松井和翠=責任編集『推理小説批評大全総解説』を読んでの感想

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シン@本 @naosarakyaa

佐野は確かに戦前探偵小説の幼稚さを批判しています。しかし「こんなかたちで」探偵小説の復権を叫ばれてはかなわない、と言っているだけで、巽が書いているような「探偵小説の再評価そのものを否定」などしていません。こんなかたちで佐野洋を藁人形にされては、かなわないなという……。

2018-11-08 01:09:02
シン@本 @naosarakyaa

もっとも「読者がまたそこに戻られたんじゃかなわない」という発言に反発を感じる人もいるかもしれません。それを意識してか、対談相手の権田は、あれはアンティークの味であって現代の推理小説が復古的になるわけでもない、もっと鷹揚でいいでしょうとなだめています。この中庸さが権田の美点です。

2018-11-08 01:09:26
シン@本 @naosarakyaa

巽は佐野の意見を歪曲して伝え、松井はこれを無批判に踏襲しています。私はここに新本格史観の歪みを見るのです。松井は「現代推理小説と批評」を読んだ上でこの選考文を書いたのでしょうか?読んでないなら準備不足ですし、読んでいたなら不誠実です。 巽はこうも書きます。

2018-11-08 01:09:40
シン@本 @naosarakyaa

「佐野の批判は、戦前探偵小説がしばしば幼稚に見えるという点だけなら別に間違ってもいないが、そのはしばしには、「僕ら」が努力して「一般に通用するような文章」を作り上げ、推理小説に「市民権」をもたらしたのだから、それを後戻りさせるなといった論法で、陰険な党派性がにじむ。

2018-11-08 01:09:56
シン@本 @naosarakyaa

陰険というのは、自分の意見を同時代作家の多数意見と同視し、さらに、「一般に通用」「市民権」といったレトリックで、まるで自分の文章観が個人の趣味や時代の制約を受けていないかのように装いつつ、その一方では、戦前探偵小説の多様性や、中には空前絶後の衝撃力を保っているものもある

2018-11-08 01:10:10
シン@本 @naosarakyaa

といった幅広さを無視し、また具体的な作例をあげることもなしに、ただただ技術的に稚拙だと言い募っているところである」

2018-11-08 01:10:35
シン@本 @naosarakyaa

なるほど自分の意見を「僕ら」の意見と呼ぶのは党派性かもしれません。しかし「自分の文章観が個人の趣味や時代の制約を受けていないかのように装い」というのは間違っている。「現代推理小説と批評」で佐野は自分の文章が何に影響を受けているか語っているのです。

2018-11-08 01:10:50
シン@本 @naosarakyaa

そもそもこの対談、戦前探偵小説批判は最後にほんの少し、それも「最後に『幻影城』の批判をひとつやってくれという編集部の注文です」と促されてやっているだけで、話題は多岐に渡ります。佐野の強情さに正直辟易してしまう面もあり、佐野の理論を「極点としての厳密さ」と評した孔田の鋭さを痛感。

2018-11-08 01:11:36
シン@本 @naosarakyaa

第2回の冒頭で権田が、佐野の文章には「……かも知れない」と断定を避ける特徴があるという三好徹の論考(出典はどこだろう?)を紹介すると佐野は、それは青柳瑞穂訳のジャン・ジャック・ルソー『孤独な散歩者の夢想』の影響があると思う、と述べています。

2018-11-08 01:11:55
シン@本 @naosarakyaa

また、サルトルの『自由への道』の文体にも影響されたといいます。 「「一部」と「二部」と「三部」では全く違うわけですね。もう三部になるとついていけないような同時代性っていうのが、一つの文章の中でぽんぽん出て来るというところなんか……」

2018-11-08 01:12:18
シン@本 @naosarakyaa

「思想とかね、そういう奥の方まで行く以前にね、表面的な小説形式の方に、眼を奪われちまった」 「そういうものから見てきた場合に、当時の日本の小説というものが、随分幼い感じがしました。まして推理小説となると、これはもう小説とは呼べない講談の感じであったわけでね」

2018-11-08 01:12:35
シン@本 @naosarakyaa

「「一本の鉛」では意識的にいろんな形式を入れてみたわけですけどね。やっぱり、理想というのは、二十世紀になっていろいろ広がってきた小説の形式っていうものを、推理小説、大衆小説の中にも取り入れて行くということなんですよね」

2018-11-08 01:12:55
シン@本 @naosarakyaa

それから意外なことに吉田健一「中間小説時評」を読んで文章が変った由。「あの方は非常にむつかしい表現を使われるんですよね。あの、何が何んだかわからないところがあるわけですよ」「推理小説としてはこうして読んでもらいたいっていうところを全々(ママ)無視して、違うところの批評をする。

