水野亮 「写実」についての考察

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@drawinghell

「何が描かれているか」こそを重視する価値観からすると、後者だけでは絵の価値は半減してしまう。しかしその一半を捨てることで個別の「この夕顔」の美やそれを描く画家の物の見方などの新しい趣味には到達できるかもしれない。それが近代的な<写実>の価値の基礎であり、子規の主張の要諦である。

2018-05-07 20:01:07
@drawinghell

しかし問題は、言葉を使った芸術、とくに俳句のような極端な短詩で詠まれた対象が夕顔であると解らないまま夕顔の花の「写生趣味の美」に接続することは不可能に近いのではないかということだ。子規と虚子の意見の隔たりは視覚芸術と言語芸術の差異に求めることも可能かもしれない。

2018-05-08 20:08:53
@drawinghell

虚子は「夕顔の花」という一般概念に付随する「種々の趣味ある連想」は古人たちによる厳しい取捨選択を経ながら漸次踏襲されきた文化的遺産であり、言うなれば「古人が一握りづゝの土を運んで築き上げて呉れた趣味」なのだとする。この比喩は言語芸術における言葉の役割を考える上でも大変面白い。

2018-05-09 19:57:46
@drawinghell

「夕顔」という言葉自体はただの記号に過ぎない。プログラミング言語で言う「変数」なのだ。それ自体は何の意味を待たない記号に様々な情報が書き加えられた結果、我々は「夕顔」という言葉=記号から実在する花の形状や源氏物語などの「趣味ある連想」を呼び起こすことができるのである。

2018-05-10 20:00:29
@drawinghell

//もちろん言葉を「ただの記号」であり変数に等しいと断じてしまうのは、言葉の持つ呪術性を無視する暴論かもしれない。自分は言葉の呪術性を信じる人間であるが、しかしここでは敢えて「語り得ぬもの」=論理の外側に在るものについては無視し、超単純化した図式の上で話を進めていく。

2018-05-11 20:06:19
@drawinghell

言語芸術における「言葉」を変数として捉えるとき、詩語や歌語は特殊に制限された状況下(=スコープ内)のみで通用するローカル変数ということになる。それに対して一般語としてのグローバル変数が存在する。ではこの構図を使用して、近世俳諧誕生までの道のりを簡単に振り返ってみることにしよう。

2018-05-12 20:06:14
@drawinghell

中古(藤原時代)の貴族社会においては、ローカル変数=歌語とグローバル変数=一般語の二つにそれほど大きな差はなかったのだと想像できる。故に宮廷社会においては和歌が日常コミュニケーションとしても機能しえた。その外側に広がる世界は彼らにとっては存在しないにも等しかったのだ。

2018-05-13 19:59:16
@drawinghell

しかし中世を迎え貴族社会だけを「世界」として捉える世界観が崩壊すると、グローバル変数=俗語から隔絶した厳格に管理されたスコープ内でのみローカル変数=歌語は機能するようになる。さらに歌道家の成立によって和歌の専門性は現世的な特権とも結び付き、その追加や変更は容易ではなくなる。

2018-05-14 19:58:38
@drawinghell

「詞は三代集を出るべからず」といった先人の作に基づいた厳しい用語制限はローカル変数の純粋性を保つためにも必要だったのだろう。しかし何を詠むにも全て証歌を必要とするような窮屈さは芸術表現としての可能性を窄める。さらにグローバル変数からの乖離は時代への即応力を失うことも意味する。

2018-05-15 19:56:09
@drawinghell

まして近世に入ると「庶民」というそれまでは文化の外側にいた巨大な層がグローバル変数の書き換え主体となってくる。時代に合った新しい表現は必然的に求められたのだろう。しかしローカル変数の使用能力が格の高さにも直結していた和歌や連歌が時代に合せて内部変革することは既にあり得なかった。

2018-05-16 20:01:21
@drawinghell

そこでそれまでは連歌の傍ら戯れに詠み捨てられていた俳諧を、和歌や連歌に並ぶ新しい文芸として確立しようという動きが起こってくる。その中心的な役割を担ったのが松永貞徳だ。すなわち貞門派俳諧の祖である。

2018-05-17 20:00:44
@drawinghell

細川幽斎に和歌を、紹巴に連歌を学んだ貞徳が先人からの伝播・伝承をこそ重んじる人物であったことは『載恩記』を読んでも解る。貞徳が行ったのは俳諧を和歌の一体として様式化することだった。つまり俳諧を和歌・連歌の伝統に接続し、刹那的な遊戯から格式ある文芸へと格上げすることである。

2018-05-18 20:07:55
@drawinghell

その上で貞徳は俳諧のアイデンティティを使用できる語彙の種類、即ち「俳言」に求めた。言ってみれば「和歌」のスコープの中に「俳諧」というスコープを新たに築いて、その内でのみ使用できるローカル変数を定めたのである。しかしその変革はローカル変数=グローバル変数(一般語)を意味しなかった。

2018-05-19 20:15:06
@drawinghell

和歌・連歌への接続を重んじた貞徳は、俳諧で使用できる語彙の範囲もあくまで和歌の伝統的な価値観から逸脱しないものへと制約したのだ。この微温的な改革方針は俳諧の本来的な諧謔性に相反するのと同時に、何よりも時代の急激な流れに長く応ずることのできるものではなかった。

2018-05-20 19:58:09
@drawinghell

故に貞門誹諧に真っ向から対抗するムーブメントが起きる。西山宗因を盟主に担いだ談林派である。談林は貞門が制限した俳言の幅を俗語にまで広げ、その結果として俳諧に時局性が導入された。一般語や「現実」から俳諧を隔離していたスコープが、ここに来て本格的に崩れ始めたのだ。

2018-05-21 20:06:45
@drawinghell

では談林俳諧は現実=現在に基盤を置く{写実}の表現なのか? 確かに貞門に比べれば談林は遥かに強く現実=現在へのベクトルを持つ。しかし雅俗の落差による笑いを最大の特質とする談林俳諧において、俗語や風俗性は未だ伝統の「裏返し(パロディ)」として成り立っている側面が強い。

2018-05-22 20:06:44
@drawinghell

思うに談林の本質はavant-gardeなのである。破壊のための破壊であるavant-gardeは、破壊の対象である伝統が崩れてしまえばその存在意義を失う。つまり逆説的に伝統に依存しているのだ。前衛運動がその影響の大きさに比例して短命に終わる宿命にあるのはこれに理由する。

2018-05-23 20:12:10
@drawinghell

談林俳諧もその例外ではなかった。一世を風靡した談林はその「過激化」の結果、急速に崩壊していく。そして談林後に俳壇を制したのは松尾芭蕉が創始した蕉風…ということになるのだが、ここらでまたちょっと中断。溜まっている展覧会感想を消化する。

2018-05-24 20:10:11