも思っていないがその”威光”も結局はそれを受け取る側の”空気”読み過ぎや勝手に必要以上に想像力を働かせすぎている故にその権力が成立している。王様が裸であることに気がつけば何ともない
2011-04-19 00:01:13@yutakioka イスラエル人はパレスチナ人との友好に積極的な傾向があるみたいですね。逆はなくて、パ人は自分の娘がイ人と結婚することは天地がひっくり返ってもありえないと考えてたりするんですって。奪う側には心のゆとりが生じますね。
2011-04-19 00:04:48ただし権威側はまたしても、その王様が裸だと気がつかせないような様々な仕掛けを用意しているわけだが、例えば権力二従うことで、様々な恩恵を分け与えることで権力と報償という形の連想を植え付けることで、権力とその暴力性を隠蔽している。
2011-04-19 00:06:05だから、権力側がこの恩恵を授ける能力を失うと権威と暴力の関係性が暴かれ、権威は丸裸にされるのである。そして丸裸にされた権威を指摘・批判、そしてそれに対する対抗行為をとり続ければ権力はなすすべもなく自壊する。
2011-04-19 00:07:31@yutakioka しかし、固有名詞たる王さまの権力或いはその暴力は、その王様が死んでしまえば消えてしまうのでは?
2011-04-19 00:10:58権威の種類によっては伝達されます、例えばそれは歴史・伝統による権威です。カリスマの権威しかない場合は王様が消えると消えますが。 RT @tatugoto しかし、固有名詞たる王さまの権力或いはその暴力は、その王様が死んでしまえば消えてしまうのでは?
2011-04-19 00:15:46ええ、身体の抽象化は過程で伝達はその結果ですね~。そしてそれが象徴、例えば権力者の銅像などによって保存されると身体性まで意識させることができる。RT @tatugoto 伝達、というよりも抽象化なのでは?身体の。
2011-04-19 00:25:24@yutakioka あ、そうですね。伝達されるには抽象化されなければならないわけですから。裸の王様と聞いて、政治的身体を思い出しました(笑)
2011-04-19 00:25:32たしかに。(笑)某国の独裁者などおそらく三位一体でしょうね、政治的身体、自然的身体、神的身体の。(笑)RT @tatugoto 伝達されるには抽象化されなければならないわけですから。裸の王様と聞いて、政治的身体を思い出しました(笑)
2011-04-19 00:28:17私は、ゆとりのような楽観的なものよりも、罪の意識からくる憐憫・贖罪のような物を感じます。RT @yutalovesbeans 奪う側には心のゆとりが生じますね。
2011-04-19 01:11:04