Demand Appropriateness (需要の適切性)?

某所で頂いた宿題についての雑考。
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望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

某所で「demandのappropriateness」(需要の適切性)という概念の宿題を与えられたので、これについて考える必要がある……。

2018-10-11 09:41:40
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

例えば、(総)需要過剰によって、生産が逼迫する場合、生産者が取れる手段は二つある。一つは、何かしらの方策で「物理的」生産性を引き上げて需要に対応する。もう一つは、物理的に需要に対応することはせず、受諾する案件を厳選する。(基本的には価格で選ぶが、そうでない場合もあり得よう)

2018-10-11 09:54:51
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

前者の場合は、物理的な生産量が増えるから厚生が上昇し、後者の場合は物理的な生産量が増えないから厚生が上昇しない……と言いたいところだが、話はそう単純でもない。 生産性、というより付加価値の計算は複雑で、例えば同じPCだったとしても、搭載している機能次第で付加価値計算は変動する。

2018-10-11 10:16:11
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

また、豊富な需要というのは、経営上では最適ではない多様な商品(道楽じみたものも含めて)の生産を許容することになる。 これと似た話は、『「消費者の得する商品」の生産は、競争ではなく余裕が生み出すのではないか』togetter.com/li/1153690 でもしたことがある。

2018-10-11 10:19:02
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

需要過剰側面において、物理的生産性に固執するのではなく、「引き受ける仕事」を厳選する。それによって、短期的に経営最適的な生産ではなく、より広い視野での生産が可能となる。 全く新しい付加価値を創出するイノベーションは、生産側のそうしたある種の余裕の中から生まれてくるのではないか。

2018-10-11 10:22:51
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

オーソドックスな経済学というのは、どうしても主に消費側にフォーカスして厚生を考えてしまうので、生産側の、特に全く新種の付加価値の創造の側面をどうしても軽視してしまいがちである。 しかし、上述のような考察が正しいとすれば、

2018-10-11 10:27:21
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

基本的に需要過剰で、消費者の需要が完全には満たされないような経済の方が、生産側は余裕を以て様々な開発etcに挑戦でき、長期的には”豊か”になるのかもしれない。 逆に、移民導入や数量的効率化で無理やり埋め合わそうとすると、生産側のイノベーションの可能性をむしろ阻害するのかも。

2018-10-11 10:27:26
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

以上はあくまで付加価値にフォーカスした話だが、生産者、特に労働者への分配というところも重要だろう。 せっかく需要過剰状態になっても、数量的効率化にフォーカスすると、労働者への分配が増えないままに終わる。消費者の厚生にフォーカスすると、この分配の問題が見えてこない。

2018-10-11 11:03:40
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

需要過剰時に、物量的効率性にコミットせずに案件の”厳選"にシフトすることの利点は、上述の通り、①生産者に余裕が出来て、全く新しいイノベーションに挑戦する余力が生まれる。 ②生産者、特に労働者への分配が(相対的に)増加する圧力がかかる。 という2点になってくるものと推察する。

2018-10-11 11:06:04