[R-18]魔女シリーズ8~ヘドロめいたババアがかわいい少女に惚れるが悲恋で終わる百合・後編
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泥の媼(おうな)の言葉に、棘(とげ)だらけの鰭(ひれ)を持つ男はたじろぎ、ぎょろついた出目をとっさに瞬膜でおおい、また開いた。 「ヘドローバ様…なれど…神仙は底が知れませぬ」
2018-08-17 21:48:31老婆は汚濁の身を震わせる。笑っているのだった。 「深きもののうちでも影濃きもの、海霊の戦士さえ怯え竦ませたダゴともあろうものが、いかにしたわえ」 「お許しを」 魚人はくるりと回転して詫びた。
2018-08-17 21:54:18「戦をするも、避けるも、神仙どもの狙い次第だわえ」 ヘドローバは鷹揚な手ぶりをし、かたわらにぐったりとくずおれた膿(うみ)と腫(はれ)だらけの虜囚に向き直る。 「さあ獣人、いま一度聞かせや…神仙の軍勢が目指すはいずこ。貝の都か、鯨の墓場か…」
2018-08-17 21:57:25「死なせ…てくれ…痒い…痛い…苦しい…あまりにも…」 かつては毛皮に覆われていたであろう肌はそこかしこが破れ、赤紫のただれた肉をさらしている。腐れた老婆はうなずいた。 「ああ深きもの、蛮鰭(ばんき)の民が使う毒の味は、わらわが最もよく知っておるわえ…あわれよの…さ、言いや」
2018-08-17 21:59:56「島…魔女の…島…」 生きながら溶けていくがごとき責苦に耐えかねた獣人は言葉を吐き出す。 ヘドローバのおぞましい醜貌が険しさを増す。 「確かかえ。神仙はどうして島のことを知ったのだわえ」 「魔女…狩り…世の果てに…いようと…魔女を…嗅ぎだす…術を…ついに…編ん…」 「…そうかえ」
2018-08-17 22:02:52半ば液状と化した臓腑を口からこぼして、虜囚は痙攣した。 「ヘドローバ様。そやつ…」 「楽にしてやりや」 拷問役の魚人が近づいて崩れかけた皮膚に刺さった魚骨の吹き矢を抜く。
2018-08-17 22:04:45しばらくもがいたあと、神仙の将士をつとめていた獣人は本来の姿に近いかたちで朽ち果てた。 ダゴはじっと骸を見下ろし、ややあって主に眼差しを移した。 「僭越ながら…」 ヘドローバが瞬く。 「今日は口数が多いわえ。汝らしゅうない」 「お許しを…なれど…お聞き届け下さい」 「話してみや」
2018-08-17 22:07:54「神仙の狙いは、ヘドローバ様の一族たる海霊ではなく、魔女であるように思われます」 「さようかえ」 「…ならば」 「とるべき策は一つだわえ」 「は…」
2018-08-17 22:10:05泥の媼は告げた。 「やはり大洋に散る五十七州の諸族を集め、軍を編み、神仙を滅ぼすわえ」 「…ヘドローバ様!」 「くどいわえ!」 「お許しを…しかし魔女は禁忌。陸で森のやからが魔女を戴き、神仙と戦った折も、海の民は助勢を控えました。なにゆえ…」
2018-08-17 22:13:38深きものが食い下がるのを、老婆はうとましげに見下ろす。 「わらわに意見するかえ」 「あの日より青海嘯の力と知を敬い服してまいりました…なれど…こたびは…万死に値する無礼を承知のうえで申します。ヘドローバ様は魔女に心を惑わされておいででは。あれほど自ら一族に戒められたというのに!」
2018-08-17 22:16:52腐れた海霊は、蛮鰭の家臣に腕をあげかけ、下ろした。 「今のは聞かなかったことにしておくわえ」 「は…」 「五十七州の諸族に触れを出しや」 「はっ…」 「戦を…するわえ」
2018-08-17 22:18:18◆◆◆◆ 貝の都にほど近い、水底の平野。白い砂が広がる波の下の沙漠に大洋の民が集っていた。甲羅を負ったもの、鎧のごとき殻にくるまったもの、鋏を振るうもの、触手を振るうもの、深きもの、浅きもの、棘あるもの、鰭あるもの、鱗あるもの。
