尾上先生の勉強風景(3)

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尾上正人 @9w9w9w92

「18世紀末には、世界人口の4分の3以上が、何らかの形の奴隷制や隷属の中にいた」(Hochschild 2005)p.17.

2018-10-29 11:29:28
尾上正人 @9w9w9w92

「いったん奴隷制が消滅し始めると、その邪道の記憶も限定的にしか保持されなかった。アメリカ合衆国における人種隔離はアフリカ系米国人にとって奴隷制を忘れないものにしたが、他の場所では奴隷制の悪夢の記憶はぼんやりとしたものになった」p.17.

2018-10-29 11:36:05
尾上正人 @9w9w9w92

13世紀の北米北東部における暴力の増加…遺骨の傷、食人の痕跡、共同墓地に男の遺体がない等。B. G. トリガーは、狩猟から農耕への移行により、男たちがそれに代わる勇敢さ・武器への熟達を顕示する場として戦争に向かったと。p.24.

2018-10-29 12:32:56
尾上正人 @9w9w9w92

イロコイ語・アルゴンキン語族における「奴隷」と「犬」の関連。虐待をしていた可能性。p.24.

2018-10-29 12:38:31
尾上正人 @9w9w9w92

「北東部と同様、南東部の戦争や捕虜捕獲の目的と意味は[西洋との]コンタクト後に、復讐や威信から、国際奴隷貿易への供給に変わった。戦争の暴力・強度・持続性は、欧州植民者たちがインディアン集団の間の以前からある敵意や競争を操作し、集団が互いに攻撃し合うよう仕向けるにつれて増加した」26

2018-10-29 13:27:03
尾上正人 @9w9w9w92

ブルックス「スペイン人と南西部族の遊牧文化は、男の名誉と恥なる似た概念に基づき、襲撃や捕虜捕獲を含む文化間移転への道の構築を求めた。スペイン人はムーア人との紛争や通婚の世紀の記憶をもたらし、それは遊牧南西部社会の襲撃と女の交易・捕獲・コントロールへの男性支配的な強調とパラレル」30

2018-10-29 13:56:09
尾上正人 @9w9w9w92

ハマライーン(Hämäläien アラブ系?)「権力のピークにはコマンチ族は欧米人よりも広い領域を支配し、欧米人が南西部に拡大するのを19世紀後半まで妨げた。戦争と襲撃はコマンチの拡大に中心的で、始まっていた奴隷襲撃と、既にスペイン人と先住民を包摂していた奴隷交易ネットワークに熱心に参加」30

2018-10-29 14:19:39
尾上正人 @9w9w9w92

「18世紀から19世紀初めにかけて、コマンチはスペイン人やプエブロの村や、先住民の難民キャンプを襲い、多くの子どもと若い女を捕虜にした。…1820年から1875年にかけて800人以上を捕虜にしたという目撃情報…いかに捕虜たちがコマンチ社会に包摂されたか」p.31.

2018-10-29 14:25:29
尾上正人 @9w9w9w92

ハマライーン「コマンチはアパッチの女たちを、東のフランス人に売った」p.31.

2018-10-29 14:41:46
尾上正人 @9w9w9w92

「多くの南米社会において、捕虜は奴隷としてよりもむしろ妻として包摂された」p.36.

2018-10-29 15:44:11
尾上正人 @9w9w9w92

「アフリカ人奴隷は古代ギリシア・ローマに暮らし、遅くとも第1千年紀後期にはアジアにもいた。…リビアのガラマンテス人は紀元前第1千年紀までに、サブサハラのアフリカ人を捕獲し奴隷にしていた」p.39.

2018-10-29 16:00:09
尾上正人 @9w9w9w92

「[中世]カトリック教会はその大きな所領を、奴隷労働を使って運営していた」p.40.

2018-10-29 16:04:54
尾上正人 @9w9w9w92

ヴァイキングは欧州各地から奴隷を捕獲してスカンディナヴィアに持ち帰ったが、奴隷の生活の証拠はアイスランドの冒険物語や言い伝えに残されている。p.40.

2018-10-29 16:09:30
尾上正人 @9w9w9w92

「現在のアイスランド人の母方DNAにはいまだにケルト系が有意に混合していて、アイルランドの女捕虜がアイスランドに連れて来られたことを示している」p.40.

