共同体をめぐるいくつかの考察(2)
ある規範に従うのは、それに従いたいからであって、なぜなら自分的に濃度の高い共同体に属していたいと思うからであり、その共同体からの承認が、自分の福利を実現する。これは、でも、客観主義福利論だ。…まぁそれはいいや。
2011-04-23 03:19:08@S_uekai でも、濃度を無視する訳にはいかないんじゃないか。共同体に順位を付けるものは存在しないと、併存を解決できなくなる。
2011-04-23 03:22:59@KoNoSoK 濃度は無視していない、共同体の大小というか、優劣は付けられるべき(まさにそのために「濃度」という概念を持ち出してきたわけだし)と思ってるよう。そこは共有してるつもりだけど、どこかで間違えたかな。
2011-04-23 03:26:37@S_uekai 共同体からの承認が自分の福利を実現する。が違和感。確かにそうなんだけど、今まで話した通り”共同体”が客観じゃない以上、自分でなく共同体の承認によって幸福が実現されたからといって客観主義になるのは何かおかしくない?
2011-04-23 03:29:58@KoNoSoK うーーん、というのはどういうことだ? 念のためだから聞き流していいんだけど、僕が客観主義と言ったのは、なんだかわからん共同体からの「承認」というのが既に価値有るものとして存在することを強調して、のことだったんだけど。。
2011-04-23 03:34:00共同体はとある共有されるコンテクストがあって成立する集団のことで、そのため無限の共同体が予想される。しかし自分にとって、それぞれの共同体の濃度に差がある。濃度についての判断としては共有物の量や質による方法が考えられるが、最終的に判断するのは個人。
2011-04-23 03:40:38@S_uekai それは捉え方次第かもしれない。俺は、順序を判断する個人の視点からみて、共同体は客観ではないんじゃないか、と思った。
2011-04-23 03:38:09@KoNoSoK 福利とは「その人の生を良くするもの」を言う。共同体からの承認はその人の生を良くしないかな? これは大いに議論の余地あり。
2011-04-23 03:43:04