国語を学ぶ理由

本来の意味でのコミニケーションに重要なこと
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たられば @tarareba722

中学生くらいの頃は、「この文章から作者の言いたいことは次の中から選びなさい」系の問題は意味がない、受け手によってどれもありうるだろとバカにしてたんだけど、いま大いに反省しています。あれは放っておくと無軌道になる相手と最低限のコミュニケーションを成立させるための訓練だったんだなぁ。

2018-10-17 09:07:12
たられば @tarareba722

ある種の文脈を共有しない相手とのコミュニケーションにとって重要なのは、「正解を選ぶ」というより「明らかな間違いの選択肢を排除して大意を受け取る」ということであって、そこで「受け取り方は多様だろ」と言い出しても意味がない。結果的に、発信者の受信者も目的が達成できないということだな。

2018-10-17 09:15:21
たられば @tarareba722

会社で同僚から「昨日のサッカーの試合、面白かったね」と話しかけられて、「こいつ野球のことバカにしてるのかな」と受け取ったら、それはお互いにとってマイナスだ(ツイッターのリプ欄を見ていると、これがあり得ないとはいえない)。義務教育なんだから最低限をターゲットにした教育方針は正しい。

2018-10-17 09:18:23
たられば @tarareba722

なお、この一連のツイートは、現行の国語教育についての個人的な感想を募集しているわけでも、あなたのコミュニケーション論を聴きたいわけでも、野球をdisっているわけでもないことを付記しておきます。独り言のメモ帳のようなものです。為念。

2018-10-17 09:22:15
たられば @tarareba722

ある出張イベントが深夜に及び、次の日も早いから、と消灯した出演タレントの寝室に担当ディレクターがやってきて、「腹を割って話そう」と言い出し、タレントがもう一人のディレクターに「迷惑だからこいつを連れ帰ってくれ」と連絡したら、「よしわかった」とその別ディレクターがカメラを回し出し、

2018-10-17 09:59:57
たられば @tarareba722

タレントが「何も話すことはありません、問題なしです」と言えば、ディレクターが「それはきみ寂しいじゃないか」だとか「じゃあ以前は問題があったのかい?」と返すやり取りに、当人たちもそれを見る観客も腹を抱えてげらげら笑えるのは、そこにお互いが尊重している、共有する「文脈」があるからだ。

2018-10-17 10:03:15
たられば @tarareba722

そして互いがネットを通して繋がり、誰もが誰とも交流できるようになってコミュニケーション量が爆発的に増加した現代において、そうした「しあわせな文脈の共有」は、僥倖といえるほど貴重なものだったと実感している。ディスコミュニケーションが増えたからこそ、幸福な交流の価値の重さを実感する。

2018-10-17 10:07:03
たられば @tarareba722

やや誤解されるかもしれない書き方をしてしまったので補足しておくと、ある種の「文章が読めない(読まない)人」の特徴は、「文脈や行間を読まない」のではなく、「文脈や行間しか読もうとしない」ところだと思っています。書いてある文章ではなく、書いてない書き手の感情や論旨だけを読もうとする。

2018-10-17 10:21:21
たられば @tarareba722

順番として「書いてあること」から書き手の意図や感情を読み取ろうとするのではなく、まず(書き手の印象や書かれた状況、読み手である自分の信念から)文脈や行間を読もうとする。だからたまたま当たることはあるし、大きく間違うことも多々ある。例文を読まずに選択肢と自分を照らし合わせている。

2018-10-17 10:25:12
たられば @tarareba722

この文章と文脈の切り離しは技術的な話なので訓練で解決できると思うのだけど(法曹はこれのプロ)、非常に厄介なのは、コミュニケーションとして優遇される能力として、「文脈優位型」と「文章先行型」とでコミュニティが別々に存在することなんですよね。一概にどっちが正しい、有利だとは言えない。

2018-10-17 10:34:29
たられば @tarareba722

理想的にはどっちも出来て、切り替え自在なことなのだろうけど、こういう技術は「慣れ」とか「引き摺り」があるものだし、なによりアイデンティティに染み込む話なので、複雑だし厄介だよなあ、、、と思うのでした。はい。

2018-10-17 10:36:43