2018-10-29 16:13:44
尾上正人 @9w9w9w92

現シエラレオネのヴァイ族は父系制親族システムが厳格であったために奴隷の扱いも厳しかったが、近隣の文化的にも類似したシェルブロ族は系統のない柔軟な親族システムであったために、捕虜や購入された人は養子に迎えられたり、自分の出自の親族集団との同盟のつなぎ役として使われたりした。pp.48-9.

2018-10-30 10:00:40
尾上正人 @9w9w9w92

コマンチ族は捕らえた女児も将来的には自分たちの妻にするので成人女捕虜と同じように扱ったが、男の捕虜の扱いは年齢によって大きく異なった…文化的に操作可能な若い男児は養子にしたが、年長の男児は奴隷にしたり虐待したりした。pp.60-1.

2018-10-30 11:35:30
尾上正人 @9w9w9w92

カリブ海のカリナゴ族は、捕らえた少年を去勢し、家の召使や食人儀式に使うために育てたが、捕らえた成人男性は自分の村に入るとすぐ処刑した。捕らえられた若い女は髪を切られ、側室や召使にされる運命だった。p.61.

2018-10-30 11:40:12
尾上正人 @9w9w9w92

「19世紀後半の東アフリカでは、奴隷価格は、女の(そして男も)奴隷の価値が年を取るにつれ下落したことを記録している。35歳を過ぎた女は、繁殖年齢にある女に支払われた価格の4分の1より少し高いくらいで売られた」p.62.

2018-10-30 11:49:37
尾上正人 @9w9w9w92

「拉致者はしばしば捕虜の労働を『脱ジェンダー化』し、捕虜労働はしばしば拉致側の女によって監視された」p.63.

2018-10-30 12:03:12
尾上正人 @9w9w9w92

「『人々の富』あるいは人口代替[的な増加?]が捕虜捕獲の主要目的である時には、[女捕虜の機能のうち]繁殖が最も重要になったであろう」p.63.

2018-10-30 12:07:29
尾上正人 @9w9w9w92

「捕虜を捕らえるあらゆる社会が女捕虜を性的パートナーとして用いたことはほとんど確実であるが、しかし大部分の社会においてはおそらくこれは第一義的価値を置かれていなかっただろう。女捕虜が側室になったところですら、この役割と彼女らのセクシュアリティの価値は年とともに減退したようだ」p.63

2018-10-30 12:13:13
尾上正人 @9w9w9w92

「[イスラム王朝では]年を取るとハーレム女性のセクシュアリティは変化した。オスマン帝国では、スルタンに息子を産んだ側室はもはや彼と性的関係を持たず、息子のための教師、政治的にアクティブな提唱者となった」pp.63-4. 大奥ってことかねえ

2018-10-30 12:19:07
尾上正人 @9w9w9w92

「大きなハーレムの女たちは名目上は、彼女らのセクシュアリティと繁殖ポテンシャルのゆえに獲得されたのではあるが、しかし子どもを産まない女も多かったし、主人と一度も性的関係を持たない女もいた。ハーレムにとどまった年長の女は、もはや繁殖に関わらないので自由に外の世界と行き来できた」p.64

2018-10-30 12:42:28
尾上正人 @9w9w9w92

奴隷労働の「脱ジェンダー化」…女も男も同じ仕事。アフリカで農業労働の中心は女だが、男奴隷にやらせる等。L.ドナルド「奴隷は[ジェンダー的に]未分化の労働力だ。男奴隷に『女の仕事』をするよう要求するのは不適切ではない。なぜなら、男奴隷は十全なる文化的意味では『男』ではないから」64-5

2018-10-30 14:44:52
尾上正人 @9w9w9w92

スワヒリ語文献では奴隷は男が所有しているが、女奴隷の労働を利用するのはその男の妻だと。アフリカの一部地域では、女は多くの女奴隷を指揮するのみならず所有もしていた。南米ツカノ族ではマクの女捕虜が、女主人がハンモックでくつろいでいる間にほとんどの農業労働を担い、乳母役もこなした。65-6

2018-10-30 14:57:45
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