10/21 平山優先生「武田信玄の人材育成と気配り」を拝聴して思うところあれこれ in 郷育フォーラム2018

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日光81 @nikko81_fsi

①人は自分の益になることを必ずしも表現できない。ほしい、やりたいと言っていることは彼らの想像できる範囲のことであって、別の目線で見るとそういう彼らの求める本当のニーズを別の手段で解決する方が為になることも。「聞きだすことで何をなすべきかわかる」ということはそういうことなのだろう。

2018-11-03 17:06:42
日光81 @nikko81_fsi

②現地現物。トヨタ生産方式かよって感じですが、机上で考える頭でっかちではアカンよねということの現れか。中国の書物読んでも現実の軍事問題には即応しないという現実主義にもつながる。「唐(から)より日本ゑ渡りたる軍書を見聞たるばかりにてハ(中略)能軍法を定る事、成りがたくおぼえたり」

2018-11-03 17:10:05
日光81 @nikko81_fsi

③親しく接したという事実がどう捉えられていくか。他の大名がどうしてたのか知らないですけど、実際に声がけしていたとすると、多分話しかけられた人は記憶に残るだろうなと思うわけです。江戸時代以降の「信玄伝説」をつくる一端になったのかもしれないな、とふと思いました。

2018-11-03 17:12:55
日光81 @nikko81_fsi

以前テレビでもやってた気がしますが、戦場に刀剣や甲州金を持参して、戦場での興奮冷めやらぬ間にすぐ褒美を与え、賞罰は間を置かずその場で行い、よく声をかけること。これね、やるほう大変ですよ。それだけに「自分が頑張ればトップが見ててくれる」というのはすごくやる気になり、人心掌握。

2018-11-03 17:15:47
日光81 @nikko81_fsi

罰を与える場合は理由を明確に、感情で行わない・・ということはあったんでしょうね。というかそう言い聞かせないと罰は感情的になりがちなんでしょう、誰しも。おべっか使いの重用も厳禁。

2018-11-03 17:18:04
日光81 @nikko81_fsi

諫言する者。どこもこういう人間は重用しろとあるんですけど、歴史上そんなことを言ってる人が多いにもかかわらず、遠ざけられるのはやっぱり感情がそうなっているとしか。また、諫言する者とされる者の中にも信頼関係が要りますからね。

2018-11-03 17:20:19
日光81 @nikko81_fsi

最後に、取次の話。組織が大きくなると、レポートラインが多重になり、特定の情報が正規ルートで上がってこないと、上層部は起こっている現実に気づくことができないことがあり得る。そのため、当主には複数の情報網を持ち、それらを総合的に捉えて判断できるようになれ、というもの。これ、深い問題。

2018-11-03 17:23:11
日光81 @nikko81_fsi

当時は基本的に取次役になる寄親を通して情報が上がるのだけど、情報の寸断を防止するために目安を持っていたらしい。勝頼公の代に取次役が(結果論として)跡部勝資に集中しバランスが崩れたということと考えると、勝頼公の時代には機能してなかったのか、と思ってしまった。

2018-11-03 17:27:08
日光81 @nikko81_fsi

後継と目される立場になってから、信玄公・勝頼公が生活や寝食を共にし、政治哲学や軍事思想を語り合い、対話をどのくらいしてきたのか。時間は短かったとは言え、勝頼公が内藤昌月に示した上に立つ者としての考え方を見るに、その思想は伝わっていると思えるし、勝頼公は応えてきたのだと思っている。

2018-11-03 17:29:39
日光81 @nikko81_fsi

しかし長篠後の処置にせよ、取次役の集中にせよ、如何に組織運営に於いてバランスをとることが重要だとわかっていても、勝頼公が信玄公と同じように、近習から人材育成をしていたかどうかはわからないけど、あまりにも激しい家中のパワーバランスの変化への対応は難しかったのだろうなと。

2018-11-03 17:32:35
日光81 @nikko81_fsi

人が一斉に居なくなり、また人を育てる時間もなく、その中でどうバランスをとるか。真田丸の勝頼公じゃないけど、こういう時信玄公が居たらどうしただろうかと思うだろうなぁ。信玄公は信玄公でストレスフルだったと思うけど、勝頼公もまた違うストレスに悩まされていたのかもしれない。

2018-11-03 17:34:54
日光81 @nikko81_fsi

甲州法度と並んで早い段階で信玄公に興味を持った人材育成論をおさらいすることはできて、改めて自分に対する影響力の強さを感じたとともに、この信玄流人材育成と武田勝頼という点で、自分の関心が広がっていることに気づくひととき。

2018-11-03 17:37:32
日光81 @nikko81_fsi

取次に関して言うと、最近長篠合戦後に真田昌幸が真田家を継承したことの影響を考えている。結果論だけど跡部勝資に取次が集中したのは勝頼公の恣意的な選り好みではなく、取次役ができる重臣レベルの人材が育っていないからかなと思っていて・・・

2018-11-03 17:41:35
日光81 @nikko81_fsi

真田昌幸と同世代の重臣層が新たな取次役になるべきなんだろうけど、土屋右衛門尉・三枝勘解由は長篠で討死、曽根内匠と武藤喜兵衛(真田昌幸)は郡司として出払う。まだ土屋は弟の惣蔵が継承しているけど、信綱存命で真田家を率い、昌幸が武藤喜兵衛のまま、勝頼公側近に居たらなぁ…などと妄想。

2018-11-03 17:48:32
日光81 @nikko81_fsi

最後に、平山先生が締めたことばが印象に残っている。武田家は滅びたが武田家が育てた人材が残り、そして幕臣として徳川幕府を支えており、その意味では信玄公の人材育成は成功したのではないか、と。なるほどねぇ。

2018-11-03 17:52:58