「ZFCのモデル」についての会話

「ZFCのモデル」という考えにどこか悪循環があるような気がすることなどについての会話.
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dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki 日常生活において,われわれが「同じもの」を見ても,各々の知識や経験に応じて観察内容や理解の程度が異なります.したがって,「外宇宙に存在する唯一の集合世界」とわれわれが結ばれていたとしても,それを記述する言語や理解に応じて,「われわれの理解から再構築された集合の世界」は異なります.

2018-09-05 21:08:29
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki 神話的なプラトニズムを捨てた場合に取りうる解釈の一つは「集合とは観念である」というものです.(「観念」には色々な用法がありますが,ここでは,知覚や思考の対象を指します).明らかに,この場合A氏とB氏の観念として存在する「集合全体の世界」は互いに異なってよいことになります.

2018-09-05 21:14:08
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki それは丁度,同じ料理を食べてA氏は「辛い」といいB氏は「辛くない」という事があっても不思議ではないことと同様の事情です.

2018-09-05 21:15:30
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki われわれが経験しているように,味覚が正常であればA氏もB氏も砂糖と塩の味を間違うことはありません.つまり,「味覚が違う」ということが「何からなにまで感じ方が違う」ことを意味するわけではありません.

2018-09-05 21:17:15
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki 集合の場合に話を戻すと,A氏とB氏は「信じがたいほど巨大な基数が存在するかどうか」や「与えられた無限集合に対して選択関数が存在するか」といったことでは意見の相違があるかもしれませんが,基本的な有限集合に関しては恐らく議論がわかれることはないでしょう.

2018-09-05 21:19:34
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki いずれにせよ,A氏とB氏が集合に関して,特に無限集合に関して議論しようとすると,「集合の世界を律している法則」について合意が出来ていなければならないでしょう.

2018-09-05 21:22:15
谷口一平 A.k.a.hani-an @Taroupho

@dif_engine @lovebourbaki 横から口を挟んで恐縮ですが、そのアプリオリな集合の世界では、連続体濃度とかも実在していてどれかの基数と等しいことになっているのでしょうか?

2018-09-05 21:23:00
dif_engine @dif_engine

@Taroupho @lovebourbaki (あくまでも私の理解であることは再び断っておきます).アプリオリな集合世界というのは各人が想像の中で思い浮かべるものであり,それが「実在するか」という判断が一体なにを意味するのかわからないほど曖昧なものです.

2018-09-05 21:41:20
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki A氏もB氏も「集合とはなにか」についての漠然とした感覚を持っていると思いますが,無限集合に関する限り(それが存在するか否かも含めて)言語活動として現金化されたものでしかやり取りができません.

2018-09-05 21:24:04
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki 「集合とは観念である」という説を掘り下げようとすると「観念とは何か」ということに突き当たります.われわれの知る限り脳に観念が具体的な粒子のような形をとって存在しているということはなさそうです.

2018-09-05 21:30:14
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki 視覚や触覚のような観念は神経活動の連合として生じているらしいことが知られていますから,「集合という観念」も言語に関わる神経活動の連合として実現されていると考えることも可能です.

2018-09-05 21:32:52
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki すると,「集合そのものは何か」など無意味であり,「集合に関する発話を互いにやりとりできること」が集合の実質なのだと考えることも自然に思えます.つまり我々は「集合」そのものを扱っているのではなく「集合についての談話」を通貨とした言葉のキャッチボールをしているだけ,というわけです.

2018-09-05 21:37:04
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki 「二つのりんご」から抽象化される有限集合のようなものについて我々の議論が分かれることはないと思われますが,「集合とは何か」を巡って,いままで見てきただけでも「神話的プラトニズム」「バークリー流観念論」「言語ゲーム」という立場の異なる説明がありました.

2018-09-05 21:45:15
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki いずれの立場を取ったとしても,われわれは「言語」を通じて集合に接しています.われわれがいかに豊かな内観を持っていたとしても,言語で表現できる範囲でしか互いにやり取りできないことになります.

2018-09-05 21:50:22
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki アプリオリな集合世界を何らかの形で認めた場合,われわれの心には「言語で表現できる影」だけが映っていることになります.「アプリオリな」というのはつまり「知覚され,言語で表現される前の」裸の現実の,ということですから,本来はこれらの事柄を正しく思考することはできません.

2018-09-05 21:53:43
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki カントの批判哲学を承けて考えるならば,アプリオリな集合世界について考えるのはほとんど無意味という結論に(考えるまでもなく)至った可能性もありました.

2018-09-05 21:57:48
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki そうならない理由の一つは,(想像ですが)多くの数学者はある程度にはプラトニストだからしょう.もう一つの理由は,哲学そのものに関連します.

2018-09-05 21:59:37
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki プラトンの時代から,数学は哲学的な議論の正当性を担保する重要な建築材料でした.そして,集合論は(それ自体としての価値ももちろんありますが)さらに数学活動そのものの基礎をなす,より根源的なものであることが期待されていました.

2018-09-05 22:03:16
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki 数学というものが本質的に多様であり,「集合全体がどのような性質を持つか」について,(自己矛盾した言明は無条件に退けるとしても),互いに相容れない複数の考えがあり得るというのは,「困ったこと」であったと想像されます.

2018-09-05 22:05:10
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki 実際には,哲学者が困るかどうかに関係なく,われわれは事実として,各々異なった集合観を持ちえます.10人集まれば好きなワインの味が異なるように,テイストの異なった集合観があってもよく,むしろそれが「ふつう」なわけです.

2018-09-05 22:10:28
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki 今日「商品として」出回っている集合論がワインの銘柄よりはるかに少ないのは,ワインは食事のたびに選び直すことができるが,集合論は数学者の社会全体で(ほぼ)一つしか選ぶことができないからです.

2018-09-05 22:13:17
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki 「集合がなんであるか」を記述するための言語にしてもそうです.「理屈としては」集合論の公理は二階だとかもっと高階の論理であってもよかったはずですが,一階の(古典)述語論理が選ばれました.とにもかくにも社会全体で(あなたにもわたしにも投票権はありませんでしたが)決まりました.

2018-09-05 22:16:20
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki 我々は山に籠もって独りで数学をやるわけにはいかないので共通言語が必要です.そして,この共通言語の上で再び(何らかの思惑で)アプリオリな集合世界について想像することができます.必要ならば,「言語ゲームとして成立している集合の議論は,アプリオリな世界でも成立している」と想像できます.

2018-09-05 22:25:01
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki 繰り返しになりますが,「アプリオリな集合」というのは我々の言語で捉えられる前の「裸の現実」に属するものであり,それについて考えられると考えること自体間違っている,というようなものです.

2018-09-05 22:27:29
dif_engine @dif_engine

@lovebourbaki アプリオリな集合世界など存在しないと考えることはもちろん可能です.たとえば一階述語論理を扱う機械システムで,純粋な形式計算として証明を生成したときにコンピュータ内部に「外の宇宙から」神秘の触腕が介在しているとは,「非常に考えにくい」ことです.

2018-09-05 22:32:34