2018-11-08 01:13:15
シン@本 @naosarakyaa

それでね、随分とまどったというのかね、見当違いがあるという感じがしたんですよ。ところがね、何度も読み返し、反駁文を考えたりしているうちに、吉田さんの指摘がはっきりわかって来る。そして、たしかに吉田さんの言う通りだ、と思われてきて……。

2018-11-08 01:13:31
シン@本 @naosarakyaa

それで、僕の場合、吉田健一さんの批評によって、少なくとも短篇では、はっきり変って来ているんです」「現代推理小説と批評」第1回の発言。この影響関係については、今後研究が必要でしょう。しかしこの発言を聞いていると吉田健一「中間小説時評」はまるで森茉莉「ドッキリチャンネル」のようです。

2018-11-08 01:13:49
シン@本 @naosarakyaa

佐野洋は「自分の文章観が個人の趣味や時代の制約を受けていないかのように装」ってなどいません。佐野洋を批判するならむしろ、あなたはジョイスやベケットやロブ=グリエやガルシア=マルケスやクンデラを読んだのか、未熟や混沌を文学の力とした作品群を理解しているのかと問うべきだったのです。

2018-11-08 01:14:14
シン@本 @naosarakyaa

巽はこうも書いています。「それまで佐野洋らが唱導してきた、大人の小説としての推理小説、幼稚さを脱して「市民権」を獲得したはずの推理小説は、しかし、何かしら息苦しさをもたらしていたと私は思う。佐野らにとっては幼稚としか見えない部分に、新鮮な風の吹く穴が開いた」

2018-11-08 01:14:35
シン@本 @naosarakyaa

佐野洋は戦前探偵小説の幅広さを無視し、また具体的な作例をあげることもなしに、ただただ技術的に稚拙だと言い募っていると批判した巽はなんと佐野洋らの戦後推理小説の「幅広さを無視し、また具体的な作例をあげることもなしに、ただただ」息苦しいと言い募っているのです。これは傲慢な党派性です。

2018-11-08 01:15:21
シン@本 @naosarakyaa

『孤独な散歩者の夢想』にこんな一節があります。「自分自身の利益のために嘘をつくのは、詐欺である。他人の利益のために嘘をつくのは、欺瞞である。害せんがために嘘をつくのは、誹謗である」名著『論理の蜘蛛の巣の中で』や数々の名解説を書いてきた巽でさえ、人を誹謗してしまう。自戒しなければ。

2018-11-08 01:15:49
シン@本 @naosarakyaa

さてかなり遅きに失したかもしれませんがここで巽を弁護します。佐野洋の「幻影城」批判は結果的には見当外れだったと言っていいでしょう。つまらないものでも載せて当時の雰囲気を再現したところに「幻影城」の意義があったのは、巽の言う通りです。佐野は時代の流れを読めていなかった。

2018-11-08 01:16:10
シン@本 @naosarakyaa

「現代推理小説と批評」を読み進めると佐野の理想は昔の「宝石」にあったことがわかります。ここで佐野洋の過激さを中和するのはまたしても権田萬治の温厚さです。今は「宝石」以外に推理小説の場がないような時代ではないから「幻影城」が総合誌になる必要はない、リトルマガジンでいいじゃないかと。

2018-11-08 01:16:27
シン@本 @naosarakyaa

今から見ると、ほとんどの人が権田に軍配をあげるでしょう。この人は佐野と都筑道夫の名探偵論争でも、過激な二人の解毒剤として活躍していました。巽昌章もまた過激な天才ですが、その解毒剤となる権田のような人が必要なように思います。また、巽の二冊目の単著を早くどこかで出してほしい。

2018-11-08 01:17:02
シン@本 @naosarakyaa

ところで『孤独な散歩者の夢想』(新潮文庫)の解説で青柳瑞穂はルソーをこう評しています。 「ルソーが、スタンダールという自己解剖の名手に半世紀さかのぼって、あの暗い密室を、「夢想」と直感の鍵でこじあけたということは驚嘆すべきことである」 密室!さらにこうも言っています。

2018-11-08 01:17:24
シン@本 @naosarakyaa

「まるで探偵のように、おのれの存在の地下室をさぐろうと、おそるおそる、しかし不敵にもその階段をおりていって、幽霊屋敷のように、いちめんに蜘蛛の巣の張っている、薄暗い、錯綜とした部屋や廊下を、一種の恐れにみちた満足で眺め、執拗に自己の魂を検討しようとする」

2018-11-08 01:17:45
シン@本 @naosarakyaa

ああなんと恐ろしい偶然の一致でしょう!ルソーの徒たる佐野洋は、論理の蜘蛛の巣を張り巡らす巽昌章と対決する運命にあったのです(このような言い回しを佐野洋は嫌ったでしょうね)。それはともかく、巽が「宿題を取りに行」きたいのならまず自分の傲慢な党派性を自覚すべきではないでしょうか。

2018-11-08 01:18:06
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