時計屋シリーズ7~墓暴きの話~

架空の禅宗です
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帽子男 @alkali_acid

都築は一瞬くらっと来そうになってから、次藤をにらんだ。 「なんで」 「遺骨を調べたい」 「遺骨って…お父さんとお母さんの?」 「そうだ」 心臓が早鐘を打つ。 「いやですけど」 「頼む」

2018-10-26 17:52:58
帽子男 @alkali_acid

真剣な顔つきだった。 だが中年が真剣な顔をしたからといって、年齢が半分以下の娘がほだされる理由はない。まったくなかった。 「…どうしても?」 「どうしても」 「じゃあ…しょうがないけど」

2018-10-26 17:55:28
帽子男 @alkali_acid

住職に要望を伝えると、怪訝そうに訊いてくる。 「それは、三好のお役目ですか」 「えっと…はい」 「ではいたしかたありません。やりなさい」 寺男がふんと鼻息を吐いて近づき、墓石を動かし始める。 怪力だ。

2018-10-26 17:57:11
帽子男 @alkali_acid

三好の墓は新旧ともに作りが難しく、唐櫃が竿石の下にあって、簡単には表に出せない。重機があった方がよいくらいだが、巨漢の雑役はひとりでこなし、手伝おうとする次藤に向かってうなるようにして下がらせた。

2018-10-26 18:00:08
帽子男 @alkali_acid

骨壺があらわになると、さすがに処女はかすかに肩が震えて一歩退く。だが男はためらいもなく腕を伸ばし、封を外して、中身をあらため始めた。 「こいづぅ」 寺男が怒り、住職も気色ばむが、まるで構いつけない。

2018-10-26 18:01:34
帽子男 @alkali_acid

やがて火葬の際、焼け残った下顎の骨を、手袋をはめた指が支え持ち、疲れたような午後の陽射しにさらす。 黒ずんで透き通ったような奇妙な質感。もっと目を引くのは、人間というより何か別の、肉食の動物にふさわしい形をしているところだ。 「…これは」 「病気の、せいで」 「骨が古い」

2018-10-26 18:04:11
帽子男 @alkali_acid

しげしげと観察しながら、次藤がつぶやく。 「虫歯がある」 「えっ?」 「三好の家はいつもおいしい甘味があった。でも夕花さんが歯磨きにはとてもうるさくて、俺が知る限り二人とも虫歯は一つもなかった…お母さんに虫歯があったか覚えてる?」 「そ…えっ…でも」

2018-10-26 18:06:02
帽子男 @alkali_acid

「見てくれ」 男は、仮にも親の骨を娘の手に押し込んでくる。 「ちょっ、いい加減に」 叫びが聞こえる。頭の中に。記憶がまるで映画の場面のように脳裏に閃く。刀と弓。騎馬。鎧兜の武者。

2018-10-26 18:07:56
帽子男 @alkali_acid

「ぁっ…」 「虫歯の部位を」 「これ…お母さんの骨じゃない…多分お父さんの…でも…」 「分かるのか?」 「うん…もっと…時代劇の…あの…江戸…時代とか…」 次藤は眉を顰めるが、隣のもう一つの墓に視線を向ける。 「そちらの中も見たい」 「しかし」 渋る住職に、都築が頭を下げる。

2018-10-26 18:10:03
帽子男 @alkali_acid

「おねがいします」 僧侶が合図すると、寺男がまた威勢のいい掛け声とともに働き出した。 ややあって墓石が動き、もう一つの骨壺が出る。 即座に次藤が探り始める。 「…最近開けたな」 「あの、次藤さん、なんでそんなこと」 「趣味が広くてね」

2018-10-26 18:12:54
帽子男 @alkali_acid

「証拠を残さないためには…証拠の探し方も勉強しないと。だろ、肇ちゃん」 男は独り言ちるようにつぶやいてから、ぎくっとして省みる。 少女はきょとんとしている。 「悪い。もう少し離れててくれ」 「はあ!?うちの墓なんですけど!」 「君がそばにいると調子が狂う」

2018-10-26 18:14:59
帽子男 @alkali_acid

都築はかっとなりかけるが我慢する。住職や寺男のとまどいに満ちた視線を感じて、呼吸を整える。 「わかり、ました」 「ありがとう」 次藤はもう振り返りもせず礼だけ言う。 「古い墓の骨を、新しい墓に移した…らしい」 「誰が?何で?」 「…さあね…和尚さん。最近三好の墓を誰かがいじったか」

2018-10-26 18:19:03
帽子男 @alkali_acid

「清掃は…時々しておりますが…業者が」 「業者?どういう業者ですか」 「どう…と言いましても普通の…」 「失礼だが、この寺はそんなに裕福には見えない。墓の清掃をわざわざ外部の業者に頼むのはどうしてです」