2018-08-17 22:20:55うなばらの諸勢のうち最も盛んで、青く透き通った肌を持つ水母(くらげ)に似た人型、海霊さえも、日頃は下賤とさげすみ遠ざけてきた多種族の前にあまた姿をあらわしていた。
2018-08-17 22:23:22「五十七州の諸族、一統もかけずそろいましてございます」 わだつみでは海霊に次いで恐れられる、深きもの、蛮鰭の頭、ダゴが呼びかけると、泥の媼はけだるげにうそぶいた。 「皆よほど退屈しておるのかや」
2018-08-17 22:26:45答えあぐねる家臣を横に、濁った肌の老婆は、ただれた腕をあげ、みずからのしなびた乳房のあいだ、陸の人間なら肋(あばら)の合わせ目にあるあたりにあてる。 「ヘドローバ様!何を…なされます」 ダゴが叫びかけてから、途中で声を抑える。
2018-08-17 22:28:55「諸族には…青海嘯を見せてやらねばならぬわえ。分かりやすい形での」 ヘドローバは告げておいてから、指を泥の胸にうずめ、奥へ浸透させていく。 「ぐ…がっ…」 「おやめを!お命を縮めます!」 「がああ!!!!」
2018-08-17 22:30:10媼は心臓のあたりから三本の魚骨の吹き矢を引き抜く。 「ああ…ああ…何ということを…」 「しばしの…あいだだけだわえ」 濁った肌がわななき、さらに斑(まだら)を浮かべ、浪打ち始める。 「さがっておれ…ダゴ…」 命じるヘドローバの喉はもうしゃがれていなかった。
2018-08-17 22:32:13◆◆◆◆ 泡と漣(さざなみ)と、光の明滅と、陸の人間には聴き取れぬ高い音や低い音。千差万別の言葉が行きかう、水底の沙漠は急に静まり返った。 青海嘯があらわれたからだ。どんな海霊の男よりも丈高く、淡く内側から燃える蒼玉の肌、種族を超え、雌雄を超えて仰ぎ見るものの呼吸を奪う美貌。
2018-08-17 22:35:07かつて群雄割拠し相争う五十七州を武威と智謀をもってことごとく平らげた、うなばらの大君(おおきみ)、海霊の女帝。 まだ脱皮の数も少ない若者の中には昔語りに聞くだけで半信半疑の向きもないではなかったが、目の前に生きた伝説を見ては疑いようはなかった。
2018-08-17 22:36:52わだつみの民は泡ひとつ立てず、畏服して下知を待った。 ヘドローバは、藍の髪を海藻のごとく、あるいは水中の炎のごとく逆立てうねらせながら、聞くものを打ち据えるような、それでいて慰撫するような声で呼びかける。 「波の下、波の上にすまうものどもよ」
2018-08-17 22:40:13「東方より伝わる術を学び、神仙を名乗るようになった不遜なる陸の人間が、軍船(いくさぶね)を仕立ててやってくる…こたびはきゃつらの全力を挙げて」 ざわめきが広がる。だが問いを発するものはいない。次に続く語句を待つばかりだ。
2018-08-17 22:41:44「神仙を名乗る陸の人間は、これまでも五十七州の諸族を漁の獲物とみなし、思うままに狩り立てようとした…覚えのあるものもいよう」 青の女帝はよどみなく話し続ける。
2018-08-17 22:43:27「我が一族、海霊はいくどとなく陸の人間のもくろみを阻んできた。きゃつらが根城にすべき島々を津波をもって洗い流し、船を沈め、港を破り、足がかりを与えてこなかった」
2018-08-17 22:45:20ヘドローバは、きらめく濃紺の双眸であたりを睥睨する。 「だが神仙を名乗る人間は、我が領海に唯一無事で残る島、魔女の禁忌故に手つかずにしてきた島を聞きつけ、愚かにもかの地に軍船を集めようと図っておる。今こそ好機である!!」
2018-08-17 22:48:07