2018-10-26 18:21:44
帽子男 @alkali_acid

踏み込んだ質問に、僧侶はまた少女をうかがう。 三好の娘はしかたなくうなずいた。住職はおずおずと答える。 「鐘守寺のご厚意で同じ業者さんを入れていただいているのです」 「鐘守寺。よその宗派だったと思いますが」 「そうですが、何くれとなく当寺のことも気にかけていただいて…」

2018-10-26 18:23:30
帽子男 @alkali_acid

次藤は貫くような視線を、今度は寺男に向ける。 「業者の清掃で、何か変わった作業を見ませんでしたか」 「みでねえ!」 うっとうしげに答えてから、しかし巨漢は一瞬たじろぐ。 少女は唾をのんでから、小さい頃からの知り合いに呼びかけた。 「何でもいいから、覚えてたら」 「う…」

2018-10-26 18:25:23
帽子男 @alkali_acid

雑役はうなだれた。 「確か三好さまの…はかのまわりに…ブルーシートおおってた…」 「…業者の名前と連絡先を教えて下さい」 男が求めると、僧侶は唖然とした。 「あの、いやまさか鐘守寺のご紹介ですよ」 「…三好の、お役目です」 しゃあしゃあと言ってのける。

2018-10-26 18:28:49
帽子男 @alkali_acid

「お待ちを。来なさい」 住職と寺男が寺務所の方へ連れだってゆくのを見送ってから、都築は次藤を振り返る。 「めちゃくちゃ」 「ああ。君はお母さんの遺体を見たのか」 「え?うん…遺骨」 「遺骨?」 「火葬したあとだったから」 「なぜだ」 「病気で…そういう決まりだって」

2018-10-26 18:32:32
帽子男 @alkali_acid

「誰が言った」 「病院の…人」 「どこの病院」 「知音会病院…お母さんの病気の専門の…」 「君に説明した医者の名前は憶えているか?」 少女がとまどうにもかかわらず、男はこと細かに尋ねるが、一切手帳に控えるそぶりはない。すべて頭の中にしまいこんでいるらしい。

2018-10-26 18:35:07
帽子男 @alkali_acid

「これ、全部なんなの?」 「俺は肇ちゃんの遺体は見た。夕花さんの遺体は見てない。君も見てない。墓に入っていた遺骨は二人分とも別の誰かの可能性が高い。肇ちゃんの遺骨と夕花さんの身柄が行方不明だ」 怒っている。冷たいのに熱い怒り。 目つきのきつい背広の男の全身から嫌な気配が出ている。

2018-10-26 18:40:32
帽子男 @alkali_acid

やっと僧侶と雑役が戻ってくる。 「こちらが業者の名前と、連絡先です」 次藤は名刺を受け取り、眺めてから尋ねる。 「お借りしてもいいですか」 「は…結構ですが…」 「それと…つかぬことを尋ねますが、知音会病院は鐘守寺の系列ですね」 「そうですね。鐘守寺さんは手広くていらっしゃいます」

2018-10-26 18:42:41
帽子男 @alkali_acid

男は瞼を閉ざしてからまた開き、少女に向き直る。 「鐘守寺についてお母さんは何か言ってなかったか」 「え…お母さんは何も…吉岡のおじさんが、養子がどうとかって」 「養子?」 「多分、私が鐘守寺の和尚さんの養子になるってことだと思うけど」 「そうか」

2018-10-26 18:47:46
帽子男 @alkali_acid

ますます次藤のようすが剣呑になる。まわりに黒雲が湧いて稲光が走っても驚かない。 「鐘守寺…吉岡、知音会病院、精舎花卉園芸」 都築は何となく連想した。導火線がパチパチと短くなり始めたダイナマイトを。

2018-10-26 18:51:22
帽子男 @alkali_acid

「あのさ!」 「何か?」 「…あ」 何と言ったらいいのだろう。 「あたし…ちょっと疲れたかも」 「ああ。ご苦労様…家まで送らせてくれ」

2018-10-26 18:54:20
帽子男 @alkali_acid

優しい口調だった。腰が抜けそうになるほど。 少女は息を詰まらせる。 男のふるまいは、さして親しくもない子供に向ける大人のそれではなく、とっくに死んでしまった幼馴染にあてたものなのだと察せたから。 「いいです。あたし…“肇ちゃん”じゃないですから」 「ぜんぜん似てない」 「ああそう!」

2018-10-26 18:59:09
帽子男 @alkali_acid

いきなり鐘の音が響いた。 強く、重く、撲りつけるような音だった。 霧が炸裂したように墓地を埋め尽くし、苦痛のすすり泣きとともに獣の雄叫びが迸った。 骨壺から飛び出した黒く変色した無数の歯、いや牙の群が、蚤か飛蝗のように跳ねて少女の胸にぶつかり、シャツに食い込んだ。 「痛っ…」

2018-10-26 19:02:04